四章

第40話 取引①

 ローレンは俺を心配して、家に帰さずに修道院に預けた。ウルク司祭は俺がいた部屋がまだ空いているからと、特段何も聞かずに受け入れてくれた。


 

 しかし俺はローレンが帰ったことを確認してから、一度家に戻った。狩猟の時にフィリップに投げつけられた杖を取りに、どうしても戻りたかったのだ。杖を持ち出すと修道院に戻り、それを修道院の寝台の下に隠した。


 これまでのことを考えると、騎士祭りの本戦でローレンは危険な目に遭うだろう…。それだけは避けなければ…、絶対に。


 騎士祭りの前日は教会の主聖堂で祈った。ローレンと別れる前に一つだけ、ローレンの身を守るため自分に出来ることをしたい。何も持っていない俺だから、俺にできることはこれしかない…。上手くいくだろうか?


 祈りを終えると俺はエヴラール辺境伯邸へと向かった。先日マリクのヒートを抑えたこともあって特段怪しまれずに邸の中に入ることが出来た。




 日が暮れて夕食が終わると、フィリップは貴賓室に戻る。そして、庭園に面している二階の居室で過ごすのだ。俺が庭園に着くと、既に庭まで、部屋の明かりが漏れ出ていた。


 俺はフィリップの居室のガラス窓に小石をぶつけた。


フィリップは、黙って窓を開けると、すぐに俺に気がついたようだ。


「なんだ、一人で来たのか?」

「はい。殿下にお話があって参りました 」

「ふ…。お前が私に?まあいい、上がってこい 」

 俺は生垣を伝い、必死で壁をよじ登った。やっとの思いでバルコニーの手すりを掴むと、フィリップが俺を見下ろしている。


「お前…。このまま俺がお前の手を手すりから離すだけで死ぬな?」

 フィリップがくすくすと笑うので、俺はゾッとした。慌てて、バルコニーに足を掛けてよじ登る。


 フィリップは俺がよじ登るのを待たずに、バルコニーから、室内に戻る。俺もフィリップを追いかけて、室内へと入った。


「壁を登ってくるなんて猫のような…いや泥棒猫だ…。マリクの愛しい男を寝取った、泥棒猫… 」

「…ね、寝取った?!」

「事実だろう?偽善者ぶるのはよせ。使えていた主人の想い人を寝取って離さない。お前、見た目によらず随分具合が良いのだな?」


 部屋の中に護衛はおらず、フィリップ一人だった。フィリップが腰に剣も杖も差していないのを確認しておれは少しだけ安堵した。フィリップは豪華な応接室のソファーに腰を下ろすと、俺に向かい側の椅子に座るよう目で合図する。機嫌のわからない顔で、テーブルの上に用意されていたグラスに飲み物を注いで、俺に手渡した。


「…ようこそ、ノア。ちょうどお前に会いたいと思っていたんだ…歓迎する 」


 俺は飲み物が注がれたグラスを前に身震いした。酒のようだが、何が入っているか分かったもんじゃない。


「ははっ!賢明な判断だ…。それ、毒薬だよ?」


 フィリップはまたくすくすと笑っている。真偽不明だが…俺は近くのテーブルにグラスを置いた。


「今夜はフィリップ殿下と酒を飲むのではなく…、取引がしたいと思い、参りました 」

「取引?私と…?」


フィリップは酒の入ったグラスを手でつまらなそうに揺らす。


「お前のようなものが、私に差し出せるものなど無いだろう… 」

「取引するものは『モノ』ではありません 」

「モノでは無い?では何だ…?…待て、当ててやる。そうだな… 」

 

 フィリップは口元を手で触り、少し考えた後ニヤリと笑った。


「…私を脅しに来たんだろう?マリクに強制発情剤を飲ませた…と。しかし…証拠はあるのか?」

 薄々そうでは無いかと思っていたが、やはりそうだった。マリクに解毒薬を飲ませた後、医師からエヴラール辺境伯へ報告が上がり、調査をする過程でフィリップの耳に入ったのかもしれない。

