第41話 取引②

「なぜ、そう思うんだ?」

 フィリップは否定しなかった。そして表情からは笑みが消えている。その表情を見て俺は確信した。フィリップはベータであることを隠している…。


「先日、ローレンがマリク様の発情に反応した際、殿下は平然としておられました。お二人はその直前、同じ部屋から出ていらっしゃったのを私は見ています。マリク様は薬のせいで、ローレンの抑制剤も効かないほどのフェロモンを発していたというのに…何故、何も起こらなかったのですか?」

「当然、私も薬は飲んでいる。ローレン達は『運命の番』なのではないか?運命の番というのは抑制剤も効かないらしい…。おいノア、あの二人が運命の番だと信じたくない気持ちは分かるが…。いささか話が強引過ぎやしないか?」

 フィリップは「残念だったな」と、口の端をあげて笑っている。認めるつもりは無いようだ。でも、俺も後には引けない。

「本当に薬を飲んでいたのですか?」

「何…?」

「殿下は元々、抑制剤はオメガが飲むモノだから飲まないと伺っていました 」

「普段はそうだ。しかし、私はマリクを発情させようとしていたのだぞ?発情すると知っているなら当然、薬は飲むだろう 」

「なるほど…。では狩猟に出かけた時…あの時もマリク様は発情しましたが、あなたは無反応だった。その時も薬を飲まれていたということですか?」

「当然だ 」

「そうですか…。ではやはり、殿下の仰っていることには矛盾があります 」

「何故だ?」

「あの日、抑制剤を飲んだローレンは魔力が弱まり武器で戦っていたました。しかし殿下は魔法を使った。大型の猪を一撃で仕留めるほどの威力の魔法を…、です 」

「薬は弱いもの、強いものがある 」

「私もそれは存じております。…ローレンとマリク様を番にしようとマリク様を薬で発情させた殿下が、あえて弱い薬を飲む理由は何ですか?」

 フィリップは俺の問いに一瞬だけ、間を置いた。眉間に皺を寄せ、答えに詰まったようにも見える。

「魔力を失いたく無いからだ。必要、最低限でいいだろう、薬なんて物は… 」

「…そうですか。では…殿下の歓迎の夜会の時、私をオメガと間違えたのは何故です?アルファにはオメガのフェロモンが分かるはずだ。しかし貴方は私の外見だけで、見当違いをされた 」

「…… 」

 フィリップは目を細めて俺を見つめている。俺も、フィリップを見つめた。

「そんな事で…?それはお前の推測の域を出ない 」

「そうです。先ほどの話は…疑わしき状況を積み重ねたに過ぎない。ですから、確実な証拠が必要です 」

「そんなもの… 」

「狩猟の時、私は貴方を引っ掻いて怪我をさせました。その時の血が杖に付いていて…その血を薬液に浸せば、きっと… 」

「…… 」

 フィリップは唇を噛み締め、俺を睨みつける。そして俺を睨んだまま、素早く机の上に刺さったナイフを引き抜くと、テーブルの上に広げた絵に再び突き立てた。

 絵の中俺は、ナイフで刺されて一瞬で無惨な姿に変わった…。

 フィリップがナイフを机から抜いて刺すまで、逃げる暇もなかった。もしかしてそのまま刺されていたかもしれないと思うと、恐ろしくて血の気が引く…。


「…それで、お前の本当の目的はなんだ?」

「ですから、騎士祭りを棄権していただくこと、ローレンの平穏な生活の保証です…。殿下はローレンを殺そうとしておられる。それをやめていただきたいのです 」

「…正気か、お前… 」

「はい… 」

 俺が頷くと、フィリップは吹き出した。


「ノア…お前…、何故お前が今まで生きていられたか分かるか…?」

「…エヴラール辺境伯の、温情… 」

「違う!」

 フィリップは鋭い怒声で俺の言葉を遮る。俺はその声に怯んで、体がびく、と震えた。


「私はローレンを殺すため、お前が使えると思ったから生かしておいたんだ。だが…、やはり、思った通り気付かれていた…。あの時、殺しておくべきだったな 」

「あの時?夜会の後…ジョルジュに俺を襲わせたことですか?」

「ジョルジュ…?そんな名前だったか…。そうだ、お前の同僚に後を付けさせ乱暴して、罪をあの男に被せて殺そうとした。それが失敗した後、狩猟の時も獣に襲わせて殺す計画だったのだ。私は第一王子だ。気に入らないものを堂々と殺すわけにはいかないから苦労した…。それなのに二度もローレンに邪魔をされて…、俺は思い直した。お前を使えばローレンを確実に殺せると 」

「私を使って、ローレンを…?」

 確かに狩猟の時、俺だけ森に取り残された。フィリップはローレンを狙ったと思っていたが、狙われたのは俺だったのか。そこまでしてベータであることを隠したい…そしてその俺を生かしてまで、ローレンを殺したいということ……。

 何故そこまでしてローレンを…?ローレンが陛下の子ということは、フィリップにとって、ローレンは…!


