第5話 夜のひと幕
「あ、おかえり圭太。母さんもう出るからね」
「ああ、仕事頑張って」
曽我部さんの家から帰宅した僕が最初に捉えた光景は、玄関でヒールを突っかける母さんの姿だった。
タイトな黒いドレスを着ている茶髪の派手派手ウーマン。
駅前のスナックで働いている僕の唯一の肉親だ。
このくらいの時間帯(午後7時前)に出勤して帰ってくるのは朝方。
まだ30代半ばで一応美人だと思うが、声が年中酒焼けしている。
「夕飯はいつも通りヒヨちゃん頼っといて。来てくれてるから」
案の定、日和がすでに夕飯を作りに来ているようだ。
香辛料の香りが漂ってくる。
今夜は日和お得意の自家製野菜のカレーかな。
「てかアンタ今日遅くない? どこ行ってたん?」
「えっと、まぁ……実はカノジョのもとに」
ニセ交際がどこからバレるか分からんので母さんにもウソは貫いておく。
「カノジョ!? アンタ今カノジョゆーた!?」
「な、なんだよ悪いのかよカノジョが居たら」
「極悪! ヒヨちゃんおるのに何しとんっ!」
……そうだった、母さんは日和推し。
日和が僕の世話を焼いてくれるから印象が良いんだと思う。
「ホントにヨソでカノジョ作ったんっ!?」
「あ、ああ……」
「かぁ~っ、幼なじみ負けさせたらいかんって古事記にも書いとんのに……」
「……どこの古事記だよ」
今をときめく歴史改ざんはNG。
「でっ!? そのカノジョって一体全体どういうカノジョなん!? ヒヨちゃんよりドスケベな身体しとん!?」
「なんでいの一番に訊いてくるのが身体なんだよ……」
「だって男女が付き合えばヤることヤらんわけがないんやから、パートナーはええ身体しとるに越したことはないんよ! その点ヒヨちゃんは可愛くておっぱいデカくて元気な赤ちゃん産めそうな良いケツしとるからね~」
中身オッサンだろこの人……。
「……いいから仕事行けって」
「時間ないからそうするけど……はあ、普通幼なじみ選ぶやろー」
納得出来ないと言わんばかりに首を傾げながら、母さんは出勤していった。
どこの普通なんだよソレ……。
「――お・か・え・り。愛しのアリシアさんのお宅訪問は楽しかったかしら?」
それからリビングに顔を出すと、日和が嫌味ったらしく僕を振り返ってきた。
部屋着のノースリーブ黒シャツと紺のハーフパンツという出で立ち。
調理中ゆえに長い黒髪はポニテモード。
何度見ても顔やスタイルだけなら最上級の女子。
これで性格が曽我部さん寄りだったら無双出来ただろうに。
いや……現状でも無双中ではあるか。
今日も放課後に呼び出されているところを見た。
でもこの分だといつものようにお断りして帰ってきたんだと思う。
なんで誰とも付き合わないんだろうこいつ。
「まぁ楽しかったよ。夕飯はまた野菜カレーか?」
「ええそうよ。またとか言って文句があるなら食べなくていいわよ」
「食うよ。そのために曽我部さんの手料理断って帰ってきたんだからな」
「――っ、そ、そうなの?」
「ああ」
本当なら曽我部さんの手料理、食べたかった。
でもだからといって日和の良心を無下にするのは違う。
苦学生だからこそ、食べ物を粗末にしたくはない。
「ふ、ふーん……私のためにそんなことを……。な、ならもうちょい待っておくといいわ……まだ煮立てているところだから」
日和はなぜか照れ臭そうにそっぽを向いてニマニマと笑っているように見えた。
なんのニヤけだ。
今日のカレーに自信があるのか?
首を傾げながら、僕は自室に移動して部屋着に着替えた。
それからリビングに戻ると、日和は引き続き鍋を眺めている。
僕はソファーでフラッシュ暗算アプリを起動して頭の体操を始めた。
「ねえ……アリシアさんの家で何をしてきたの? 勉強だけ?」
不意に問われたので「そうだよ」と素直に応じておく。
「へえ、カノジョの家に行ったのに勉強だけ?」
そこは確かに不審ポイントか……。
「ま、まだ付き合ったばかりだからな……お互いさぐりさぐりでそれくらいしか出来なかったんだよ」
誤魔化すように答えると、「……まぁそういうものかしら」と一応納得しているようだった。
「ところで圭太……ごめんなさい」
「……ごめんなさい?」
急になんの謝罪だろう。
「……非モテじゃなかったから」
「あー……」
煽り散らかしていたことに対してか。
「別にいいって」
そもそも謝られても困るんだよな……許すつもりがないとかそういうことじゃなくて、曽我部さんとの交際はニセモノなんだから、僕は非モテのままではあるし、なんなら日和を騙し始めているわけで。
だから謝られてしまうと、ちょっと心苦しくなってしまう。
どうせなら憎たらしいままで居ろよ。
まぁ……謝罪は嬉しいけどな。
「でも私、別に応援はしないから」
ぷいっ、とそっぽを向きながら、日和は火を止めていた。
ぼちぼち完成のようだ。
「応援しないのは、まぁご自由に」
僕だって日和に彼氏が出来たら多分応援しない。
だってなんか微妙に面白くない気がするし。
……もしかしたら日和は今そういう気分なんだろうか。
日和は大皿に炊き立ての白米とルーを盛り付け、食卓に並べ始めてくれた。
「はい、冷めないうちに食べるといいわ」
食卓に移動してカレーとご対面。
日和んちの野菜がゴロゴロ入ったカレー。
味は食わなくても分かる。
旨いんだよ。
早速スプーンで頬張ってみれば、案の定だ。
「じゃあ私は自分んちで食べるから」
「……おう、カレーありがとな」
「ふん、別にいいってことよ。それと一応言っておくけど……」
「なんだよ?」
「アリシアさんが合わないと思ったら私に泣き付くといいわ。……あんな高貴な女子と付き合うよりも、農家の娘によちよちされる方が圭太にはお似合いなんだから」
「なんだそりゃ……」
また変なことを言いやがってからに。
……でもそれはひょっとしたら日和なりの心配の仕方なのかもしれない。
「よちよちと一緒におっぱい吸わせてくれるなら考えてやるよ」
けどそんな真意があるかは不明なので軽口には軽口で返しておく。
「ば、ばかっ。おっぱいなんて吸わせるわけないでしょえっち……!!」
日和は割とシモの話題が苦手なヤツで、おっぱいという単語を出すだけでもすぐに照れてしまう耐性の無さだ。
「ふんっ、アリシアさんにも同じ調子でえっちな話題を出しまくってさっさとフラれてしまえばいいのよっ。ばかばかっ」
そう言って日和はリビングを出、玄関から立ち去っていった。
やれやれ……相変わらずうるさいヤツだ。
でもきっちり謝ってくれる程度には、一応良識を持ち合わせた嫌いになりきれない腐れ縁。
頬張るカレーはやはり美味しくて、このためだけにさっさと帰ってきたことに対して後悔は湧かなかった。
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