第4話 祝言

名義変更なり届け出なり、光典と何らかの手続きに行く日は、ついでに昼食と少しのドライブをした。

市役所で婚姻届を出した日は光典が「別府でも行ってみるかぁ」と言い出し、本当に高速道路で別府まですっ飛んだかと思うと、石垣まで下りて鶏天の有名店へ連れて行ってくれた。1週間後には免許や口座の名義変更ができるようになったので連れて行ってもらい、その後にどこか行きたい所は無いかと聞かれたので「魚が美味しいところ」と適当に答えてみたら、嬉々とした様子で佐伯の海産物市場に連れて行ってくれた。

2人で出掛けるのはさながらデートのようだった。殆ど無理矢理に近い手段で婚約を結んだことは光典なりに気にしていたのだろう。結婚して本当に家族になるまでの少ない日数で、ある程度でも関係を築こうとしているのはあまりにも健気で、だんだんと私の心の内に「変な男と付き合って泣きを見るより良いか」という考えが芽生え出した。

それからも何度か光典との外出を重ねると、田染家への嫁入りを心配していた父母もいくらか安心したようで、私が家に帰る度に「今日はどこでデートしてきたん」と聞いてくるようになった。




私達が手続きに奔走しているうちに田染家では結婚式の準備が行われていたようで、最後の最後にスマートフォンの名義変更を行ってかから3週間と経たないうちに田染邸で結婚式が行われた。

田染家の結婚式は田染邸で祝言の形を取るのが仕来りだそうで、1ヶ月前の顔合わせの時点で光典の父母から「ドレスに憧れちょったらごめんな」と謝られたが、ウェディングドレスには大して憧れを抱いておらず、なんならウェディングドレスを着るような式を挙げれば大勢の前で関係の薄い男とキスをしなければならないと思うとこの上ない抵抗を感じるので祝言の方が有り難かった。


「準備はぜーんぶ田染でやるけん紫生ちゃんは自分のことしよきよ。あっ招待状書くけん友達の住所教えといてな」


顔合わせの当時、やけに張り切った様子で光典の母がそう言っていたので、その日のうちに連絡が取れた友人5人の住所を伝えて招待状を出してもらった。すると5人全員から参加を示す返信が届いたので、光典の父が「今年は賑やかになるなぁ」としみじみ呟いた。




そうして迎えた祝言の当日、私は用意された晴れ着を見て首を傾げた。吹雪の如く散りばめられた小ぶりな桜の文様が美しい白無垢に、何故か角隠しや綿帽子の類がついていない。後で別の所から持ってくるのかと思ったが、白無垢を着せてもらって集落イチのお洒落さんである3歳上のハルちゃんにヘアメイクをしてもらったら「ハイ完成」と言われてしまった。


「ハルちゃん、帽子は?」


「要らん、要らん」


「要らんの?」


「紫生ちゃんは田染家の結婚式見たこと無いんやったかな。じゃあなんで要らんか教えんでおこうな」


「なぁんでよぉ」


キャッキャと意地悪な笑い方をするハルちゃんに見送られて、黒留袖姿の母と共に親族や友人の待つ広間へ足を踏み入れた私は、高砂に立つ光典の姿を見て思わず声を上げそうになった。

紋付袴を着た光典の頭部が黒い布で覆われていた。昔のホラー映画に白い布を被った男が1つどころを指差すシーンがあったが、あの要領で着物らしい固くて厚みのある材質の、映画よりも二周りほど大きな黒布を被っていた。

なるほど、角を隠すのは鬼の末裔である田染家の方だということか。驚きで跳ね上がった鼓動を鎮める間もなく私も高砂へ進んだ。

それからは特段変わったことも無く式が進められ、集合写真を撮った後にお色直しを挟んで披露宴へと移った。私が桜模様の赤打掛に大小様々な花飾りと華やかに着飾ったのに対し、光典はまだ紋付袴に黒布を被ったままで、そのまま挨拶に来た人達と会話をしている姿がなかなかに異様だったが、鬼囲に住んでいる参列者は両親も含めて当たり前のように振る舞っているのも異様だった。

