第10話 疑念

「いきなりのお泊まり宣言、申し訳ないです。驚かせてしまいましたよね?」

「あ、いや、別にいいんだけどさ……逆に大丈夫か?」


 ひとまず曽我部さんを僕の部屋に招いている。

 

 ガラスのローテーブルに筆記用具を展開しての勉強タイム中。


 曽我部さんが来るってことで、部屋はもちろん綺麗にしてある。


 匂いはどうだろうか。


 変なリアクションはされなかったし、問題無いと思いたい。


「大丈夫とは?」

「(いやほら、ニセ交際のために無理して泊まろうとしてないか? ってことだよ)」


 お隣の日和対策で小声。

 互いに窓が開いているから、聞かれないように。


「(それはないです)」


 対策を察してくれたようで、曽我部さんも小声化。


「(わたしは自分にとってのヒーローともっと親しくなりたくて、お泊まりを申し出ただけですから)」


 うぐ……ドストレートな決意表明。


 ……でもそれはあくまでLOVEじゃなくてLIKEってことですよね? 


 だってLOVEの方だったら、ニセ交際じゃなくて最初から普通に告白してくるはずだし、そうしてないってことは……うん、そうに違いない。


 そうさ、曽我部さんが僕にガチ恋してるだなんてありえない……。


「(……まぁ泊まりに関しては部屋余ってるし、今日はのんびりしてってくれれば)」

「(はい、ではそういうことでよろしくお願いしますね)」


 ……かりかりかり。


 僕らは勉強に意識を向け直し、シャーペンを走らせ始める。


 ふぅ、落ち着く。


 乱れた心は勉強で癒やすに限る。


 勉強が嫌いって言う人を理解は出来るけど、僕は好きだから同調は出来ない。

 

 だって勉強は誰でも無償で出来る最高の投資手段だ。


 僕のような苦学生であっても、知識を得る行為に時間を投資出来ればある程度の将来は約束される。


 にもかかわらず遊びほうけて脇道に逸れる輩は理解不能。


 投資すべき物事に投資してこなかったヤツが報われないのは必然だ。


 だから僕はそうならないために勉強を頑張る。


 それがひいては自分のためになるし、母さんをラクにすることにも繋がるんだから。



   ※side:アリシア※



(凄い集中力です……)


 勉強タイムが始まって1時間ほどが経過した。


 アリシアがたびたびペットボトル飲料を飲んで休憩を図る一方で、圭太は最初のお喋りタイムを除けば完全に自分の世界に入り込んでおり、こちらを見向きもしない。


(……執念を感じますね。必ずや良い将来を目指すのだという)


 離婚の影響で苦学生だという圭太は、その状況を打破することに全身全霊をかけているがゆえに甘えがないのだろう。


 アリシアもヨナのために医者を目指しているので勉強に抜かりのない日々を送っている自負はあるものの、圭太は更にその上を歩んでいるように思える。


(顔の前で手を振っても無反応、ですね……)


 一心不乱に問題を解き続ける圭太は完全に没頭している。


 一体どれほどまでならその集中を維持していられるのか、アリシアは少しイタズラ心を掻き立てられてしまう。


(えい)


 圭太の膝にそれとなくボディータッチ。

 しかし無反応。

 そのまま太もも周辺をさわさわしても集中を乱してはくれない。


(む……なんだか悔しいですね)


 ニセとはいえカノジョと2人きりだというのに、アリシアへの興味が無さ過ぎるのではないかと思ってしまう。


(でしたら……)


 アリシアはブラウスのボタンをふたつほど外し、胸元をあらわにさせた。

 垣間見える谷間を深くするために胸をブラの内側で寄せて上げ、圭太にそれが見えるようにテーブルに身を乗り出してみた。

 しかし無反応。


(……むぅ)


 アリシアはほっぺを膨れさせた。

 凄まじい集中力は素直に尊敬するが、あまり面白いものではない。


「――ふふんっ、せいぜいDカップくらいの貧相な胸じゃ圭太の集中力は途切れないということよ」


 そのときだった。


「私ならやれるでしょうけどね」


 どこか自信ありげな言葉と共に、50センチも離れていない隣家の窓からこの部屋に侵入してきたのは――


「あ、親方」

「誰が親方よ!」

「はーどすこいどすこい」

「煽りよるわねあなた……」


 ちょっとピキッとしているのは何を隠そう日和である。

 アリシアのイタズラに触発されて訪れたようだ。


「体脂肪率何パーですか?」

「だまらっしゃいっ」


 日和はドカッとアリシアの隣に腰を下ろしてくる。

 その格好はキャミソールとホットパンツ。

 アリシアより一回り以上大きな胸の谷間が丸見えだった。


 ちなみに圭太の集中力に陰りはない。


「ふんっ、男は多少むっちりしている女子の方が良いらしいわよ? カノジョなのに見向きもされないアリシアさんはもう少しむちむちした方がいいんじゃないかしら?」

「太ももが競輪選手みたいな人は黙っててください」

「競輪選手並みに健康的過ぎるってこと? ふふん、ありがとう」


(……ポジティブですね)


 煽りが効くときと効かないときの差がよく分からない。


「ともあれ、大人しく見ているといいわ。幼なじみボディーで圭太なんてイチコロなんだから」


 そう言って胸の谷間を圭太に見せ始める日和。

 ちょっと恥ずかしそうにしているのが同性ながら可愛らしい。

 しかし、


「無反応ですね」

「ぐぬぬ……」


 圭太の集中力は驚異の没入っぷりのようだ。


「煮え切りませんが、ここは引き分けとしておきましょうか日和さん。東海林くんの勉強を妨害したいわけではありませんから、ここまででよいかと」

「そうね、異論はないわ。にしても、勉強バカで困るでしょう?」


 呆れたような表情で、日和は圭太に目を向けていた。


「せっかくカノジョが来ているのに、コレなんだもの」

「いつもこうですか?」

「そうよ。一度集中すると自力で覚めるか強い刺激が加わるまでこう。勉強の虫らしい特性よね」


 勝手知ったる物事であるように、日和は圭太について語っている。

 やはりアリシアよりも、日和の方が圭太に詳しいのだ。

 アリシアとしてはそこが少し悔しい。


「本当にもう、圭太は本当にこうよ。――だから、圭太とアリシアさんの交際に関しては、やっぱり少し不思議に思える部分があるのだけれど?」


 日和はその目をアリシアに向け直してきた。

 何かを探るような眼差しだった。


「圭太って、おばさんとおじさんの酷い離婚劇を間近で見ている影響で恋愛に興味がないヤツなのよ。ずっと成績最上位だからたびたびコクられることもあるけど、そういうのは全部お断りしているくらい徹底的にね。とにかく将来のために勉強の権化と化している感じかしら」

「……何が言いたいんですか?」


 アリシアは喉が渇く感覚に包まれる。

 そんな風に問いかけつつも、日和の言いたいことはなんとなく分かっている。

 だから直後に返ってきた言葉は、予想通りのモノだった。


「まぁだから、圭太がアリシアさんと付き合ってるのってやっぱりおかしいのよ。実はなんらかの事情ありきの――ウソ交際なんじゃないの?」


 アリシアの心臓がひとつ、大きく跳ねた。

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