第14話
しかし足の裏が床に接触した瞬間、エルザの足は自身の体重を支えきれずに膝から崩れ落ちてしまう。
そのままエルザは、やわらかなクリーム色のカーペットの上に座りこんでしまった。
「な、なんで……?」
なにが起きたのか理解できぬまま、ささいな動作ひとつで呼吸が乱れる。全身がひどく重だるい。
不安定に揺れる視界に、エルザは小さく頭を振った。
「お姉さまっ……」
困惑するエルザを前に、アリシアは泣きそうな表情を浮かべて彼女に両手を伸ばす。
躊躇なく床に膝をついたアリシアの小さな手が、震えるエルザの手をそっと包みこんだ。
「お姉さま、いけません。お体に障りますわ」
「びっくりさせてごめんね」
エルザのすぐそばにしゃがみこんだギルベルトが、ふわりと彼女の髪をなでた。
金糸が夕日に照らされて、透けるようにきらめく。
乱れた髪をおとなしくなでつけられるエルザに、ギルベルトは目を細めた。
「エルザ、お願いだから暴れないでね?」
そう言って、ギルベルトはおもむろにエルザの膝裏に手を回した。
予想外のできごとにギルベルトを拒絶する余裕もなく、彼女はわずかに体を硬直させることしかできない。
軽々と抱き上げられたエルザの体は、ゆっくりとベッドの上へと戻される。
小さく息をついたギルベルトは、ベッドの上でぐしゃぐしゃになっているブランケットをたぐり寄せ、枕元にきれいに畳まれていたカーディガンをそっとエルザの肩に羽織らせた。
「な、んで……」
エルザはおもわず、視線を泳がせながらもギルベルトを見上げた。
彼からはエルザに害をなそうという意識はまったく感じられない。
それどころか、その言動の端々ににじむ気遣いと思いやり。それが余計にエルザを困惑させていた。
「エルザは三日も眠ってたんだ。まだ無理しないほうがいい」
「……みっ、か? そんなに?」
どうりで意識もぼんやりとしているし、体も重いはずだと納得する。
その一方で、どうしてそんな状態に陥っていたのかという疑問がぐるぐると頭をめぐった。
「お兄さまのインタフィアレンスが、強くかかりすぎたせいだと思いますの」
「ごめんね、エルザ。まさか俺の領域内で、エルザが動けるとは思わなくてさ。ちょっと加減できなかったんだ」
ベッドのすぐそばにひざまずき、ギルベルトは本当に申し訳なさそうに眉を下げていた。その様子を見るに、この事態は彼の本意とするところではなかったのだろう。
ひかえめにエルザの白い指先を握るギルベルトに、なぜか胸の奥が小さく軋んだ。
――なんだか、調子が狂う……。
「お姉さま、いま、ダグに栄養たっぷりのスープを用意してもらってますの。あたたかいうちに召しあがってくださいな」
――また、知らない名前……。
にこにこと笑顔を向けてくるアリシアの言葉に素直にうなづけず、エルザの視線はあてもなく宙をさまよう。
部屋にはなんとも言えない沈黙が流れていた。
「……あんたたちは、何者?」
ひとつ息をついたエルザが、ギルベルトとアリシアを交互に見た。
見た目はヒトと変わらない。
彼らの正体をなまじ確信しながらも、エルザはあえて二人にたずねる。
「そうだね、あらためて自己紹介しとくよ。俺はギルベルト。ご存じのとおり、ヴァンパイアだよ」
「妹のアリシアと申します。わたくしもヴァンパイアですの。よろしくお願いいたしますわ」
エルザの言葉に顔を見合わせた二人は、微笑みを浮かべてそれぞれの名を告げた。
アリシアはドレスの裾を小さくつまんで、かわいらしく小首をかしげる。
「それから、もう一人」
ギルベルトの言葉を合図にしたかのように、開け放たれたままのドアがノックされる。
「失礼する」
現れたのは漆黒の短髪に、ルビーのように赤い瞳をもつ青年だった。背はギルベルトより少し高いくらいだろうか。
「アリシアの相棒のダグ」
「ダグラスだ。食事の用意ができたが……」ダグラスは三人の顔を順番に見渡した。
「お前たちも一緒に食うのか?」
「食べるよー♪ エルザはまだ動くのしんどいだろうから、今日はここでディナーにしようか」
「いいですわね!」
「は? ちょ、待っ」
「ギル、テーブルを運ぶ。手伝え」
「ほいほーい」
「ちょ、勝手にっ……!」
決めるなと言いかけて、エルザはギルベルトの背中に手を伸ばした。
だが彼女が引き留める間もなく、ギルベルトはいそいそと部屋を出ていってしまう。
――なんだってこんなことに……!
どうやらこの屋敷の住人たちは、放っておくとどんどん意図しない方向に話を進めていくらしい。それも当事者を置いてけぼりにして。
「エルザ」
「っはい!」
前振りもなくダグラスに名を呼ばれ、エルザは反射的に返事をした。あまりにも平然と呼ぶものだから、疑問をいだく隙もない。
すると彼は、少しばかり目つきの悪い視線をついっとそらすと、骨ばった長い指で小さくクローゼットを指さした。
「お前は、いまのうちに着替えたほうがいい」
「へ?」
「服ならクローゼットにいっぱいあるから、好きなの着ていいよー」
出ていったはずのギルベルトが、ドアの陰から顔だけを覗かせて笑みを浮かべる。
「着替えって言われても……」
ダグラスの指摘を受けてはじめて、エルザは自身の格好を確認した。
肩に羽織ったカーディガンのほかは、薄いシフォン生地のスリップ一枚である。
さすがのエルザも、そのあまりの出で立ちにおもわず言葉をなくした。いくら膝まで丈があるとはいえ、これでは下着姿となんら変わりないではないか。
「っ!? 出てけぇぇええぇぇ!!」
とたんに湧きあがってきた羞恥心に、エルザはそばにあったクッションを思いきりギルベルトの顔面に向かって投げつけてやった。
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