第1.5話 回想 政秀の自害

 まだまだ風の冷たく、衣替えなどとは遠い日のことだった。儂は、織田弾正忠家おだ だんしょうちゅう けの家督を継いだばかりで、尾張一国の大名でもなかった。それは、亡き父上の敗戦や儂の奇行のせいで、家中が大いに荒れていた時期に起こった。


「政秀が謀反だと!?」


 儂はあまりのことの重大さで、思わず声を荒げてしまった。慌てて声を潜め、家臣に詳細を話すように促した。


「で、あるか。

どういうことだ?」


 家臣は暗い顔色で、淡々と報告した。


「三河守様亡き後、多くの方々が勘十郎殿こそが当主に相応しいとして、殿がいらっ  しゃらない場で謀反の計画を立てていますが、その中に佐渡守様や紫微舎人様もいるとのことです。」


 林佐渡守秀貞はやし さどのかみ ひでさだの謀反ならば、既に知っていた。あまり乗り気ではなさそうだったから、うまく泳がせて逆にこっそりと情報を引き抜こうと思っていたのだ。


 しかし、まさか政秀も、とは。あのお節介で、熱過ぎる愛情が偽りのものだと思うと、胃がズンと重くなり、沸々と何かが湧き上がってきそうだった。


 儂は、なるべくいつも通りの表情にして、家臣をそっと帰らせた。奴の最後の言葉が、儂の耳に一日中残っていた。


「紫微舎人様は、全力でことを為そうとしています。

某は一刻でも早く、殿が当主として家中をまとめあげることを願っております」


 🥀 🥀 🥀


 その日から数日が経った。儂の心はいまだにソワソワとしていて、落ち着きがなかった。特に、平手の名を聞くと、平常心がまるでなくなった。別に欲しくもない馬を、政秀の息子から奪ってしまったこともあった。


 我慢ができなくなったある日、儂は鷹狩に出かけることにした。もちろん嘘だ。本当は、政秀の様子を探るためだった。ありがたいことに、反対する者は一人もいなかった。


 儂はたった一人で、こっそりと政秀の屋敷に忍び込んだ。独特な匂いのする書物や文の束をかき分けて、やっと政秀の書斎についた。


 政秀は真昼だというのに明かりをつけ、ブツブツと呟きながら文をしたためていた。儂は束が集まって山と化しているところの影から、できるだけ政秀に近寄った。やっと聞こえたのがこうだった。


「急ぎ、ことを進めなくては。

これは、織田弾正忠家の存続に関わることだ。

当主は一人で、一人で十分だ」


 次の瞬間、気がつくと儂は家に戻っていた。家路の様子を、儂は全く覚えていなかった。


 🥀 🥀 🥀


 政秀は、大きな危機感を覚えていた。それは、織田弾正忠家の当主の現状である。


 現在の当主は、もちろん織田三郎信長おだ さぶろう のぶながだ。しかし、実のところ政務などを取り仕切り、実質的な当主だったのは織田勘十郎信勝おだ かんじゅうろう のぶかつだった。


 信長は軍事には稀有な才覚を見せているものの、政務や外交といった内政全般が不得意だったのだ。おまけに、普段は他人に優しいのだが、身内に何かあると平常心を失ってしまう。


 一方で、信勝はその真逆だった。軍事でこれといった活躍は記録されていないが、内政は亡き父親の織田三河守信秀おだ みかわのかみ のぶひでを凌駕するほどだった。また、普段から生真面目で几帳面なため、非常時においても冷静にいられた。


 つまり、このままでは必ず、家督争いが起きてしまう。政秀は、大きな危機感を覚えていた。


 来る日も来る日も、暇さえあれば、政秀は屋敷の一室で文をしたためていた。全ては殿である信長のために。政秀は信勝派の家臣たちを、ひたすらに説得していた。


「急ぎ、ことを進めなくては。

これは、織田弾正忠家の存続に関わることだ。

当主は一人で、一人で十分だ」


 そう呟き、自らを叱咤激励しながら。


 🥀 🥀 🥀


 儂のお忍びから数日が経ち、家中ではとある噂が流れていた。


「平手紫微舎人様でさえも、遂に三郎殿を見放したようだ」


「あの紫微舎人様が?

