第38話 毒

「おい…。いい加減ローレンを楽にしてやったらどうだ?ローレンのあの様子を見ただろう?」

 

 いつの間にか、フィリップが厩までやって来ていた。フィリップは可笑しいと言わんばかりに笑っている。


「全く…ローレンの痩せ我慢には笑わせてもらった。まさか足を刺して、正気に戻るなんて…!」

「おかしくありません…!全然、おかしくない!」

「ふぅん…。ノア、お前どうあっても『運命』…神に逆らうつもりか?余程、強制労働所へ行きたいと見える 」

「…強制労働所?フィリップ殿下はエヴラールの罪に随分とお詳しいのですね?まるでマリク様のような事をおっしゃるではありませんか。…あなたとマリク様は…そういえば、浄めの儀式の前、同じ部屋にいらっしゃいました 」

 俺はローレンを馬鹿にされた怒りに任せて、思っていた事を口にした。フィリップはふん、と目を細めて笑う。

「そう生き急ぐな、騎士祭りは直ぐそこ。私はローレンに勝つだろうが…その時…大丈夫だ、ローレンは殺されはしない。高位の神官が術をかけた剣を使うのだからな…。ふふ 」


 …どう言うことだ。まさか、ローレンを……?


 フィリップは意味深に微笑むと行ってしまった。


 フィリップに言い返したのは…自分の中の行き場のない気持ちを誤魔化すためだった。

 フィリップに言われるまでもなく、俺も理解している…。本能に抗うなんて…想像以上の苦しみのはずだ。このままではまた、俺はローレンに辛い思いをさせてしまう。

 アルファのローレンがオメガのマリクと番になることは自然の摂理。そしてマリクと番になれば例え王子に命を狙われたとしてもエヴラール辺境伯家がローレンを守り、ここを出て家族と別れる必要もなくなる。

 …ローレンのためにも俺が身を引くべきだ。分かってる。分かってるんだ…そんなことは。


 好きな人には笑っていて欲しい。苦しんで欲しくない…。


 俺は、家に帰ってローレンの血のついたナイフを洗った。冬の冷たい水でナイフを洗い、頭が冷えたのかふと、ローレンに抑制剤を持って行った方が良いのではないか?と思い至った。

 たしかローレンは家の食器棚に薬袋を置いていたはず…。食器棚を探すと薬袋があったので、それを引っ張るとその下にあった銀貨のようなものが床に転がって落ちた。


 ――メダイだ。


 アロワの家にあった物と、非常によく似ているが…少しだけ違う。これは…強制労働所に送致されたジョルジュから送られた物だ。


 俺はアロワの家にあったメダイと、ジョルジュのメダイを並べて比べた。模様は少し違うが、聖人のモチーフの縁に少し窪みがある。そこを指でずらすように押し出すと…ロケットの蓋のように聖人のモチーフが外れた。


 中には小さな紙が折り畳んである。

 

 中の紙には、震える文字で『王子に嵌められた』と書かれていた。


 ジョルジュはフィリップに抑制剤を盛った罪を俺に着せるため、俺を襲ったことで捕まったのだが…。

 よく考えたら、おかしかった。いくら王子とはいえ、あの時はみなフィリップに抑制剤を飲んで欲しいと思っていたし、フェロモンに対する抑制剤は死ぬような薬でもない。きっと、ジョルジュもエヴラール辺境伯家を首になる程度で済んだはずだ。実際医師はそうだった。それなのに、何故俺を襲った…?


 フィリップに、そそのかされたということか…?



 取り敢えず、ローレンに薬を!…それから…。

 俺はローレンの薬を手に、家を飛び出した。





 エドガー邸に薬を届けた後、俺はエヴラール辺境伯邸に向かった。


 邸に着くと、マリクを診察した医師が帰る所で運良く会うことが出来た。


「ノア…。来たか。薬は飲んでいただいたんだが、効きが悪くてな…。今は暴れる元気も無いご様子… 」

「そうですか…。その、先生の見立てはいかがですか?アルファに誘発されたとはいえ、こんなに頻回に発情期は来る物なのでしょうか?それとも… 」

「…それとも?」

「…故意に起こした…。もしかして、その可能性は…?」

 俺は恐る恐る、医師に尋ねた。

 マリクがエヴラール領に戻ってから二ヶ月余りで頻回に起こるはずのない発情期が三回も来ると言うのは、アルファがいて誘発されやすい環境とはいえ、多過ぎる。


「…確かに私も、おかしいと思っていた。もし、そうだとすると、抑制剤ではなく、解毒薬の方が効くかもしれない!」


 医師はそう言うと、踵を返した。急いで解毒薬を調合し、俺を伴ってマリクの部屋に入る。

 マリクは寝台でぐったりと横になっていた。はぁはぁと苦しそうに息をしており、こちらを気にする元気も無いようだ。

 医師は俺にマリクを抱き起こさせ、解毒薬の水薬を飲ませた。いつものマリクなら暴れそうな物だが、大人しく薬を飲んでいる。余程、辛かったのだろう。



 しばらく医師と様子を見ていると、マリクの呼吸は徐々に落ち着いていった。


「…ノアの言う通りだったな 」

 医師が立ち上がったので、俺も医師の後をついてマリクの部屋を出た。

「強制発情薬かも知れない。…そういったものが、あると聞いたことがある。ほぼ毒薬だがな 」

「毒薬…?」

「娼館で使われて問題になった事があった…。エヴラール辺境伯は港で取り締まっておられるが、何処からか入ってしまったのかもかしれぬ…。しかし、マリク様が何故… 」

 マリクは、ローレンと番になる為に、薬を使ったのかもしれない。マリクはローレンが好きだから、たぶんその一途な想い故に薬に手を出してしまった。そしてその、薬を用意し、けしかけたのは…。


「ノア、助かった。私はエヴラール辺境伯様に報告して来る。この事は…… 」

「分かっています。他言しません 」


 医師と別れて俺は教会に向かった。

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