「ローレンは殿下にとって兄弟ではありませんか!なぜ、殺そうだなんて…!」

「そうだ。陛下の子であるローレンは私と血の繋がった兄弟だ…。だから…ローレンがもし、マリクと番になりエヴラール辺境伯に大人しく収まるというのなら、見逃してやろうと考えていた…。アルファは番を大切にする生き物だ。エヴラール辺境伯家の一人息子、マリクと番になれば、エヴラールに残るだろうから… 」

 そうか、それでマリクとローレンを番にしようとしていたのか。フィリップの矛盾するような行動が、少し理解できた。フィリップも、本当はローレンを殺したい訳ではないんだ…!

「私は身を引こうと思っています…!ローレンとマリク様は番になります、だから…ローレンを殺さないで下さい…!」

「ノア、それはもう出来ない。手遅れだ!お前が俺の秘密を完全に知ってしまった以上、ローレンを殺した後、お前を殺すことは決定事項だ 」

「そ、そんな…!」

「夜会の日…お前は俺の第二性に疑問を持った。そんな疑問を持たれたのはお前が初めてだ…。人々は王族はアルファであって当然と思い込んでいるから、疑問など持たないのだ。それなのに…私は、背筋が寒くなったよ。学生の時、お前の手紙を盗み見た時から、ローレンというアルファと恋仲の男、ノアはオメガだと思い込んでいたんだ。私はオメガのフェロモンを感じない…やはり自分はアルファとして生きているがアルファでは無いと再認識させられた…。この私がお前なんかに…!…ノア!」

 フィリップは机に刺していたナイフをまた引き抜くと、俺に向かって突き立てる。ナイフを握っている手はブルブルと震えていた…。

「お前が先に死ねば、ローレンはその理由を、犯人を探すだろう。だからもう、生かしてはおけぬ。お前のせいだ。お前のせいで、ローレンは死ぬ!」

 フィリップの顔は苦しみに歪んでいた。そうだ、兄弟を殺したいなんて普通思わない。だからフィリップも何とか回避しようとマリクとローレンを番にしようとしていた……。俺がフィリップの秘密を暴かずに、大人しく身を引いていれば…!

 

 しかし、第二性がベータと言うのは兄弟を殺してまで、隠さなければいけないことなのだろうか?ベータだって、恥じる事はないはずだ。魔力があまり無かったからこそ、ベータは空に浮かべるランタンを発明した。


「…私のせい…?それは…第二性を偽っている殿下のせいではありませんか…?ベータである事を受け入れて公表していれば私に脅されることもなかったし、ローレンを殺す必要もないではありませんか!殿下はベータでも、獣を一撃で仕留める威力の魔法を使える…優秀な方だ。それなのに…!」

「ノア…お前は全く分かっていない!王族、特に歴代の王は全てアルファだ。優秀なアルファを産ませるために…後宮も充実させている。そうして生まれた、偉大な公爵家出身の王妃との第一王子が実はベータだとは、陛下でさえ思いもよらないのだ… 」

 フィリップは視線を落とした。目を伏せたフィリップの顔は、泣き出しそうに見える。


「陛下はお前の描いた絵を見て、涙を流されたとか…。今、死んだと思われていた番の子が生きていると知り、秘密裏に探しておられる…。もし、番の子の優秀なアルファが見つかり…私がベータの王子だと分かれば…どうなると思う?俺は途端に、いらない子になってしまうのだ… 」

「そんな… 」

 いらない子…その言葉に、胸が痛む。俺は孤児だ。その悲しみは、分かる…。


「お前にこの苦しみがわかるはずが無い。親さえ持たないお前に…!全てを持って生まれたにも関わらず、ベータと言うだけで全てを失う私のことなど…!お前に、第二性を母親から否定された私の気持ちが分かるか…?検査結果を否定され隠蔽され…自分を否定され続けた私の気持ちが、お前なんかに…!」

 確かに、俺は何も持っていないから失う物がない、無敵だった。でも、ひとつだけ大切な物ができてそれは変わった…。今は失うことの悲しみも理解している。


 俺は堪らず、涙を流していた。


「泣くな!お前なんかに同情されたくない!」


 フィリップも涙を流していた。立ち上がると俺の胸ぐらを掴んで、ソファーから引き摺り下ろす。俺を掴んでいた手を勢いよく離すと、床に転がった俺の鳩尾を足で蹴った。痛みで視界に火花が散る…。


「お前は明日まで、生かしておく。ローレンは強いからな、念の為だ。言っておくが、お前の取引には乗らない。お前は私の血がついた杖のありかを材料に交渉しようとしたのだろうが…、無駄だ!私はお前が生きていた痕跡ごとこの世から消す事ができるのだからな!」


再度鳩尾を蹴られたが、意識が遠のきそうになる中、何とか逃げようと抗った。すると、手を足で踏まれ完全に動きを止められる。呻いて横になったはずみで首に下げていたロザリオが服の上に転がり出た。フィリップはロザリオに気付き、まじまじと見つめている。

 

「王妃が貰うはずだった王家のロザリオ…。なぜお前が持っているのだ。……忌々しい。安心しろ、お前ごと、葬ってやる 」



 ああ…。なんてことだ…。ローレンのために、できる事をしようと思ったのに…。


 俺はそのまま、意識を失ってしまった。


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