斯様に三郎殿へご熱心であったというのに?」


「何でも、斎藤入道道三さいとう にゅうどう どうさんと手を結び、殿をご支援なさるそうだ」


「成る程、だから今、入道と交渉なさっていらっしゃるわけで」


 儂は、情報に敏感だった。次々と明らかになる政秀のものと言われる陰謀で、儂はある決断を迫られていた。


 🥀 🥀 🥀


「いつの間に、そのような根も葉もない噂が!」


 政秀は、美濃国から尾張国へ戻る途中に噂を耳にし、心の底から驚いた。そして、大きな焦りを感じていた。


 このままでは、良くて隠居、普通ならば斬首ほどの罰を受けることになる。別に、それだけならば良いのだ。政秀は、信長に絶対の忠誠を誓っている。命令を拒否するつもりはない、……それだけで済むならば。


 政秀は現在、織田弾正忠家の筆頭家老次席であり、それは家臣団のナンバー2であることを意味する。そのナンバー2の粛清は、おそらく様々なことを巻き起こすだろう。


 まず挙げられることは、道三との交渉の決裂である。


 政秀は、道三を主君に会わせることで、信長の後ろ盾になってもらうつもりだった。更に、道三と息子の斎藤新九郎利尚さいとう しんくろう としひさとの間の不和を利用して、織田弾正忠家の影響を美濃国まで拡大させたかった。


 そのような魂胆が見え見えの交渉が成立したのは、斎藤親子の深刻な不仲と、政秀の類まれなる交渉能力の賜物である。つまり交渉の決裂は、信長の身の危険そのものなのだ。


 次に挙げられることは、家督争いの火蓋が突然切られることだ。


 政秀の粛清は、信勝派の家臣にとって、


「たとえどんなに身分が高く優秀だとしても、この信長に逆らうのであれば、容赦しない」


というメッセージに他ならず、焦った家臣たちが一致団結し、信長に歯向かうことは十分に予想できる。


 だが、これだけ悪いことがあっても、政秀は死ななければならない。なぜなら、政秀のお咎めなしは、信勝派の家臣にとって、


「謀反をしても、お咎めはない」


という甘々なメッセージに他ならず、家臣たちの謀反や出奔が常態化するだろう。


 実際に後年の織田家がそうなるとも知らず、政秀は熟考を重ね、噂に対する一つの答えを導き出した。


 家臣の一人に、彼を呼ぶように伝えた。


「至急、佐久間半羽介を呼んでくれ」


 佐久間半羽介信盛さくま はんばのすけ のぶもりは、政秀の文によって心を入れ替えた数少ない味方である。


 🥀 🥀 🥀


 儂は、腹を括った。別に、政秀を粛清しようと決断したわけではない。儂は政秀に直接会い、真意を訊こうと決意したのだ。


 流石に今回は証人として、儂を信頼し家中での地位も高い叔父の織田孫三郎信光おだ まごさぶろう のぶあきを連れている。更に、信光は政秀と親しいようなので、儂にいろいろな情報もくれる。


 信光は道中、呟くようにボヤいた。


「しっかし、五郎左衛門がいくら何でも、謀反は有り得ないんじゃあ

あいつは堅物で、忠義は某と良い勝負なのに……」


 五郎左衛門とは、政秀の通称だ。残念なことだが、当時、惟住越前守長秀これずみ えちぜんのかみ ながひでの影は今より更に薄かった。


「儂もそうは思ったが、実際に見てみると……」


 絶対儂に対する発言だろ、と内心ツッコミながら、儂は言った。すると信光は、待ってました!とでも言わんばかりの笑顔で口を開いた。


 こういう時の信光は、大抵儂にとって都合の悪いことを言う。煮ても、焼いても食えない奴だ。どうして、政秀と仲が良いのだか。


「殿、それは以前行かれた鷹狩のことですか?

一人で行かれるとは、流石殿!

