第2話 きっかけ
「インドは安いよ」
義彦がインドへ初めて旅行するきっかけとなったのは、平林の言葉だった。
当時、義彦は仕事を辞め、次の職探しをする気力もなく、二度と立ち上がれないような精神状態に陥っており、アパートの部屋にこもって、寝たり起きたりを繰り返していた。
念願の仕事に就いたはずだった。
京都から東京へ出て、昼間はビル清掃のアルバイトをして、夜間、テレビ番組制作の専門学校へ通った。高校生の頃から、独立系の小さな映画館で、世間では話題になっていないドキュメンタリー映画を観るのが好きだった。映像を撮りたい、という漠然とした希望が芽生えていた。深夜によくやっていた、ひたすら街を歩くだけだったり、一体誰が観ているのだろうと思えるようなテレビ番組を観るのも、好きだった。
学校修了後、小さなテレビ番組制作会社に職を得た。正社員ではなく、契約社員だった。仕事は雑務全般で、ADのさらなるアシスタントのような役割で、ADが買い忘れた物の買い足しや、使い走りが多かった。そうした立場から頭角を現すためには、先輩や上司の考えていることを察知し、正確に要求を満たすことが必要だった。
当時の義彦は、先輩や上司からいきなり何かを指示されて即座に理解し実行に移すなどという芸当は、できなかった。むしろ言われていることの意味が分からず、再度聞こうと思うが、どう聞けば良いのかも分からず右往左往していた。当時は社会全体が、新入りには怒って教えることが普通で、義彦も毎日のように怒鳴られていた。
契約社員から正社員になるどころか、いつクビになるか分からないような立場で、一年が過ぎた頃、現場を外され、自分から辞めるように仕向けられた。虚脱感、無力感とともに、もういい、との思いや、解放感も同時にあった。映像を仕事にしようとするのはもうやめよう、と思った。テレビ番組制作以前の問題で、人との共同作業、人の心を読んて動くのが苦手であることは、社会全体に対する恐れや、自分はダメなのだ、という絶望感を増幅させた。
退職して西荻窪のアパートにこもっていた時に訪ねて来たのは、夜間の専門学校へ通っていた頃、日中のビル清掃のアルバイトで同僚だった平林だった。平林は当時大学生で、一年間休学をして旅に出ていた。帰国直後に話を聞かせてもらったが、当時の義彦は海外には全く興味がなかったため、話半分にしか聞いていなかった。
「これからどうするの」との平林の問いに、義彦は思いつきで「日本一周でもしようかな」と軽く口に出すと「日本はどこ行っても一緒だし、つまらないよ」と言う。
「でも外国行く金もないしな」義彦があきらめ口調で返すと「インドは安いよ」との言葉が出て来た。
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