自由と代償
梁瀬 叶夢
自由と代償
誰もが自由に、そして幸せに生きる。そんな世界は幻想だと、今の今まで気づかなかった。かくも愚かな私を彼女は許してくれないだろう。
自由を求めた戦いが終わってはや二年が経とうとしている。私は、南部に置いてきた亡き妻、ヴェラの墓を訪れていた。
私はもともと南部で生まれ育った身だ。奴隷を働かせ、綿花を売って生計を立てる。そんな生活をかつては送っていた。
しかし、私はそれをさせていながら、かねてより奴隷制について懐疑的だった。というのも、噂では北部は機械というものを使って目覚ましい発展を遂げているという話が流れてきていたし、そもそも、私はたとえ奴隷であろうとも人は人だと考えていた。
それを話すと周りの皆は笑ったが、私はどうにもそれがわからなかった。なぜ、こうも非人道的なことをしておいて笑っていられるのか。自分自身が同じ仕打ちを受けたらどう感じるのか。
もちろん、私は彼らを責める立場にないことは重々承知している。私とて、奴隷を働かせておきながら、それを疑問に思いながら、生計を立てるために奴隷制を変えようと動くこともなく、ただ日々を過ごしているに過ぎない。
見殺しをする卑怯者だ。
それでも、奴隷制など続けなくても、機械とやらを導入したほうがこんな非人道的なことをせずとも生計を立てることができるのではないかと考えていた。
しかし、あくまで噂話だ。それがどこまで本当のことなのかもわからないし、機械とやらをどこから買えば良いのか、そもそも機械とはなんなのか、見当がつかなかった。
奴隷制を変えるにしてもそうだ。変えたとして、その後はどうするのか。
南部の主要産業は綿花などの農業だ。奴隷制を変えて、労働力がなくなって、私たちまで生計が苦しくなったら元も子もない。むしろ、今よりも状況が悪化してしまう。そう考えると、奴隷制を続けるほかないのかと諦めるしかなかった。
そんなある日、仕事の都合で北部の街へと足を運ぶ機会があった。北部にも綿花を輸出していて、その輸出先との会合と招待で工場を見せてもらえることになった。
私は果たして北部は噂に聞くほど発展しているのか興味があったし、何より、機械というものがどういうものなのか、この目で確かめてみたかった。
滞在期間は一ヶ月弱ほど。たくさん学ばなくては。
馬に揺られて五時間、私はワシントンD.Cに着いた。その町並みを見た瞬間、圧倒的な驚きを感じるとともに、やはり南部はこのままではいけないと確信した。すぐにでも奴隷制を改め、北部と足並みを揃えてアメリカをより発展させていくべきだ。
ワシントンの街は石畳の道が整備され、壮大な建物が立ち並んでいた。街角には蒸気機関車の音が響き渡り、人々の活気に満ちていた。南部でこれほどの街は見たことも聞いたこともない。
「やあ、スアレス。ワシントンへ来るのは初めてかい?」
そう声をかけてきながらこちらへと近づく男がいる。その身にスーツを着こなし、大きな足取りで歩いてきた。その男は取引先の工場長、ミレッジであった。
「ああ初めてだよ。こんな大きな街は南部で見たことも聞いたこともない!」
私がそう興奮した声で言うとミレッジは満足そうに頷いた。
「そうだろう。南部と違い、北部は欧州から取り入れた蒸気機関を使って、機械化を促進したんだ。その結果、飛躍的に生産効率が上がり、品質も格段に良くなった。今じゃ、欧州にも負けないほどだよ」
私はそれを聞いて目が飛び出るほどに驚いた。まさか、あの欧州と肩を並べるとは!
