第3話 歓迎会

 義彦は外国からのEPA研修生や技能実習生の受け入れについて、良いことだとも良くないことだとも、感想を持てない。ケアハウスの同僚の中には嫌がる人もいたが、過去の二人、インドネシアからとベトナムからの研修生は職場に馴染み、テキパキとよく動くタイプだったことで、研修生・実習生に対しては歓迎ムードも出てきている。ただ、受け入れを続けて行くことで、ただでさえ安い日本人の介護職員全体の賃金が上がって行かない恐れはみんな持っているようだ。

 義彦が介護の仕事を選んだ理由は、元旅行者仲間がヘルパーをやっていたことで、経歴を問われず正社員になれそうな仕事が他にないから、という消極的かつ消去法的な考え方から来ている。

 以前は、介護の仕事に就く男性は稀少で、こんな仕事があることすら義彦は知らなかった。社会の高齢化と介護保険制度の創設であれよあれよと一般的な職業となっていた。

 この仕事には、マニュアル化できない面白さがある。世間の常識や効率至上主義が通用しない、常識を超えなければならない部分がある。それは大変さの裏返しでもある。認知症高齢者の相手はきりがないのだが、いつ終わるとも分からない彼らの話を聴くことが大事な時もある。

 テレビ制作の現場で回りのスタッフの考えていることが理解できなかった義彦だが、なぜか要介護高齢者の考えていることはよく分かり、思いを瞬時に感じ取り、行動に移すことができた。義彦にとっては、ようやく出会った天職とも言える。入職して三年でリーダーを任され、他の介護職員の指導役ともなっている。海外からのEPA研修生や技能実習生の指導及び指導計画を立てることも義彦に任されている。

 しかし、残念ながら天職とも思える介護の仕事で得られる収入は生活を成り立たせるのに不安のあるレベルでしかない。独身で安アパートで暮らしていた頃のテレビ制作の仕事の収入よりも、家族を養っていかなくてはならない現在の収入の方が劣っている。

 日本人の曖昧な文化的特徴をアジャイにどう伝えるべきかは、悩むところだ。恐らくは日本語学校で、世界的に有名な日本人の空気感を大切にする文化や、口に出す言葉と本心とが違っていることなどは教わっているはずだが、頭では分かっていても、実際に体験してみないと対応できないことは多々ある。

 かつてインドネシアやベトナムから来た研修生も徐々に日本人特有の空気感を体得していき、何年か経つと日本人のように変わってきていた。すっかり馴染んだ頃に介護福祉士試験があり、三度挑戦しても不合格となり、強制的に帰国する結果となった。彼らが就業してきた時に催した歓迎会を、今回もすることになった。職員も利用者も参加する。

 さっきの藤枝さんへの長い説明でアジャイの自己紹介の一部は終わってしまった感があるが、改めて自己紹介をしてもらうことにする。アジャイはさらに、日本へ来ることになった経緯、日本に来てからのことを詳述し始める。

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