第16話
◇◇◇◇◇
ゆっくりと浮上する意識に、エルザは身を任せた。
だんだんとはっきりと聞こえてくる小鳥たちのかわいらしいさえずりが、朝の到来を告げる。
ひんやりとした朝特有の空気とは裏腹に、ベッドの中はふんわりとぬくもりに包まれていた。
――あたし、なにやってんだろ……。
ヴァンパイアと同居なんて御免だと言っているわりには、なんだかんだこうやって、屋敷で何日目かの朝を迎えてしまっている。
エルザとしては不本意極まりないのだが、毎日楽しそうに自分を構ってくるギルベルトやアリシア、二人いわく普段より張りきってキッチンに立っているらしいダグラスの手前、なんとなく帰るタイミングを逃してしまっているのだ。
――本当は、すぐに支部に帰らなきゃいけないのに……。
どういうわけか、ここは少し居心地がいい。
自身がダンピールであることも、ヴァンパイアを狩るべきクルースニクであることも忘れさせてくれる。
それだけここには、外部の喧騒とは無縁とも思えるほどの穏やかな時間が流れていた。
まだぼんやりとする意識の中、エルザは小さく身じろぎした。
しかし小さな違和感を覚え、その思考は一気に覚醒していく。
ブランケットにくるまったベッドの中は、たしかにあたたかい。
あたたかいのだが、なにかがおかしい。
あきらかに自身の体温以外のぬくもりを感じるし、どことなくベッドがせまい気がする。
なによりぬくもりを求めて寝返りを打った先が、布団の感触とほど遠い。
こうなるともう、嫌な予感しかしない。
――そんなはず、ないわよね?
一瞬脳裏をよぎった予想を頭の中で否定しながら、エルザはゆっくりとまぶたを上げた。
「おはよう、エルザ。よく眠れた?」
目覚めて早々、視界の大部分を占領するさわやかな笑顔を、エルザは思いきり蹴り落としてやった。
めくれ上がったブランケットのすきまから、冷たい風が入りこんでくる。
「いてて……。エルザってば、朝から元気だね」
「貴様は……!! 毎度毎度、人が寝てる隙に入ってくるな!」
「えー、俺好きな子とは一緒に寝たい派ー」
「知るか!」
ベッドから転がり落ちたギルベルトは、床に打ちつけた腰をさすりながらヘラっ、と笑う。その表情にはもちろん反省の色などない。
「なんでいつも朝になったらいるわけ!? 不法侵入よ!」
就寝前、隙あらば添い寝しようとする彼を、エルザはたしかに部屋から追い出している。
にもかかわらず、ギルベルトは懲りもせず毎晩彼女のベッドに侵入してくるのである。
「エルザって爆睡するタイプだよね。俺が入ってもぜんぜん気づかないんだもん」
「うるさい! そもそも入ってくるな!」
床に座ったままのギルベルトにクッションを投げつけて、エルザはサイドテーブルに置きっぱなしのタバコに手を伸ばした。火をつけたライターの、独特なオイルのにおいが鼻腔をかすめる。
肺いっぱいに吸いこんだ紫煙を、エルザはため息とともに静かに吐き出した。
横目でギルベルトを見遣れば、彼はクッションを抱いたまま床であぐらをかいてエルザを見上げている。
どちらかがなにを話すわけでもなく、二人の視線は見つめ合ったまま、静かに時だけが過ぎていく。
「……」
「……」
「……?」
「着替えるから、出てってほしいんだけど」
こてんと小首をかしげたギルベルトにそう告げれば、彼はいそいそと立ち上がってクローゼットの取っ手に手をかけた。
「じゃあ俺が手伝ってあげるよ! 今日はどれがいいかな? エルザはどれ着ても似合うけど、俺今日はこのフリフリのがいいなぁー♪」
「いいからさっさと出てけ!!」
にこにこと楽しそうにクローゼットの中身を物色しはじめた男に、エルザはもうひとつのクッションを力いっぱい投げつけてやった。
朝の身支度を無事に終えたころを見計らって、コンコン、と遠慮がちにドアがノックされる。
――あいつ、……じゃないな。
彼はそもそもノックなどしたためしがない。おおかたアリシアかダグラスのどちらかだろう。
「お姉さま? 起きてらっしゃいます?」
「おはよう、アリシア」
「おはようございます♪」
ひらいたドアのすきまから、ひょこっ、と顔を覗かせたのは、見目麗しい美少女である。袖口にフリルのついた白いブラウスに、ボリュームのある黒いワンピース姿のアリシアは、軽い足取りでエルザに駆け寄ってくる。
「お姉さま、あのっ」
「どうしたの?」
「今日、みんなで市場に買い出しに行く予定なのですけど、お姉さまもいかがです? たまには町を出歩くのも、悪くないと思いますの」
かわいらしい笑顔で自分を見上げてそう言うアリシアの言葉に、エルザは一瞬どう答えたらいいか迷ってしまった。
というのも、エルザにとってアリシアからの誘いは寝耳に水だったのである。
これまでギルベルトやアリシアに連れられて広い庭を散歩することはあれど、敷地の外に出ることはなかった。どうやら屋敷は森の中にあるらしく、彼ら以外のヒトの気配はまったくない。
自分はこの屋敷に軟禁されているようなものだとばかり思っていたのに。
――町、か……。
もしかしたら町に行けば、ここがどこなのかわかるかもしれない。
そうでなかったとしても、いずれなにかに利用できる情報が手に入るかもしれない。
エルザには、アリシアの誘いを断る理由はどこにもなかった。
「あぁでも! お体が優れないようでしたら無理にとは言いませんわ! お姉さまさえよければご一緒に、と思って……、その……」
アリシアの声が尻すぼみに小さくなっていく。
どうやら、短いとはいえ、エルザの沈黙を拒絶ととらえてしまったらしい。
うつむいてしまったアリシアに申し訳なく思いながら、エルザは彼女と目線を合わせるように前かがみになる。
「いいよ。一緒に行こう」
とたんに、アリシアの表情に花が咲いた。
「まぁ! 本当ですの!? よかった! わたくし、ダグに伝えてきますわ! お姉さまもすぐにいらして!」
エルザの言葉に、アリシアは跳ねるようにして部屋をあとにした。エルザと一緒に出かけられることがよほどうれしかったのだろう。
「なんか、妹ができた気分……」
ぼんやりと彼女の出ていった先を見つめながら、エルザの顔には自然と微笑みが浮かんでいた。
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