第22話

 思いもよらなかったダグラスからの言葉に、エルザはついうしろを振り返ってしまいそうになる。

 ところが首を動かそうとしたところで「動くな」と頭をつかまれてしまったので、そのままおとなしくしていることにした。


「あたし、そんなに変わった?」


 声だけで催促すれば、頭上でダグラスが短く笑ったのがわかった。


「いや、前はもっと人に懐かないノラネコみたいだったなと思ってな」


 たしかに、ギルベルトにさらわれ屋敷に連れてこられた当初は、彼らのことをまったく信用などしていなかったし、むしろ敵意むき出しだった自覚はある。

 なにせヴァンパイアとダンピール。捕食する者とされるもの。けっして相容れない存在同士である。

 はなから受け入れろというのは土台無理な話だ。

 とはいえ、たった三ヶ月あまりでそんなにも変わっただろうか。


「自分じゃよくわからないわ」


 ともにひとつ屋根の下で生活しているせいもあるのだろう。

 正直以前より警戒心が薄れているのは事実である。

 というか、互いのあるべき立場を忘れてしまうくらいには、すっかり彼らに馴染んでしまっている。


「まあいいんじゃないか? おれはノラネコより、今のエルザのほうが好きだぞ」


 完了の合図の代わりに、頭のてっぺんをぽんぽんとなでられる。

 首だけ動かして上を見上げれば、珍しく優しげな笑みを浮かべたダグラスと目が合った。


「ちょっとダグ! なに俺のエルザ口説いてんの!?」


 ダグラスと見つめあうこと数秒。

 ダイニングルームに戻ってきたギルベルトが、すかさずエルザとダグラスの間に割って入った。

 手には黒を基調としたワンピースをかかえ、自分もちゃっかりと着替えを済ませている。


「ふん、お前がさっさとしないのが悪い」

「アリシアがいないからって八つ当たりしないでよ。エルザは俺のだからね!」

「はいはい」


 ソファのうしろで男二人がなにやら言い合っているが、当のエルザは正直それどころではない。

 エルザはダグラスから手渡された手鏡でまじまじと自分の頭を眺めていた。


――どうなってるの? これ。


 右を向いたり左を向いたりするたびに、ハーフアップにされた後ろ髪がさらりと揺れる。

 鏡に映る、複雑に編み込まれたヘアスタイルは、自分ではとうていできそうにない。


「エルザ、満足したら着替えてこい。んで、さっさとこのバカを連れていってくれ」


 うんざりしたような声色でそうダグラスに声をかけられるまで、エルザは鏡の中の自分とにらめっこしていた。



◇◇◇◇◇



 軽快な音楽と人々の楽しそうな笑い声が、町のあちらこちらから耳に届いてくる。

 民家の軒下やベランダには色とりどりの花が飾られ、手作りの装飾が町じゅうを華やかに彩っていた。

 市場にはたくさんの出店が並び、子どもたちが小遣いを手に長い列を作っている。

 どこからともなく漂ってくるおいしそうな香ばしいにおいが、ふわりと鼻腔を刺激し食欲を誘う。

 近隣の町からも見物客が来ているのか、町はいつもにも増してヒトであふれ返っていた。


「エルザ、もしかしてお祭り初めて?」


 隣を歩くギルベルトの声に、エルザはおもわず足を止めた。

 あたりをきょろきょろと見回していた彼女は、ばつが悪そうにギルベルトから視線を遠ざける。

 その表情が心なしか浮かれているように見えるのは気のせいではないだろう。


「初めて、ってわけじゃないけど、あまり来る機会はなかったから」


 思えばこういったイベントのときは、たいてい任務に出ていた気がする。

 クルースニクでは通常の任務に加え、不定期に開催される各地の祭りで警備を請け負うことがあった。

 ヒトの多く集まる場所には、時にヒトならざるのもが紛れこみやすい。

 当然、民間の警備員たちでは対処しきれない事態になりうることもある。そうした不測の事態に備え、クルースニクからも毎年何人か警備に駆り出されるのが通例だった。

 正直、純粋に祭りを楽しむことなど、これまでほとんどなかったのである。


「んじゃ、今日は楽しまなくっちゃね!」

「あ、ちょっと、ギルっ……!?」


 ギルベルトに手を引かれ、人混みの中へ身を投じる。

 いつもはわずらわしく思うヒトの多さも、なぜだか今日は気にならなかった。


 立ち並ぶ屋台には、色鮮やかにデコレーションされたチョコレートやキャンディー。

 遠くから漂ってくる、手作りのソーセージが焼けるにおい。

 普段は夜しか開いていない酒場も、今日は昼間から営業しているらしい。店の前ではいつの間にやら、飲み比べ大会が催されていた。


「お姉ちゃん! 僕あれが欲しい!」

「ずるい! あたしのも取ってー、お姉ちゃん!」


 何気なく参加した射撃の屋台では、百発百中のエルザに子どもたちがこぞって列を作る。「僕も」「わたしも」と止まらない子どもたちに、とうとう店主が苦笑いで音を上げる。


「エルザ、俺たちも踊ろう!」

「え、あたしダンスなんてできなっ、ちょ、ギル」


 きらびやかに着飾った踊り子たち。奏でられる音楽に圧巻のパフォーマンス。

 町じゅうのあちらこちらで拍手や歓声が沸き起こり、文字どおり飲めや歌えやのお祭り騒ぎは、時間を忘れさせるには十分すぎるほどだった。


「エルザ、喉乾かない?」


 途切れることのないヒトの波からようやく抜け出して、エルザとギルベルトは近くのベンチへと腰を降ろした。

 そう言われると、とたんに喉が乾いてくるのだから不思議なものだ。


「俺なんか買ってくるから、ちょっとここで待ってて」

「ならわたしも」

「いいからいいから。エルザは場所取りお願いね。すぐ戻ってくるからさ」


 再度人混みの中へ消えていったギルベルトのうしろ姿を見送りながら、エルザはほっと息をついた。


――年甲斐もなくはしゃいじゃったな。


 軽やかな音楽と祭り独特の雰囲気に、まだ心が浮き足立っている。


「……こういうのも、悪くないかも」


 ギルベルトの帰りを待ちながら、ぼんやりと空を見上げる。

 やむことのない音楽と人々の声に耳を傾けていたときだった。


「…………エルザ、さん?」


 ふいに誰かが名前を呼ぶ。

 だがそれは、エルザには聞き覚えのない声色だった。

 この町で彼女の名を知るのは、ともに暮らすギルベルトたち以外にいないはずである。

 不審に思いながらも、エルザは声のしたほうへと視線を移した。



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