第37話 浄めの儀式
騎士祭りの本戦では相手を殺さない為、神の加護…高位の神官が魔術を掛けた剣を使用する。騎士祭り直前、教会で行われる浄めの儀式で騎士はその剣を拝受されるのだが、剣を授ける役は、エヴラール辺境伯家の嫡男が代々行ってきた。マリクがオメガと分かってから暫く辺境伯自身がその役を担っていたが、女性とオメガの身分向上という王都の流行に沿って、また今年からマリクが行うことに決まったらしい。
先日、マリクは発情したばかりだから、すぐには発情しないはず…そう頭では分かっていても、俺はマリクとローレンが至近距離で接することが怖かった。二人は、アルファとオメガで、抑制剤が効かない、運命の番かも知れないのだ…。
「抑制剤も飲んだから大丈夫だよ。ノア…俺はお前の方が心配だ 」
ローレンは俺の腰に下げてあるナイフを取り出して紙を切り、切れ味を確認する。
「なるべく、近い席にいてくれ 」
「うん…ウルク司祭に頼んでみる 」
俺たちは教会の裏口から入って、内陣の裏側に位置する控え室に向かった。控え室に入ろうとすると、ちょうど、控え室の奥にある貴賓室からマリクとフィリップが出てきたところだった。
「邪魔だ。フィリップ殿下を先にお通ししろ 」
マリクに言われて俺たちは一歩後退った。マリクは控え室の扉を恭しく開ける。フィリップはこちらをチラとも見ずに控え室に入っていった。
マリクはフィリップを控え室に送ると、俺たちを睨んだ後、貴賓室に戻っていった。
「ノア、主聖堂で待っていてくれ 」
ローレンも「行ってくる」と言って、控え室へ入って行ってしまった。
俺は浄めの儀式に招待してくれたウルク司祭を探して主聖堂へ向かった。主聖堂で待っていたウルク司祭は俺を身廊の端、一番前に呼び寄せた。
「ノア、椅子がなくて済まない。でもここからならもしマリク様に何かあったら直ぐに駆け出せるだろう?頼んだぞ!」
ランタンを作ったお礼だと言っていたのに、すっかり仕事になっている。でもそれは俺にとっても有難いことだったので、素直に頷いた。
開始時刻が近づくと、主聖堂は満席となった。礼拝より人が多い気がする。俺は緊張で、手に汗をかいた。どうか、何事もなく終わりますように……。
儀式は鐘の音と共に始まった。
まず、決勝戦への出場権を得た騎士達が内陣へ並ぶ。その後、神官に付き添われてマリクが入ってきた。マリクの白い法衣姿は、繊細で美しい外見とあいまって、本当に神の使いのよう…。外陣の観客達もため息を漏らした。
全員で聖句を詠み、黙祷した後、いよいよ騎士達が剣を拝受する。
予選の日程順に並んだ騎士達は一日目から順番に剣を受け取る。予選の一日目はフィリップだ。マリクはフィリップの目の前まで行き、跪くフィリップに合わせて屈むと両手で剣を手渡した。
手が触れ合う距離だが、何も起きなかったので俺はほっと胸を撫で下ろした。フィリップもアルファだ。フィリップで反応がなければ、まず問題ないだろう、そう思ったのだ。
二日目の騎士はベータ性だ。彼も何事もなくマリクから剣を受け取った。
三日目がローレン…。
ローレンは跪き、目を瞑っていた。
マリクが恭しくローレンの前に跪くと、ローレンは金色の睫毛を瞬かせて、マリクを見た。深い緑の美しい瞳に、繊細で神の使いのようなマリクが映し出されたのが、横側からでも分かった。
その瞬間、二人は見つめ合ったまま、固まった。
何秒か後…マリクは持っていた剣を落とした。マリクが剣を落とした大きな音が主聖堂に響く。ローレンはまるでマリクが剣を落としたことに気付かないかのように、それを拾わずにマリクを凝視していた。
見つめられているマリクの頬がどんどん紅潮していく。いや、マリクだけじゃ無い。ローレンもだ。
しかも…ローレンも、反応している…!
今朝も、抑制剤を飲んでいたのに…!?
俺は二人とは反対に顔から血の気が引いた。
「おい、何やってる。早くしろ!」
しん、と静まり返った主聖堂で、声を発したのはフィリップだった。フィリップは二人を見て、袖で口元を隠すと、ニヤリと笑った。
「何だ…また
フィリップは笑いながらウルク司祭に向かって指示した。まさか、教会の中でそんな事…。
ウルク司祭が驚いて固まっている間にマリクはついに、ローレンの胸へと倒れ込んだ。ローレンも抵抗せず、マリクを抱きとめ、マリクを熱のこもった目で見下ろしている。
見ていられない…。あのまま、二人は…。いや、これが初めから『運命』だったのだ。俺はベータで、アルファとは番になれないのだから。
もう、その場から立ち去ろう…そう思った時だった。
「ノア!来てくれ!ノア!」
ローレンの叫ぶ声が聞こえた。俺は反射的に、身廊の端から前の内陣まで走っていた。
「ローレン!」
ローレンの名を呼んで、ローレンの背中をさすった。ローレンは俺の手を握る。
「泣くなよ、ノア…。大丈夫…… 」
フェロモンに反応し熱に浮かされたような顔でローレンは言うが、大丈夫なはずが無い。
「ノアには笑っていてほしい 」
「俺もだよ…ローレン。ローレンには苦しんでほしくない。笑っていて欲しい… 」
好きな人には笑っていて欲しい。だからこれ以上苦しまないでくれ。もう、行っていい…。俺はそう、言おうとした。
「ノアを泣かせる奴は許さない。それが例え俺であっても 」
ローレンは胸にいたマリクを静かに引き離した。マリクは支えを失い、後ろに崩れ落ちる。
ローレンは俺の手を握っていた、反対側の手で俺の腰に下げていたナイフを抜くと、自分の太ももに突き立てた。筋肉を突き破る、耳障りな音が鳴る。
「………ッ!」
「ローレン!」
小さく呻くと、膝に突き立てたナイフを引き抜いた。ナイフに血が滴ったままローレンは俺の腰にナイフを戻すと、勢いよく立ち上がる。
「ロ…、ローレンっ!!」
「ノア、大丈夫だ。目が、覚めた…!」
そう言って、ローレンは俺を引っ張って内陣を出て、出口に向かって中央の身廊を歩いていく。
余りの出来事に、主聖堂は水を打ったように静まり返っていた。
教会を出ると、ローレンは俺を連れたまま、厩に向かった。怪我をした状態のまま、乗ってきた馬に跨る。
「ノア、すまない…今日は送れない。俺はエドガー邸へ行く 」
「ローレン!お、俺も…!」
「来るな!…いや…来ないでくれ!来たらお前を抱いてしまう…。でも、こんな、他の…、オメガのフェロモンでお前を抱きたくない…!わかってくれ!」
「…わかった… 」
「明日、お前の家に帰る。今日は、戸締りをして… 」
「うん… 」
ローレンは俺の返事に頷くと、馬を走らせた。後ろ姿が見えなくなって、蹄の音が完全に聞こえなくなるまで俺はローレンを見送った。
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