第42話 親切な男の目的
フィリップはその発言通り、翌日まで俺を殺さなかった。口には舌を噛まないよう布を入れられ、手と身体は縄で縛られ目隠しをされた状態で、どこか薄暗い所に閉じ込められていた。
フィリップは最終的に俺を殺すつもりで、アロワを襲った事もローレンの出自も認めてしまった。そして俺を人質として…ローレンを脅し事故に見せかけ騎士祭りの本戦で殺すつもりだ。もし、そんな事になってしまったら…。早く、ここから脱出してローレンに知らせないと!
逃げ出すために必死にもがいていると目隠しだけは外すことができた。扉の隙間からは僅かに陽の光がさしこんでいる。…夜が明けてしまった。
どうやらここは、フィリップのクローゼットの中のようだ。洋服や荷物が沢山入っている。今、時刻はどのくらいだろうか…?騎士祭りの本戦は午前から始まる。本戦が始まる時間ならフィリップは出掛けているはずだし、騎士団も同行しているはずだ。俺を縛ってクローゼットの中に隠したと言うことは事情を知っている見張りはいないのかもしれない。逃げるなら今だ。エヴラール辺境伯邸の使用人に気付いて貰えれば…!
俺は身体ごと、クローゼットの扉にぶつかった。クローゼットの扉が開けられれば見つけてもらえる可能性は高くなる。
何度かぶつかってみたが、扉は開かない。何か…錠でも付けられているのかも知れない…。でも、諦めるわけにはいかない。俺が、もう一度身体をぶけようとした時、窓が開く音が聞こえ、部屋の中に誰かが入ってきたのが分かった。その人物の足音はずいぶん控えめで慎重だ…。
足音の主はフィリップではないと判断して俺は思いっきり扉にぶつかった。すると、足音はこちらにゆっくりと近づき、扉の前で止まる。
足音の主は音を立てないように、そっと近づくと慎重にかんぬき錠の横木をずらし扉を開ける。
「ノア…!」
「…アロワ先生…!ご無事で…!」
扉を開けたアロワの顔を見て、俺は激しく動揺していた。だってアロワは家で襲われたはずだが…。殺されてはいなかった、無事だったんだな…?
「ああ。運良く…襲われた時に、家を開けていたのだ 」
「そうですか… 」
アロワが俺の絵を自分の絵と偽り王宮に提出したと知った後だったから、俺はアロワの無事な姿にほっとするというより、戸惑いの気持ちが上回っていた。
「昨日、ノアに声を掛けようと後をつけていて、辺境伯邸へ行き生垣をつたって殿下の部屋へ入る姿を見たんだ。その後…姿を現さないから、フィリップ殿下に捕まったのではないかと心配した。それで、騎士祭りが始まって使用人が手薄になった頃合いを見計らって来たんだ…。間に合ってよかった!」
俺のあとをつけて、辺境伯邸へ入ったと言うこと…?俺の信用を利用して邸に忍び込んだアロワに、助けてもらったとはいえ少しだけ苛立った。アロワは縄を切って俺の拘束を解く。
「アロワ先生…。ありがとうございます 」
「ノア…!」
アロワは感極まった様子で俺を抱きしめた。抱きしめられた途端、今度は恐ろしくなって腕から逃れようと抵抗したが、アロワの方が力が強く離してもらえない。
「離してください!」
「ノア…!すぐに王都へ向かおう!ここは危険だ…!」
「嫌です!嘘をつく人を信頼して、ついて行くことなど出来ません!」
「私が、嘘をついたと?」
「私の絵を自分の絵だと偽り、宮廷に提出したではありませんか!」
「ノア、それは『嘘』などではない 」
何故、それが嘘でないと言い切れるのだ?事実、この人は自分の名前で俺の絵を宮廷に提出した事でフィリップに殺されかけたというのに…!
