第5話 指導
日本の外へ出てみると、日本国内とは物価水準が全く異なり、平林の言うことの正しさを実感できた。
特にアジア、そしてインドは別格に物価が安かった。インドを一ヶ月、特に贅沢せず旅行すると、贅沢はせず、宿泊は普通のシングルルームかドミトリーで一泊五十ルピー程度、都市間の移動は二等列車か現地の庶民クラスの人達と同じ長距離バス、食事は現地の人達が入る安食堂か安めのツーリストレストランを利用して一食三十ルピー程度、滞在費は日本円にしておよそ三万円程度、少し切り詰めれば一万円程度で済む。
当時、一米ドルに対する日本円のレートは百円程度、インドルピーにして四十ルピーだった。それでもインドの人達の収入は低く、生活も苦しく、日本人を含めた外国人観光客を見つけると群がって来て何かを売りつけようとしたり、あるいはもっと直接的に、食事をおごってくれ、とか、金をくれ、と言い寄って来たりする。
歓迎会は呆気なく終わり、利用者のおやつの時間が始まる。義彦のアジャイへのつきっきりの指導が再開する。
計画では、一ヶ月ほどは常に職員が付いて毎日の業務を指導し、一日の流れを覚えてもらう。その後は一人の職員として扱われ、他の日本人の一般職員と同じような働きを期待される。覚えることが多いが、この仕事で一番大事なのは利用者個々の特徴を把握することだろう、と義彦は感じている。それには言葉の壁というものはさほど関係はないように思える。
おやつを配る、という単純な作業ひとつ取っても、一人一人を知り、誤嚥しやすい利用者の前に固形物のおやつを置いてしまわないようにしなくてはならない。一つの間違いが命取りになることもある。
誰が喉を詰まらせやすいのか知っておくのは大切だ、とアジャイに伝えると熱心にうなずき、当てはまる利用者の名前をメモ帳にローマ字で書き連ねている。平仮名片仮名と少しの漢字の読み書きはできるようだが、パッとは出てこない。
研修生は終業後にその日一日の仕事のことを指導ファイルに書き、翌日指導者が見る流れとなっている。以前、インドネシア、ベトナムの人達の時には残って書いてもらっていたが、残業禁止の風潮が強くなり、終業前に書く時間を設けることとなった。
おやつを自力では食べられない利用者にスプーンで口に入れる介助が終わった後、トイレ誘導やおむつ交換などの排泄介助に入り、夕食の準備のためお茶を配ったりする流れになる。
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