第8話 逃げ場はなし
「あのアナウンサー、洋介に似ちょらんか。慎吾ん
「あらホント、瓜ふたつって程やねえけど洋ちゃんに似ちょんな」
「かっちゃん、このきゅうり漬けは紫生ちゃんが作ったんよ」
「えっ、めっちゃ美味いでコレ。紫生ちゃんすごいなぁ」
「んふふ、ありがとう」
左上に6時を示すテロップを添えたワイドショーがTVから垂れ流されているそのそばで、居間の卓袱台周りに田染家の人々が勢揃いし、会話を飛び交わせながら女衆が作った朝食を食べている。嫁いで初めの頃は緊張の為か居心地の悪さを感じていたが、ほぼ毎日同じような光景が繰り返されるうちに慣れてきた。
「ごちそうさま」
1人だけワイシャツとスラックス姿の光典が空になった食器を積み重ね、台所へと運んでいった。私は食事の最中だったが箸を置き、玄関に立って光典が身支度を終えるのを待つ。
田染家の女は旦那が仕事に出るのを玄関で見送る習慣がある。義母いわくやってもやらなくても良いらしいが、義母も保奈美ちゃんもやっているので、私も2人に合わせて毎朝光典を見送っている。
「ゆっくりご飯食べてて良いのに。紫生さん、ありがとう」
「いいの。いってらっしゃい」
手を振ったら唐突に肩を掴まれ、光典の胸元に引き寄せられた。私の身体を潰さんという程の強さで抱きすくめられ、耳元で「仕事行きたくねぇ〜」とそこそこ大きな声でぼやかれる。
間もなく光典の腕から解放され、名残惜しそうに「行ってきます」と言い残して玄関を出ていく光典の背を見送りながら、私は激しく跳ねる心臓に全身を揺さぶられているような感覚を覚えた。この鼓動が夫に抱き締められたことによるときめきであれば大変に良かったが、残念ながらそういうわけではない。元彼の死が光典によるものであることを確信してからというもの、私は光典の手に触れられると声も出ない程の緊張に襲われるようになったのだ。
何日も前に光典から問い詰められた時、光典の言い分の上では私が不意に呟いた名前でしか裕也のことを知らないようだった。それなら翌朝に流れたニュースで読み上げられた『橋本裕也』と同一人物だと気づけるわけが無いのに、光典は裕也の葬儀に言及していた。あの瞬間に、私が一度払拭した非現実的な想像が現実味を帯びてしまった。
もしかすると鬼の伝承は本物で、私が寝ているうちにでも光典が絵巻物で見るような角のある鬼の姿へと変わり、とんでもない健脚で山を跳び回りながら特別な力で鬼囲へ来ようとする裕也を探し出したんじゃないかとも思えてきた。なにせ光典は裕也の顔を知らず、私のスマートフォンを盗み見たとしても写真は残っていないのだから、特別な力でも持っていなければ裕也を特定することなんてできるわけが無いのだ。
とんでもない所に嫁いでしまった、とつくづく思うようになった。裕也のメッセージを見たタイミングが違えばとか、裕也と付き合わなければとか、そもそも光典の求婚を受けなければとか幾つもの悔いが頭を苛むようになったが、そんなことを口に出すわけにもいかず、かといって1人で何も言わずふらりと消えてもすぐ光典に見つけ出されるだろうなとも考えて、結局田染家の一員としていつも通りに過ごす道を選んでしまう。どうかもう、恐ろしいことが起きないようにと切に願いながら。
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