「ノアは私が三年間手塩にかけて育てた『作品』だ。その作品が描いた絵…。しかも、私達は結婚する…。同じ、『デムラン』を名乗るのだ。ならどちらの名前でも同じだろう…?」
「あなたとの結婚を了承した覚えはありません!」
「私は男は初めてだが、大丈夫だ。以前ノアとローレン様の情事を聞いた時、ちゃんと反応したから…問題ない 」
「い…嫌です。離してください…!」
アロワは嫌がっている俺を更に抱きしめて耳元で囁く。
「ノア…お前には私しかいない。あの方…ローレン様のことは諦めろ。お前の手には届かない高貴な存在だ 」
「なぜ、そんなに詳しいのですか…?アロワ先生は以前からずっと、知っているような口ぶりでした 」
そうだ。アロワはずっと、ローレンが陛下の番の子だと知っているような口ぶりだった。なぜそれを知り得たのか、俺は疑問に思っていた。
「私が陛下にローレン様の姿絵を届けしたのは、二度目なのだ。一度目は産まれてすぐのお姿を描いてお届けした 」
「産まれてすぐ?」
「そうだ。まだ駆け出しの…小さい挿絵しかかけない、有名でない私だったから白羽の矢がたったのだ。陛下の番が極秘で出産した赤子の姿絵をお届けした後、私は宮廷画家となった 」
アロワは言い終わった後、表情を曇らせた。あまりいい思い出ではない、と言うことなのだろうか?
「それで秘密を知ってしまい今も命を狙われて…隠居生活を?」
「それは違う…逆だよ。陛下は私をお抱えの宮廷画家として雇い、守ってくださった。身分も、金も十分過ぎるほど与えて下さった 」
ではなぜ、隠居生活を…?そしてなぜ今更…。俺の描いたローレンの絵を持っていったのだ…?
「ノア…。なぜ、という顔をしているな?それはな…陛下は金も身分も与えたが、また私に『絵を描け』とはおっしゃらなかった。宮廷画家になったのに…私は何も仕事を与えられなかったのだ。私は番の子を口外されないために、金と身分を与えられたに過ぎなかった。つまり口封じだ…。初めは宮廷画家という身分に浮かれてい私も現実を知るにつれ、冷水を浴びせられたように急速に夢から覚めていった 」
アロワはいつもの表情の読めない顔ではない…悲しみに目を潤ませた。
「虚しかった…全てが色褪せて見えて、絵など描けなくなってしまった。その後…ローレン様と陛下の番…ローレン様の母親が殺されたと聞かされた 」
ローレンの母親が殺された…?病弱で儚くなったと聞いていたが、まさか、殺されていたなんて…。
「私はローレン様を描いた時に、母親から祭りの話を聞いていたのだ。『私の故郷では運河の空に、ランタンを浮かべる。それを我が子に見せたい』と、仰っていて…。そこからエヴラール領を知り…ローレン様を見つけた 」
「それで、いつも教会に?」
「そうだ。いつも、ローレン様を見ていた…。ローレン様の絵ならまた、描けるかもしれないと思ったのだ。そして成長した姿絵を描けば、また陛下に…そう、夢見ていた。しかし、納得する絵はついに描けなかった 」
アロワが俺の募金箱に必ず、寄付を入れてくれたのはただの親切では無く、ローレンを見ていたからなのか…。
「その時だ。ローレン様を見ていて私はノア、お前を知った。ローレン様は毎週、ノアが持つ募金箱に寄付をいれる。ノアの後をつけて、ノアが飼っていた猫に餌をやって…。ローレン様はノアに恋をしたんだな…。そして、その後お前もローレン様を… 」
アロワは「二人とも初恋だったのだろう?」と、微笑んだ。
「恋するお前の絵は想像以上だった。愛と、夢に溢れていて…、陛下もあの絵を見て涙を流された。そして初めて陛下は私に仕事を言いつけた!口封じの身分、金だけではなく、初めて、絵を描けとおっしゃった…!それも即位二十年の記念の絵を、だ!」
アロワは思い出して興奮したように俺を見つめ、潤んでいた目からついに涙を溢した。でもやはり俺には疑問だった。アロワはそれで本当に良いのだろうか?
