第6話 譲れない

 ――勉強なんてしなくて済むならしたくない。

 

 誰だってそうだろう。


 でもこの国でなるべく良い将来を歩もうと思ったら、最低限ある程度の大学を出ていないと話にならない。


 僕が今勉強を頑張っている理由はふたつ。


 ひとつは、貧乏ゆえに特待生枠を目指している、ってこと。


 もうひとつは、良い企業に就職して母さんをラクにさせたい、ってことだ。


 両親が離婚に至るまでには紆余曲折あったけど、母さんは何も悪くなかった。

 むしろ親父がダメ過ぎたせいで家のローンとか諸々1人で背負って頑張らざるを得なくなっている。


 そんな母さんをいずれラクにさせたいから、僕は今勉強を頑張っている。


「――ねえねえ圭太ぁ~、よければカノジョちゃんと会・わ・せ・て?」


 しかし週末を迎えたこの日、僕はその母さんから背中を撃たれかけていた。


「え?」

「いやね~、やっぱ母親としてはぜひ拝んでみたいんよ。アンタが幼なじみのヒヨちゃんを押しのけてまで選んだ子をさ~」


 土曜の昼下がり。

 まだ出勤前で起きたての母さんが、だらしない薄着姿でへそをボリボリと掻きながら僕の部屋に顔を覗かせてきてそう言ったのだ。


 ――めんどい……。


「別に今日じゃなくていいからさ、都合付かん?」

「……なんで会いたいんだよ」

「今ゆーたやん。ヒヨちゃんを押しのけた子の品定め」


 ……日和派ゆえに納得いかない部分がある感じか。


 どうする……。


 ここで断ったら怪しまれてニセ交際が見破られるか……?


 ……母さんにバレたら日和にも伝わって学校にまで伝播しそうなのが怖い。


 でも断ったくらいでさすがにそこまではいかなそう……。


 むしろニセ交際の地盤を固めるならこの話は断らずに乗っかるべきな気がする。


 ……ひとまず曽我部さんの意見も伺うべきか。


「一旦カノジョに連絡させてくれ……もしOKの返事が返ってきたら会わせてもいい」

「おけおけ。じゃあ色よい返事を期待しとく~」


 そう言って母さんが部屋をあとにする。


 さて……連絡してみるか。


『――あ、はい。そういうことでしたら明日お伺いしますよ』

「……いいのか?」


 通話に出た曽我部さんは乗り気だった。


『ニセ交際のリアリティーを高めるにはちょうどいい機会ですし、わたしの演技がどこまで通用するのか試すのにもちょうどよいと思いますので』

「とはいえ、本末転倒感ないか? これに力を入れるのは」


 その時間で勉強した方が良いと思うけど。


『それはその通りですが、言うなれば息抜きのつもりです。逆に東海林くんが時間の無駄だとお思いでしたら、お断りしても大丈夫ですが』

「んー……」


 悩む。

 迷う。

 けど、確かに息抜きのつもりでやるのはいいかもしれない。

 根を詰め過ぎても良くないもんな。


「分かった。じゃあやろう」


 そう告げると、曽我部さんは嬉しそうな気配を醸し出していた。


『東海林くんのおうちにきちんと入れるの、楽しみです』

「ローンがたんまり残ってる普通の一軒家だけどな」

『では、わたしが義理の娘となって返済のお手伝いを致しましょうか? なんて。ふふ』


 お淑やかジョーク、炸裂。

 日和にもこの雰囲気を見習って欲しいが、まぁ無理だろうな。


『それでは、明日の昼下がりにお邪魔しますね』


 そんな感じで予定が決まり、曽我部さんとの通話が終わった。

 母さんにはあとで伝えることにして、ひとまず勉強を再開。


「――ねえ圭太、ちょっといいかしら?」


 ところがどっこい、50センチも離れていない隣家の窓辺から声が。

 視線を向けなくとも分かる。

 外見完璧、性格特級呪物の幼なじみがこっちを見ているんだろう。


「……何か用か?」


 視線を向けずに応じる。

 

「明日、アリシアさんが来るの? 話の断片だけ聞こえたんだけど」

「……盗み聞きしてたのか?」

「しょ、しょうがないじゃない……窓を開けていたら勝手に聞こえてくるんだから」


 ……まぁそれは確かにそう。

 僕もたまに日和がBL音声作品を再生しているのを聞かされるからな。

 勘弁して欲しい。


「つ、付き合って数日でおばさんに挨拶させるだなんて、幾らなんでも気が早いんじゃないかしら?」


 日和はなぜか不服そう。


「それは僕も思ってるけど、母さんが会いたいって言うんだから仕方ない」

「ふん……まぁでも、世話焼きな私の影響でおばさんはきっと目が肥えているわよ? アリシアさんを気に入ってもらうハードルはエベレストくらいあると思った方がいいわね」


 母さんの態度的に、試す気満々なのは実際そうだと思う。

 母さんは日和派だし、結構穿った目で曽我部さんを見てきそう。

 でも別に母さんに気に入ってもらう必要はないんだし、ニセ交際の演技だけしっかり出来ればそれで問題はない。


「で? お前は今そんな会話がしたいだけなのか?」

「あ、いえ……違うわ。用件は別」

「なんだよ」

「実は、その……買い物に付き合って欲しいのよ」

「買い物? ……何か裏がありそうだな」


 疑うのにはワケがある。

 だってこいつ、小学校を卒業した頃を境に僕とめっきりプライベートでの外出をしなくなっている。

 そういう年頃になったと言えばそれまで。

 しかしだからこそ、ここに来ていきなり誘ってくる理由が謎だ。


「う、裏なんてないわよ……ぼちぼち夏物の水着が出始めたみたいだから、どれが似合うかアドバイスが欲しいだけであって……」

「水着ぃ? だったら尚更僕を誘ってくるのおかしいだろ」


 僕にファッションセンスはないし、それは日和も分かっている。

 にもかかわらず僕を誘うなんておかしい。

 しかも水着とかいうちょっとセンシティブな買い物に僕を誘うなんて絶対におかしい。


「……何を企んでる?」

「な、何も企んでなんかないわよっ。別に圭太とデート気分を味わいつつ可愛い水着も選んで欲しいっていう目的は存在しないから安心するといいわ……!」


 ……まさかそのツンデレ構文が本音だったりするんだろうか?

 いや、さすがにそんな分かりやすい人間が実在するはずがない。

 企みは本当になくて、純粋に誘ってくれただけなんだろう……多分。


「い、行きたくないなら別にいいわよ……勉強の邪魔をしている自覚、あるもの」


 だそうで。

 ううむ……どうしよう。

 断って勉強したいけど、日和を騙している心苦しさがあるし、買い物ぐらいなら付き合ってやってもいいか。

 でも電車賃掛かりそうなのがな……苦学生には電車賃も痛い。


「……ちなみに電車賃は出すわ」


 僕の心を読んだかのように日和がそう言ってきた。

 お、そうか……なら、


「分かった……じゃあ行こう」

「――い、いいの? ありがたいけど、付き合いたてのカノジョが居る男の行動とは思えないわね……」


 うぐ……確かにそこは不審ポイントか。


「じゃあ待て……一旦曽我部さんに報告して許可が出たら、だ」


 ニセ交際だけど、こういうところでリアリティーを出していくのは大事だろう。


 というわけで、


【今から日和と水着を買いに行くことになったけど、別にいいよな?】


 と、曽我部さんに確認のメッセージを送る。

 すると――


【わ た し も い き ま す 👿】


 返ってきたお言葉には、そこはかとない威圧感があった……。

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