第12話 変わらなくていい

「――お背中の流し方ってこんな感じでいいんでしょうか?」

「い、いいと思う……」


 さて……曽我部さんがガチで風呂場を訪れて、僕の背中を流し始めている。


 ただし幸いにも水着姿だった。


 昨日買った白ビキニを夏の海でおろすんじゃなくて、僕んちの風呂場でおろしてくれたという現状。


 僕も自衛のために一応学校の水着を穿いてスタンバっていたので、決して危うい状態ではない。


「前、失礼しますね」


 背中を洗い終えて、曽我部さんが前方に回り込んできてくれる。


 白ビキニ姿の曽我部さんが視界をドンと占領。


 陶磁のようなツヤのある、綺麗で色白な胸や太ももにどうしても視線が行ってしまう。

 そんな中で曽我部さんはほのかに照れた表情を浮かべている。

 目が合うとはにかんでいた。


 曽我部さん……ホントに無理してないんだろうか。

 だとしても、もうちょい大人しめでいいと思うんだが。


「よろしければ、わたしの身体も洗います……?」

「い、いやそれは遠慮しとく……」


 僕は恋愛に興味がないけど女体への興味は普通にある。

 そんなことをしたら理性が崩壊しかねない。


「ふふ、東海林くんになら、別にいいんですけど」


 ……いいわけあるか。


 所詮ニセ交際なんだから。


 とにかく僕は色々と流されずに勉強を頑張りたい。


 ニセ交際に協力はするけど深入りはしない。


 当然のことだ。


 そんなことを考えながら、しきりに身体を触らせようとしてくる曽我部さんの謎誘惑になんとか耐えきって風呂の時間を安全に終わらせた。


 それから僕は自室で1人、勉強に集中させてもらうことになった。


 曽我部さんには宿泊用の別室でくつろいでもらっている。

 さすがにもう、母さんへのアピールは要らないからな。


「――お風呂でいかがわしいこと、しなかったでしょうね?」


 そして、日和が窓越しに話しかけてきたのは、もうまもなく日付が変わろうかという時間帯のことだった。


 日和は僕がこのくらいの時間帯に勉強をやめて休むことを知っている。


 要するに茶々を入れるタイミングを図っての、コレ。

 こいつなりの気遣いなわけだ。


「しなかったさ」

「カノジョなのに?」

「付き合ったばかりだから、なるべくプラトニックに行こうとしてるんだよ」


 適当に誤魔化すと、日和は、


「……そう」


 と、どこかムスッとしていた。


 理由はなんとなく分かる。

 

 きっと面白くないんだろう。


 僕がニセ交際を始めてから、目に見えて日和との時間が減っている。


 疎外感があるのかもしれない。


 僕自身、日和を埒外に追いやっているような感覚がある。


 それには申し訳なさがある。


 騙している罪悪感というか。


 だから、元気付けてやるべきかもしれない。


「散歩、一緒に行くか?」

「え」

「気晴らしに歩いてから休もうと思っててさ」


 ウソだ。

 日和を表立って元気付けるのが恥ずかしいから、散歩という理由をでっち上げて、それとなく元気付けようとしているに過ぎない。


「……散歩なら、アリシアさんと行くべきじゃないの?」

「お前と行きたいんだよ」

「――っ、な、なんでよ……」

「なんだっていいだろ……まぁ、一緒に行きたくないならこの話はなかったことに――」

「い、行くわ……っ」


 日和は慌てたように食い下がってきた。


 乗ってくれて、ホッとする。


 そんなわけで、僕らは外で合流した。


 特に会話もなく、あてどなく歩く。


 ……誘ったはいいけど、どうやって元気付けたらいいんだろうか。


 マズったな、早まった。


 でも日和がちょっとムスッと拗ねている原因が疎外感であるなら、こうして一緒に歩いているだけで効果はあるのかもしれない。


「……」


 隣を歩く幼なじみは、本当、黙っていれば可愛いヤツだ。


 こうして黙って一緒に歩く時間は嫌いじゃない。


 腐れ縁だが、こいつとの間には醸成された空気がある。


 会話がなくても気まずくはない。


 その点は、曽我部さんと過ごす時間よりも気楽だ。


「ねえ」


 そのときだった。


「私……圭太と距離を置いた方がいいのかしら」


 日和がいきなりそんなことを言い出して、僕はちょっと面食らってしまった。

 


  ※side:日和※


 

 率直に言って、日和は圭太のことが好きである。


 しかし天邪鬼な性格ゆえに自分から告白したら負けのように思えており、昔から告白に踏み切るどころかむしろ煽ったりなんかして、色々とワケの分からない空回りをし続けている。


