第4話 上を向いて歩こう

 私の生まれ育ったムスーリー近郊の村は、英領インド時代の建物が多く残されていて、学校にも当時の重厚な文化が残っていた。その学校で学んだので、英語は大体分かる。好きなスポーツはイギリス発祥でインドの国民的スポーツのクリケットだ。病院で看護師として働いていた時に技能実習生制度を利用しての日本行きのことを知り、応募した。

 もともと、インドから外国へ出てみたい気持ちがあった。ムスーリーでの学校帰り、欧米人旅行者が道端の安レストランの席に瓶入りコーラを片手に座っているのを見つけると、英語の練習がてら話し掛けたりもした。

 どこから来て、どこへ行くのか、インドは初めてか、インドはどこへ行ったのか、インドに来てみてどんな感じか、なぜインドへ来たのか、と言った単純な会話を交わした。商売人のインド人に話し掛けられることは嫌がる彼ら欧米人達も、学生には心を開いてくれ、彼らの方でも現地を知る良い機会だと喜び、熱心に話してくれた。

 彼らの多くはインドのあらゆる場所を回っていた。デリー、カルカッタ、バラナシ、プリー、ラジャスタン、ボンベイ、マドラス、ケラーラ…。彼らの口から出る地名のほとんどは、未知の世界だった。彼らはインドの各地どころか、世界中の国・都市を巡っていた。アジア、アフリカ、ヨーロッパ。学校でももちろん世界のことは習っていたし、今ではネットで世界の情報を得ることもできるが、彼らから聞く生の体験談は文句なしに面白かった。

 たまに、アジア系の旅行者も見掛けた。日本人もいた。彼らは英語があまり話せずたどたどしかったが、知的な雰囲気があった。彼らとの会話では、ひとつひとつの言葉に意志疎通を図った。

 そうした学生時代の外国人との交流が心に残っていた。看護師として社会へ出てからは、ローカルな病院に勤めていたこともあって外国人と触れ合う機会はなかった。イギリスやドイツへ行ったドクターの話を聞いて、良いなあ、と思った。

 一度外国へ行ってみたい。しかし外国旅行などは叶わぬ夢だ。そんな時に、特定技能実習制度を知った。介護はインドではまだまだ職業として成立していないが、普段の看護の中に介護は含まれている。これならできる、と思った。日本にはムスーリーの学生時代の日本人旅行者との交流から、親近感があった。

 しかし、現代日本の旅行者達とあれだけ語り合っていても、大いに誤解していたのは、今の日本にはサムライはいない、ということだった。今でもどこかにいると思っていた。インドにサドゥーがいるように。今はいないのだということは、来日してから知った。

 流暢な日本語に感嘆の声が漏れ、出席者一同拍手となる。歓迎する側の職員からの出し物は、なぜか、以前から『上を向いて歩こう』の合唱となっている。高齢者も一緒に歌えて、またこの曲は五十年以上前だがアメリカでもヒットした国際的な楽曲として認知されているというこちらの思い込みで歌い続けているが、安直な選曲方法を見直した方が良いように思う。若いアジャイはこの曲を知らなかった。皆が歌う中、彼は笑顔だが少し不思議そうな戸惑いの混じった表情で聴いている。

 技能実習生の給料は日本の物価水準でもらえ、インドでは高額となる。以前のEPA研修生もそうだったが、制度が始まったばかりの技能実習生達も、親や家族に楽をさせたいとの動機で志願してくる若者が多いらしい。

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