光典が招待した漁協の人達から挨拶を受け記念写真も撮った後、彼等が席に戻るのと入れ替わりで私の友人達が皆連れ立って高砂へ近づいてきた。


「光典さん、紫生、結婚おめでとう」


「ありがとうございます」


光典と共にお辞儀をした後、友人達がこぞって私の晴れ着姿を褒めてくれたが、一方で黒い布が気になるらしく光典のことをチラチラと見ていた。その視線を感じてか光典が「これ珍しいでしょう」と自ら言及した。


「紫生さんもさっきビックリしよったもんな」


「見えてたの?」


「いや見えんけど」


「なんそれ」


「紫生さんは可愛い格好を存分に見せられていいわ、俺なんかせっかくメイクしてもこれやもん」


「しとんのかい。あと、ありがとう」


ふざけているのか本気なのかわからない光典の戯言にいちいち突っ込んでいると、その様子が友人達にどう見えていたのか揃いも揃って蕩けたような笑顔を見せ「ウチらも結婚せんと」などと言い出して、なんだか恥ずかしくなってしまった。




披露宴が終わりに近づくと、広間は話し声よりもイビキの方が響くようになった。寝ているのは皆ご近所さんか鬼囲に住んでいる、または遠方住みだが鬼囲に泊まる家のある両家の親族ばかりで、漁協の人達と私の友人達は日が落ちて道が見えなくならないうちに帰るのだと、それぞれのハンドルキーパーが酩酊した同行者を引っ張って田染邸を出ていった。

それから間もなく日が落ちて、開け放たれた広間の障子戸の向こうの庭が木々の輪郭さえ見えぬ程に暗くなってくると式はお開きとなり、酩酊から覚めた列席者がぞろぞろと広間を出ていった。人気ひとけが無くなってくると、私の両親が高砂に寄ってきて「じゃあ光典くん、紫生をよろしくお願いします」と頭を下げた。光典も「蝶も花も足下に及ばんぐらい大切にします」などと言って頭を下げた。


「紫生も部屋散らかしたり寝坊したり田染さんにご迷惑かけんことよ」


「子供かよ。せんわ」


「じゃあお父さんとお母さんは帰るけんな、同じ集落ん中やしたまには帰ってきてもいいで」


「『帰ってきなさい』やないんかい」


感動も何も無い挨拶を交わし、光典の両親ともども広間を出ていく私の両親を見送ったのち、先に平服に着替えていた田染家の人々が御膳台を運び出していった。私も何かした方が良いかと思ったが、女性の1人から「主役は着替えて休んどきなさい」と言われ、光典ともども控室へと戻らされた。

控室ではハルちゃんと5歳上のナギサちゃんが待っていて、白無垢を脱ぐのを手伝ってくれた。化粧も落とし、まとめていた髪も下ろす。

そうしてTシャツとハーフパンツに着替えたところで、ハルちゃんとナギサちゃんが何か神妙な面持ちで頷き合うと、私の手に持たせてきた。半紙に包まれた20cm程度の棒状の物。包みを解いてみると、それは白鞘の小刀だった。


「えっ、なんこれ」


「紫生ちゃん、それ光典が来る前に鞄に仕舞って。貰ったことを田染の人にも話さんで」


「何かはそのうち分かるわ」


ハルちゃんとナギサちゃんの鬼気迫った表情に気圧され、私は訳も分からぬまま小刀を鞄に仕舞った。するとハルちゃんが警告した通りに光典らしき足音が聞こえ、障子に細長い人影が浮かんだ。


「紫生さんもう着替えた?」


光典はいつもと変わらぬトーンで話しかけてきたが、私は何故か答える勇気が出なかった。足が竦み、目の前の影が本当に鬼か何かに見えてきた。


「入っていいぞ光典ィ」


「残念やけど初夜のお召し物はTシャツと半パンやぞ」


「余計なこと言うなやぁ」


つい1〜2分前の様子が嘘のように明るい声で答えるハルちゃんとナギサちゃんに応じて光典が障子戸を開けた。ジャージ姿で私を見下ろし「お疲れ様」と呼びかけてくる光典の柔らかな笑顔が嫌に恐ろしかった。


「じゃあハルもナギサも世話んなったな」


「時給2000円な」


「高ぇよ」


苦笑いをする光典と共に、ハルちゃんとナギサちゃんを玄関まで見送った。門を出て、段々と夜闇に溶け込んでいく2人の姿を見送る光典の顔を見ることはできなかった。何か、今までに見たことが無いほど冷淡な顔をしている気がして。

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