「でも、あれを描いたのは私です。先生じゃない。確かに絵は教えてもらいました。でも…例え、結婚したとしても私が描いたという事実は変わらない 」
「ノア、『私たち』だよ。私たちは一心同体だ 」
…話にならない。第一、俺はこんなことをしている場合ではない。もう騎士祭りが始まっているとアロワは言っていた。早くここを出ないと、ローレンがフィリップに殺されてしまう…!
「ではあの絵は差し上げます。だからもう離してください!早くここを出ないと…!」
「離さない。言っただろう?ローレン様のことは諦めろと。陛下の番の子…ローレン様を陛下は秘密裏に、探しておられる。ローレン様は番の子と言うだけでない、アルファであり、数ヶ月ではあるがフィリップ殿下の兄にあたる。これがどういうことか分かるか?」
「……!」
「お前は私と行くしかないんだ。秘密を知っている以上、陛下に守っていただくしかない。さあ、一緒に行こう!」
ローレンがフィリップの兄…。しかもローレンはアルファでフィリップはベータだ。フィリップはきっと本気でローレンを…。ローレンにこのことを伝えなければ…ローレンが危ない!ローレンのもとへ行こうと抵抗する俺を、アロワは離さず強引に手を引いた。
「痛っ!」
先ほど、フィリップに踏まれた手をアロワに握られて思わず痛みに呻いた。アロワは俺の手の腫れを見ると俺の頬を平手で打った。
強く頬を打たれた衝撃で、俺の身体はぐら、とよろめく。アロワは憤然とした顔で俺に近付き、今度は俺の手をそっと掴んだ。
「画家が手を怪我するなんて…!絵が描けなくなったらどうするつもりだ!」
アロワに怒鳴られて、俺は恐怖した。この人が心配したのは『手』だけだ。俺の身体のことなんて、何も気にしていない。この部屋に入って俺を見つけた時からずっとそうだ…。
俺はアロワの手を逃れて、一歩後退る。
「先生は私と結婚しても辛くなるだけです。先生は私を愛しているのではなく、私の絵…、絵を描く手が欲しいだけだ。でもそんなことをして満たされるのですか?本当に…?」
「……愛している、お前の才能ごと… 」
「アロワ先生…嘘だ。間が、あった 」
「黙れ!」
「アロワ先生、やめてください!先生が無償で私に絵を教えてくれたこと、感謝してもしきれません。あの絵は先生が描いたことにしていただいて結構ですから…だからもう、離してください!」
「うるさい!もう王都への迎えは来ている!早くしろ!」
アロワはそう言って解いたはずの縄をまた手にした。
「先生…私が先生に絵を習おうと思ったのは、生業としていきたいという気持ちもありましたが、先生の絵が好きだったからです。いつか見せていただいた本の挿絵、素敵でした。あの絵を描く、あなただから三年も師事したんだ。だから自分の手で、描いてください!でなければきっといつか…!」
結局、満たされずまた不満がたまるはずだ…そう言おうとしたが、アロワの手で口を塞がれてしまい言えなかった。
「大声を出すな…。家の者に気付かれたらどうする…!」
アロワは涙を流しながら、俺に怒鳴った。そして、反対の手で俺の身体に縄を回す。
「いや…っ!」
「愛している…。人の痛みに共鳴してしまう、心優しく不幸な出自のお前を…!」
アロワは俺の身体を縄で縛った。そして背中に担ごうと後ろを向く。
「せ、先生…!」
後ろを向いていたアロワは、部屋に入って来た人物に気が付かない。その人物は足音も立てずに、アロワに近付いた。これは…消音の魔法…?その魔法のせいで、俺の声もアロワには聞こえないようだった。
その人…マリクは後ろからアロワを蹴り飛ばした。
「逃げられないぞ…ノア…。フィリップ殿下に見張るよう言われている 」
マリクは静かに告げると、アロワをあっという間に拘束した。
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