第21話
◇◇◇◇◇
「おはよう、エルザ」
香ばしいにおいにつられて二階のダイニングルームへ顔を出せば、そこにはすでにギルベルトがいた。
さわやかな笑顔であいさつする彼は、コーヒーを片手に焼きたてのブレッドを口に運んでいる。
――ベッドにいないと思ったら……。
毎朝目が覚めるとたいてい隣に寝転んでいるのに、先に朝食を食べているなど珍しいこともあるものだ。
「あれ? その顔」ギルベルトがこてんと小首をかしげて、エルザの表情をうかがう。
「もしかして、起きたら俺がいなくて寂しかった?」
「……寝言は寝てるときだけにしてくれる?」
なんだかうれしそうに目を細めるギルベルトからふいっと顔をそらして、エルザも彼の向かい側のイスを引いた。
開け放った窓から吹きこんだ風が、レースのカーテンをふわふわと揺らしている。
「ねぇ、ダグがなんか不機嫌なんだけど?」
どうやら今朝の彼は、少々機嫌が悪いらしい。
エルザのぶんのコーヒーを煎れるしぐさにいらだちが垣間見え、わずかに唇を前に突き出した表情は見るからにふてくされているようである。
朝から彼を怒らせるようなことをしでかしたんじゃないかと、エルザは無言でギルベルトを問い詰めた。
「あぁ、朝からアリシアがいないからだよ」
あっけらかんとそう言ったギルベルトは、二人ぶんのコーヒーカップをテーブルに置いたダグラスを見遣る。
ギルベルトが起床したときにはすでに妹の姿は見えなかったので、まだ夜も明けきらぬうちから出かけたのだろう。
彼女の行き先を知るのはダグラスだけである。
「で? どこ行ったの?」
ギルベルトの問いに、ダグラスは彼を横目に見て小さく舌を鳴らした。そうして窓を背にした席にどかっと腰を降ろす。
「…………ババアんとこだ」
露骨に嫌な顔をして、ダグラスはアリシアの行き先を告げた。
そのひと言に、ギルベルトもおもわず苦笑いするしかない。
「あ~、あの人のとこか……。俺、あの人苦手なんだよなぁ」
「おれは嫌いだ。あそこは血生臭くてかなわん」
二人して同時にため息をつくものだから、よほど嫌な思い出でもあるらしい。
ダグラスが「ババア」と言うからには、相手は高齢の女性なのだろう。
だがおそらく、ヒトではない。
「知り合い?」エルザは二人の顔を見比べながらそうたずねる。
「俺とアリシアの母親だよ。まぁあの人は、あんまり親子の情とかないんだけどねー」
「じゃあなんで」と続けようとしたエルザの声をさえぎったのは、黙々とベーコンを咀嚼していたダグラスだった。
「アリシアのはただの菓子目当てだ」
「ダグは毎回お留守番だけどねー。前に喰われかけたんだっけ?」
軽い調子で頬杖をついて笑うギルベルトに、ダグラスは「あそこじゃ、おれはエサだからな」と淡々と返す。
種族の違いゆえに、彼らにも逃れられぬ食物連鎖のしがらみというものが存在するのだろう。
この屋敷の中が特殊なだけで。
「ギルは?」
何の気なしに発したエルザのつぶやきに、ギルベルトはふんわりと小首をかしげて彼女を見遣る。
「帰ったりしないの?」
エルザの些細な疑問に、彼はスッ、と視線をそらした。
そのしぐさに、聞いてはいけないことだったかと後悔する間もなく、ギルベルトはすぐにいつもの調子で口をひらく。
「あー、俺は父親が違うからね。それに、母親であることよりも女でいることを選んだ人だから、あんまり会いに行きたくないだけ」
ぎこちない笑みを浮かべてそう言うギルベルトは、それきり口を閉ざしてしまった。
彼が苦手としているのが義父なのか実母なのかは定かではないが、おそらく疎遠になって長いのだろう。
ヴァンパイアの家庭事情は知らないが、どうやらなかなかに複雑なものであるらしい。
そもそも一般的な家庭というものを知らないエルザにとっては比べようがないのだが。
「そんなことよりエルザ!」
微妙な空気が流れる中、ギルベルトの声が場の雰囲気を強制的に変える。
先ほどまでの憂いを帯びた表情から一転、彼はテーブルに身を乗り出さんばかりの勢いでエルザの顔を覗きこんだ。
「今日暇!? てか暇だよね! 町でお祭りがあるんだ! 一緒に行こう!」
早口にまくし立てられて、エルザもよく考えもせず、気づいたらうなづいてしまっていた。
とたんに満面の笑みを咲かせたギルベルトにアリシアとの共通点を見つけ、エルザの口角も自然と上がっていく。
「ダグ! エルザの髪やったげて! かわいいやつにしてね! 俺はエルザの服選んでくるから!」
子どものようにはしゃぎながら、ギルベルトはいそいそとダイニングルームを出ていく。
エルザとしてはべつに普段着でもいいのではと思うのだが、どうせ言ったところで押しきられてしまうのだろう。
「ったく、人遣いが荒いやつめ。エルザ、こっち座れ」
コーヒーの最後のひと口を飲み終えたところで、ダグラスに声をかけられる。
促されるままに窓際のソファに腰を降ろすと、彼はアンティーク調のキャビネットからかわいらしい髪飾りをいくつも取り出してきた。
「それ、アリシアのじゃないの?」
サイドテーブルに置かれた髪飾りを指差せば、ダグラスは「違う」と短く返した。
「全部、ギルがお前のために買ってきた」
「は?」
「あいつが勝手にやったことだ。気にせずもらっておけ」
エルザの返答にかかわらず、ギルベルトは彼女を連れて出かける気満々だったということだろう。
もし「行かない」と言っていたらどうなっていたのだろうか。
――どっちみち言いくるめられてたわね。
容易に想像できてしまった未来に、エルザはおもわず頬をゆるめる。
「ところで、ダグはお祭り行かないの?」
おとなしく長い髪をとかされながら、エルザは背後のダグラスに問う。
さすがに準備まで手伝わせておいて、自分たちだけで楽しんできたのでは申し訳ない。
するとダグラスは、エルザの心配をよそに器用に髪の束をすくい上げた。
「アリシアが戻ったら出かける。あいつも昼までには帰ってくるだろうからな」
「そう。ならよかった」ダグラスの返答に、エルザは小さく笑みをこぼした。
「…………お前、なんか雰囲気変わったな」
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