第15話

 少し早めのディナーを終え、エルザはベッドの上で小さく息を吐いた。


――落ち着かないわね……。


 ダグラスとアリシアはキッチンの片づけだのシャワーだので部屋をあとにしてしまい、はからずもギルベルトと二人きりにされてしまったのである。

 視線を泳がせるエルザをよそに、ベッドのふちに腰かけて一方的に話を続けるギルベルトは実に楽しそうである。

 すっかり彼らのペースに巻き込まれている状況に、エルザはどうしたものかと頭をかかえた。


――ごはんはおいしいし、部屋まで用意してあるし……。いったいどういうことよ……。


 ディナーの席でおそるおそる口にしたダグラスの手料理は、質素な寮の食事とは比べようがなかった。

 聞くところによると、エルザの部屋のクローゼットにしまわれた衣服も部屋の調度品も、ギルベルトが彼女のためにとわざわざ新調したというではないか。


――あたしが寝てた三日の間に全部用意するなんて、なに考えてるのよ……。


 食事の最中に目を輝かせながら身を乗り出すアリシアが、「お姉さまのためですもの。わたくし、がんばって運びましたのよ!」と言うのを、エルザは複雑な気持ちで相づちを打つことしかできなかった。

 ギルベルトもアリシアもダグラスも、なぜこんなにも自分によくしてくれるのだろうか。

 エルザには彼らの意図がつかめなかった。


「……あんたたちは、あたしをどうするつもりなの?」


 ギルベルトの話がひと区切りついた隙に、エルザはぽつりとつぶやいた。

 その言葉に、ギルベルトはどういうことかと首をかしげている。

 なんだかそのしぐさにいらついて、エルザはアクアマリンの瞳を鋭くにらみつけてやった。


「どうせ殺すなら、さっさと殺せばいい」

「え? 俺、エルザを殺す気なんてさらさらないんだけど?」

「は?」

「え?」


 予想外のセリフに、互いが顔を見合わせたまま瞬きを繰り返す。

 当然殺されるものだとばかり考えていたエルザは、訳がわからないとばかりに眉間を寄せた。


「いや……、だってあんた、『ヴァンパイア』でしょ?」

「そーだよ?」

「あたしはクルースニクで……、『ダンピール』よ?」

「そーだね」

「あんた、『ダンピールはごちそうだ』って……」

「まぁ、たしかにそうなんだけど」


 ひとつひとつの事実を確認するエルザに相づちを打ちながら、ギルベルトは苦笑いで自身の頬を掻いた。

 たしかに彼女の言うとおり、ギルベルトはヴァンパイアであり、エルザはダンピールだ。

 そして「ダンピールの血はごちそうだ」と言ったのは、間違いなくギルベルト本人である。その事実はなにも間違ってはいない。


 ギルベルトは小さく笑みをこぼすと、ふわりとエルザの頬にふれる。

 彼の指先はやはり冷たく、びくり、とエルザの肩が震えた。

 しかし彼を見れば、アクアマリンの瞳が優しく細められている。それはまるで、愛しい者を愛でるかのような熱をはらんでいた。


「俺、エルザに惚れちゃったから」


 そう言って、ギルベルトはふんわりとエルザに向かって微笑んでみせた。


「…………は? なに、言って……」

「あれ? エルザってもしかして、ひとめぼれとか信じないタイプ? まいったなぁ……」


 ギルベルトとしては至極真面目に言ったつもりだったが、きょとんとしたあとに訝しげな顔をしたエルザの様子に少しばかり落ちこむ。どうやら完全に冗談だと思われているらしい。


「最初っからそう言ってるんだけどなぁ……」


 ギルベルトは、がっくりと肩を落として大げさにため息をついた。

 しかし次の瞬間には、気を取りなおしたようにエルザに笑顔を向ける。


「まぁでも、これからは一緒に暮らすんだし、そのうち好きになってもらえればいいかな」

「…………ちょっと待って。いまなんて言った?」

「ん?『俺、エルザに惚れちゃった』」

「違う! そのあと!」


 膝に置いたままの手を絡めとられるように握られたが、エルザ自身はそれどころではない。

 たったいま、聞き捨てならないセリフが聞こえた気がするのは気のせいだろうか。

 否、どうか気のせいであってほしい。疲労からくる聞き間違いだと思いたい。

 しかし現実は、時として残酷なものである。


「…………『これからは一緒に暮らすんだし』?」


 こてんと首をかしげるギルベルトに対して、エルザの中に妙ないらだちがこみ上げる。


「そう、それ! 誰が決めたの、そんなこと。世話になっといてなんだけど、あたしは帰るからね!」


 本人の意思などお構いなし。ほぼ決定事項のように告げられた言葉を、エルザは全力で拒否する。


「たしかに! 三日間も面倒をかけて、食事も寝床も用意してもらったことは感謝するわ! けど、それとこれとは話が別よ! もとはといえば、こうなったのはあんたのせいでしょ!?」


 エルザは勢いよく、ギルベルトの鼻先に向かって人差し指を突き出した。


「それなのにヴァンパイアと同居なんて……、冗談じゃないわ!」


 そう吐き捨てたエルザの拒絶もむなしく、ギルベルトは微笑みを浮かべたまま、ずいっ、と彼女に顔を寄せた。


「だーめ」ギルベルトの吐息が耳をかすめる。


「言っとくけど、逃がすつもりなんてないからね?」

「っ……!」


 耳のそばで直接ささやかれた声色に、エルザは一瞬、返す言葉を失う。

 ギルベルトの低くかすれた声はどこか愉しげで、それでいて妖艶な響きを醸し出していた。

 なぜだか鼓動は高鳴り、意図せず顔に熱が集まっていく。

 腰に回された彼の手が、するりとエルザの太ももをなでた。


「っ!? もういい! 寝る!」


 耳元をかすめる彼の吐息に耐えきれず、エルザは勢いよくブランケットをめくった。

 ギルベルトの視線から逃げるように背を向けて、そそくさとそれを頭からかぶって横になる。膝を曲げて背を丸めれば、ブランケットの上からクスクスを小さな吐息が聞こえていた。


――笑いごとじゃないっての!


 自分でも驚くほど、ギルベルトから向けられる言動に動揺してしまっている。

 それが余計に己の羞恥心をあおってしまい、彼に悟られまいとエルザは身を小さくするしかなくなっていた。


――なんでこんなやつに……!


 いつもならすぐに反論なりなんなりできるはずなのに、どういうわけか彼に対してはペースが乱され思うようにいかない。


「ふふっ。おやすみ、エルザ」


 このまま本当にふて寝してしまいそうなエルザに、ギルベルトは小さく笑みをこぼした。

 そうしてブランケット越しに彼女の頭を軽くなでると、羊毛の詰められた掛け布団をふわりとその上からかけてやる。

 肌触りのいいシルクのカバーに覆われたそれが、優しく彼女の体を包みこんだ。


――まったく、なんなのよ! もう!


 明かりを消し、部屋を出ていくギルベルトの気配を足元に感じながら、エルザは困ったようにため息を吐き出した。早くなった鼓動が落ち着くには、まだもう少しかかりそうである。



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