「それもそう予想していましたが、別の事です 」

「何だ違うのか…。では…これか… 」


 フィリップはソファから立ち上がると、壁際にある机から一枚の紙を取り出し、テーブルの上に広げた。これは…。


「この絵…… 」

 それは俺が描いた絵の写しだった。やはりフィリップの知るところであったようだ。

「宮廷画家、アロワ・デムランが描いた絵だ 」

「アロワ・デムランが描いた絵?…それは…… 」

「何だ、アロワに絵を習っているのに知らなかったのか?アロワ・デムランは元々国王陛下直属の宮廷画家だった。碌に作品も作らず何処かへ消えたと思ったら…こんな絵を描いて、陛下の即位を祝うつもりだとか…。笑わせる 」

 フィリップは忌々しげに言うと、袖の中から細いナイフを取り出し、絵の中のローレンをテーブルごと突き刺した。


 衝撃でグラスが音を立てて揺れる。


フィリップの行動は恐ろしいモノだったが俺は反応出来なかった。だって…。


「この絵は、アロワ・デムランが描いたと宮廷に提出されたのですか?でも、これは俺が描いた…… 」

これは確かに俺が描いた絵だ。それをアロワは持っていって…。まさか、自分が描いたと偽って宮廷へ…?

「まさか『俺が描いた絵』だとでもいうのか…?これはこれは…!ははっ!」

 フィリップは俺が騙されたと察知し、声をあげて笑っている。

「確かに…。この絵をお前が描いたというのは頷ける…。私は信じよう。これを描いたのはお前だと 」

 フィリップは絵に刺したナイフを抜いて、テーブルの上に置いた。指で、ロザリオで祈っている俺を指差す。

「これはお前の夢を描いたんだろう?ベータのお前が決して番ないアルファと結ばれる絵を描いたというのに…それを盗まれてしまったと言う事だな?全く、可愛らしいなあ…ノアは… 」

俺は王妃になりたかった訳ではない。ただ…この絵を描いて認められれば、少しでもローレンに近付けると思った…。薄々分かってはいたが…、やはり純粋な理由で俺の絵が選ばれた訳ではなかったんだ。宮廷画家アロワ・デムランの絵であるということ、そしてこの絵の王が…。

「てっきり、この絵を見てローレンが巷で噂されている陛下の番の子だと気が付き、私を脅そうとしたと思ったのだが…。これがお前が夢見心地に描いた絵で、盗まれたものとなると、分からないな…。一体お前は、何を材料に俺を脅そうとしているんだ?俺がアロワを襲わせたことか?」

 フィリップの質問に俺は絶句した。

 フィリップはあっさり、アロワを襲ったこと、ローレンが陛下の庶子であると認めてしまったのだ。ローレンは陛下と、番の子だと…。あまりの予想外のフィリップの発言に、自分が動揺しているのが分かる。

「早く答えろ。私は忙しい 」

「…脅しではありません、取引です。私があなたの秘密を口外しない代わりに…ローレンに危害を加えないで欲しい。騎士祭りを棄権してください。ただ、それだけです 」

「…健気なやつだなあ…ノア。しかし、その秘密とは何だ?俺はローレンを殺すつもりだ。ローレンが陛下の庶子であることなど、私を脅す材料にはならないぞ?宮廷画家のことなど、論外…」

 ローレンを殺すつもり…だからあっさり認めたんだな?分かってはいたが、その平然とした様子が恐ろしい。背中を、冷たい汗が伝う。

「分かっています。そのことではありません 」

「そうか、それ以上の秘密、ということだな?」

「ええ…。殿下にとっては… 」

「勿体つけるな。くだらない内容ならどうなるか分かっているな?」

「分かっています 」


 俺はゴク…と生唾を飲み込んだ。


「フィリップ殿下はベータだ。アルファじゃない。」

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