 そんな日和としては、圭太にアリシアというカノジョが出来たと聞いたときはもちろんショックだった。


 隠れて泣いた。


 だから今日の日中、アリシアが『圭太に他の女子がアピールしてきても許容するかもしれない』的なことを言ったとき、ラッキーだと思った。


 しかし一方で、だからといって本当に圭太へのアピールをすることが正解かと言えば違うんじゃないか? と思う遠慮のような感情が日和にはあった。


 当の圭太からすればアピールされても迷惑かもしれない。


 アリシアが気にせずとも、圭太が迷惑に思うならアピールしてもしょうがない。


 むしろ黙ってフェードアウトすることを望まれているかもしれない。


 だから日和は今、


「私……圭太と距離を置いた方がいいのかしら」

 

 と言ったのである。


「……なんだよそれ」

「だって……アリシアさんっていうカノジョが居るんだし、私が夕飯のサポートしたり、そういう出しゃばり、迷惑なんじゃないの?」


 実際、圭太の母はアリシアを受け入れつつあって、別に日和じゃなくても良さそうにしていた。

 もちろん本心は分からないが、日和にはそう見えていた。


「圭太だって……アリシアさんと仲良くする時間を増やしたいでしょうし、だったら私との時間を無にすれば、色々上手くいくでしょう? だから……」

「違う」


 圭太の鋭い声が響いた。


「日和、それは違う」


 そう呟く圭太の目は、真摯にまっすぐだった。



   ※side:圭太※



 僕は他人の心を読むのが苦手だ。


 勉強にはハッキリとした正解があるけど、他人の心にはハッキリとした正解なんて用意されていない。

 

 いやまぁ、正解はあるにはあるんだろう。


 けど、それを僕の方から「確実にこうですよね」と立証出来ないから、他人の心を読むのは苦手だし嫌いだ。


 それでも、口に出してくれればイヤでも気付けることがある。


「日和、それは違う」


 僕がニセ交際を始めてからの、日和の内心がよく分かっていなかった。


 圭太のくせにカノジョなんて作って生意気だわ、と軽く妬んでいるだけだと思っていた。


 でもそうじゃなかったらしい。


 日和はやっぱり疎外感を感じていて、あまつさえ僕と距離を置こうと思うところにまで思考が達していたらしい。


 だから僕は言ってやった。


「それは違う。僕はそんなの望んじゃいない」


 日和は口を開けば茶化してくるウザいヤツだ。

 だけど、そんなヤツでも距離を置いて欲しくはない。

 僕と曽我部さんは所詮ニセ交際。

 そこまで気を遣ってもらう必要はないし、何より――


「僕は結構、お前との時間が好きなんだよ」


 曽我部さんと過ごす時間はソワソワしてしまって落ち着かない。

 勉強に集中すれば関係ないが、普通に歓談したりするのがちょっと。


 片や日和との空気感は、言うなれば老夫婦みたいなモノであって、別に会話なんてなくてもいい。

 沈黙さえも間を埋めるスパイスであって、僕はどちらかと言えば日和との時間の方が落ち着ける。


「ウソよ……そうやって心にもないことを言わなくていいわ」

「ウソじゃない。僕はお前と軽口叩く方が性に合ってる」

「……じゃあなんでアリシアさんとくっついてるのよ」

「それはそれ、これはこれだし、曽我部さんとはこれから変わっていけばいい。けどお前が変に思い詰めて変わる必要はないんだよ」

「圭太……」

「だから距離を置こうとか、そういう変なこと、考えなくていい。母さんも結局、曽我部さんを認めはしつつもまだお前に軍配が上がる的なこと言ってたからな」

「……そうなの?」

「ああ」


『アリシアちゃんって良い子だけど、小さい頃の思い出だけでアンタにベタ惚れなの湿度高すぎてコワない?』


 って、身も蓋もない批評をしていた。

 僕が入浴後に麦茶を汲みに行ったらコッソリそう言われたのだ。

『その点、ヒヨちゃんはずっと縁があるしなんだかんだ優しい子やから安心やんねぇ。やっぱりまだヒヨちゃんしか勝たんわぁ』とも。


「そうだったのね……」

「ああ。だから距離なんて置かなくていい。今まで通り、変わらなくていいんだ。突っかかって来いよ」

「……ホントに?」

「ホントさ」


 そう告げると、日和は感極まったように顔をくしゃっとして、その場にしゃがみ込みながら顔を覆い隠し、小さく肩を震わせ始めていた。


 だから僕は、柄じゃないがその肩をぽんぽん叩いて慰める。


「圭太……ありがとう……」

「気にすんな」


 やっぱり僕は、こいつを嫌いになれそうにない。

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