第6話 トイレ
インドの衛生状態は良くないが、それも慣れで、数ヶ月間は生水を飲まずミネラルウォーターを買っていたが、徐々に食堂で出てくる水を飲んでも平気になっていた。
トイレはしばらくすると慣れた。インドのトイレには左側に水の入った桶が置かれていて、左手に水を取って、肛門を拭く。後から、手をきれいに洗う。そんな文化に慣れると、トイレットペーパーに便をなすりつける行為よりも爽やかで、清潔にさえ思えるから不思議だ。
停電も頻繁で、毎晩のようにあったが、眠っても瞑想しても良く、ドミトリーなどでルームメートと居る時には暗闇の中で話をするのも一興だし、どの宿にもろうそくは必ず置いてあるので、その明かりも良い。ランプの黄色い明かりも、雰囲気が出る。虫も多いし、刺されたりもするが、そんなに害はない。
過剰な快適さを求めなければ、十分満足できた。逆に日本のように管理され尽くした清潔さや快適さにどこか息苦しさを感じる義彦にとっては、良かった。
街を歩けば路上生活者のような人達も多いが、日本のホームレスのように鬱屈したところが感じられず、堂々と振る舞っていて、ごく普通に話し掛けてくる。老人や障害者も普通に宿やレストランなどで働いたり、往来を歩いている。回りの健常者も彼らに対して変に気を遣うことはなく、淡々と共存している。路上には牛などの動物も人間に混じって闊歩したり佇んでいたりする。
トイレの壁に据え付けられた手摺りを持てば職員が身体を支えながらでもどうにか立てる人はトイレへ誘導、それも難しい人はベッドへ寝かせてのおむつ交換となる。
正直、職員からすると、自分の意思では動けないか動こうとしない人の方がこちらのペースややり方で全てできるので、助かる部分がある。
藤枝さんは手摺りを持てば立ち上がることができて立位も保持できるが、立った直後に手摺りから手を離して自分でズボンを下ろそうとしてよろめいたり、便器に座った後も手をあちこちへ動かしウォシュレットを無意味に作動させたり、見られるのが嫌なのか、便器に座った状態でズボンを上げようとしたり、手の平にも収まらないほど少量のトイレットペーパーを便だらけの股間に押しつけようとしたりと、職員が言葉やあるいは手で制止しないと危険かつ不衛生な行動を取ろうとする。
他にも藤枝さんのように自身の身体の不自由さを自覚せず無理な行動を取る人は多く、自力で動かず介助者のなすがままになってくれる人よりも手が掛かる。
藤枝さんを始め、自力で動こうとする人達はよく女性職員に叱りつけられている。対する藤枝さんも負けていない。握りしめたわずかなトイレットペーパーを職員が奪い取って温かい下用タオルで股間を拭こうとすると、激しく抵抗する。「熱い!やけどする!」などと、まるで職員から襲われているかのように叫ぶ。
アジャイに藤枝さんのトイレ介助をやってもらおうとするが、下用タオルで拭こうとしたアジャイの手を振りほどいた藤枝さんは「やっぱりインド人はあかんなあ」との言葉を浴びせる。
アジャイは初日の緊張もあり、藤枝さんの嫌味に腹を立てたり何らかの反応をする余裕もなく、やや引きつり気味の笑顔で接している。トイレを出てから聞いてみると、何を言われているのか分からなかった、と少し首を横に振り、大きなギョロッとした目をパチパチさせながら、あっけらかんと言う。
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