しかし、今度行かれるときは、必ず某にお伝え下さい。

心配で、心配で、たまらないのです!」


 おそらく本心だとは思うが、何故発言に説得力がないのだろうか。儂はとりあえず、適当な相槌を打った。


 🥀 🥀 🥀


「「会えないだと!」」


 儂と信光の叫びはピタリとハマり、政秀の屋敷前で面会拒絶を食らった。


 モブ顔の門番は、申し訳なさそうに政秀からだろう伝言を言った。


「只今取込み中のため、明日以降にして頂きたい、と」


「しかし、殿の所望だぞ!」


 珍しく、信光が慌てていた。できることならば、儂はその顔をじっくりと見たかったが、今はそういう訳にもいかない。


「信光」


 儂はそれだけ言い、目配せをした。承知したという信光の瞳の返事を合図に、儂らは刀を振りかざした。


 命が惜しければ、乱世で門番はしない方が良い。


 🥀 🥀 🥀


 政秀の屋敷は以前来たときよりも、明らかに文や書類の束が増えていた。儂らは速足で、政秀を探していた。何だか、とても嫌な予感がしたのだ。あの警備といい、屋敷といい。


 書斎にいたのは、政秀ではなく信盛だった。


「何故、お前が……」


 儂の呟きに対し、信盛は悲しそうな表情と一通の文で答えた。


 信光が文を受け取り、それを儂に渡した。儂は文を広げ、中を見た。それは、政秀から信盛宛への文だったが、受け取り人は儂を想定していた。


 🥀 🥀 🥀


 謹啓


 事後報告になり、誠に申し訳ありませんが、天文22年閏1月13日(1553年2月25日)に某は腹を切らせていただきます。まず、このことは某の独断と偏見による判断のため、佐久間半羽介様は今回のことには一切関わっておらず、ただこの文と殿を託したのみであることを先に書きます。


 某が自害する理由は、幾つかございます。


 1つ目は、某の謀反が全くの虚構であることを、身をもって示すためです。自分で書いていて恥ずかしいことではありますが、某は殿が5歳になられた頃からずっと仕え、その忠義は殿のみに向いております。そのことを、殿がお分かりになられていらっしゃるのではと某はよく思ってしまいます。


 2つ目は、家中の謀反を最小限な形で収めるためです。殿は既にお分かりになられていらっしゃることで、某が再び申し上げることは心苦しいですが、織田勘十郎様の謀反はより現実味を増しております。他の勢力との共同による謀反は何としてでも避けるために、家中の火種となった某が自ら引くことに致しました。


 さて、実を書くと、某には殿にお願いして頂きたい義が多くございます。しかし、全てをここにしたためると、殿には大きな重しとなる故、3つのみに絞ります。


 1つ目は、殿の傾いた奇行をお止め頂きたいことです。最も、これは殿こそが一番よくお分かりになられていらっしゃると某は愚考しているため、お止めになる時期はいつでも大事ないと思われます。ただ、早ければ早い程良いかと。


 2つ目は、殿が軍事だけではなく、内政にも目を向けて頂きたいことです。内政は、過去の成果が積み重なってできた、軍事における最も大切な土台にございます。大殿が、守護でも守護代でもなく織田大和守様の一家老であられた、三河守様が斯様に躍進できたのは、ひとえにしっかりと整備された尾張国だからこそです。


 3つ目は、ご家臣との関わり方です。当主といっても様々な形があり、某では具体的な理想像を申し上げられないのですが、これからの殿に必須の方々をここで申し上げます。


 まずは、織田孫三郎様です。あのお方は腹黒ですが、忠義心は某に負けておりません。特に謀略の腕は尾張国のみで収まるものではないでしょう。


 続いて、佐久間半羽介様です。あのお方は殿と合わないときも多々あると聞き及んでおりますが、面倒くさい任務も嫌な顔をせずに引き受けて下さる稀有なお方です。もし失敗なされても、必ず挽回の機会をお与えになって下さい。最も、これは全ての家臣の皆様に当てはまることではありますが。


 最期に、某は、真に、誠に、一時でも若様のお側に仕えることができ、果報者です。                                恐恐謹言


尚、辞世の句をここにしたためます。


曇りなき 今日の青空 越えて飛ぶ 行方も知らず いつの世にか      以上


                  1月12日(1553年2月25日) 平手中務丞

佐久間半羽介殿


 🥀 🥀 🥀


 儂は文を読み終わると、もの欲しそうな目で見ていた信光に渡し、速攻で政秀を探しに行った。


 信盛は儂を止めず、ただそこにいた。文を読み進めている信光からは、


「五郎左め……、儂と同じことを言いよって……」


という涙声が聞こえたような気がしたが、その時は既に儂は書斎にいなかった。


 🥀 🥀 🥀


 政秀は、青空が広がる庭で介錯もつけずに、たった独りで腹を切っていた。


「政秀!」


 儂は、思わず政秀に駆け寄った。まだ、政秀から出る血は生々しい。まだ、今ならば。


 政秀の顔は苦痛に満ちていたが、儂を見るとふと微笑んだ。神のような、仏のような微笑みだった。何かを、達観したかのような。


 もうこれ以上は、限界だったのだろうか。政秀は、事切れた。


「政秀……、政秀……」


 うわ言のように、儂は政秀を呼ぶ。当然、返事はない。勝手に儂の目から、水が大量に出てきた。


「ま、さ、ひ、で……」


 言葉が、言葉にならなかった。血など、些細なことは気にせず、儂は童のように政秀の亡骸に抱きついた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る