「そんなにかい!それは素晴らしい!」
「まぁね。さて、そろそろ我が工場へと案内しようじゃないか」
私はミレッジの案内で彼の工場へと向かった。その道中、ワシントンの町並みに感銘を受け続け、ミレッジとの会話もとても楽しいものだった。
「さ、ここだよ」
そうミレッジが指差した建物は、それは大きく、表現のしようがないほど立派な建物だった。強いて例えるならば、その姿は城のようだった。
「これが、工場なのか?」
「そうさ」
ミレッジはさも当然であるかのように答えた。私は驚きのあまり口をぽかんと開けたまま唖然と突っ立っていることしかできなかった。
「そんなに驚くなよ。こんなんで驚いたら、この先感情が持たないぜ」
私はミレッジの言葉に口を開けたまま頷き、彼の案内で工場へと足を踏み入れる。
「なんだ、これは……」
ガチャンガチャン、ガコンガコンと重い音が工場内に鳴り響いている。耳が痛くなりそうだ。
「あれが機械だよ。蒸気の力をうまく使って、人手を用いずに物を作れるんだ」
ミレッジが大きな声で話してくれるおかげで、辛うじて話している内容が聞き取れるようになるほど機械の音というのは凄まじい。これではまともに会話できそうにない。
「少し場所を変えよう」
そうミレッジの提案で私たちはいったん外へ出た。あの爆音から解放されると同時に、外の世界がとても静かに感じた。
「どうだ、あれが機械さ」
ミレッジは自慢げな顔でそう聞く。確かに、機械というには噂に聞くほど、いや、それ以上にすごい物であった。あれを、どうにかして南部で広めることができないだろうか。
「ふふっ、機械を南部でも広めたそうな顔だね」
ミレッジは私の心を見透かしたように言う。
「どんな顔さ」
「はは、しかし、図星だろう?」
「まぁ、そうだ」
「だが、それをおそらく無理そうだねぇ」
私は彼の言葉を理解しかねた。無理とは、どう言うことだ?
「おっと、そんな睨まないでくれ。ちゃんと話すからさ」
ミレッジは一呼吸置き、あたりに聞こえないような小さい声でこう言った。
「どうやら、北部と南部が真っ二つになるらしい」
「は?」
南部と……北部が……真っ二つ?ますます言っていることがわからない。
「ほら、北部は奴隷制反対だろ?で、南部は奴隷制賛成。奴隷の扱い方を巡って、北部と南部で意見が対立している。しかも、お互いの経済や政治に関わるから譲りあえないんだ。だから南部は南部で独立しようとしているけど、それだとアメリカが二つに割れて発展できなくなる。お互いの思惑が交錯して、ぶつかり合ってるんだとさ」
「どこからの情報だ?」
私は思わずそう聞く。ミレッジは右手の人差し指を上に向けて答えた。
「上。それも政府のね」
その後、南北戦争が終結するまで私は南部へ帰ることができなかった。妻たちと逃げたいのは山々だったが、まだ戦争になると決まったわけでもない。確かに、一部の州はすでに脱退しているが、少なくとも、一ヶ月で事態が動くことはないだろうと、そう油断していた。
しかし、事態は予想以上のスピードで動いた。ワシントンに着いた翌日には南軍がサムター要塞を攻撃。それが戦端となり、戦争が始まってしまった。
私は戦争のせいで南部へ帰ることができずにいた。ワシントンの街も混乱しており、南部との連絡もできず、どうしていいかわからなかった。
しかし、これは好機ではないか。この戦争で北軍が勝てば、おそらく奴隷制はなくなる。ならば、北軍へ参加し、自由のために戦おうと、それが今私にできる唯一のことだと考えた。
そうしておよそ五年後、南北戦争は終結し、北部が勝利を収めた。私は比較的落ち着いた西部戦線にいたこともあり、最後まで生き残ることができた。
北部勝利の知らせを受けたときは飛び上がるほどに喜んだものだ。ついに、念願の奴隷制が変わるかもしれない。やっと社会が変わり、南部も発展する。
しかし、私に待ち受けていた運命は残酷であった。
自由を得た代償とでも言うのだろうか。私の妻や奴隷たちは、私の家が連合国と合衆国の境界近くにあったこともあり、早々に戦火に巻き込まれた。だから妻たちは逃げる暇もなく戦争に巻き込まれ、亡くなった。
私たちは自由を手にし、幸せも手にしたはずだった。しかし、実のところ、失ったものの方が多い。
誰もが自由に生き、幸せに生きる。そんな世界こそが理想であり、来るべき世界だと思っていた。
だが、自由を得るために多くの人が幸せを失った。そんな世界など、幻想だったと取り返しのつかないことになってから気づく。かくも愚かな私を、ヴェラは許してくれないだろう。
私は愛する妻に酷い仕打ちをした。妻だけではない、奴隷たちにも。
あの時、一刻も早く帰っていれば、あんな油断などせず、すぐに妻たちを連れて逃げればこんなことにはならなかった。そんな後悔ばかりが積み重なる。
この喪失感は今なお拭えない。こうしてヴェラの墓を訪れるたびに、痛みが瘡蓋を剥ぐように突き刺してくる。私の中に映るヴェラの表情は笑っていない。
もはや、こんな私に生きる意味などあるのだろうか。そんなことさえ考え始めた。奴隷制を変え、自由を手に入れるために戦い、それが叶った末の無。何もかもを、失ってしまった。
「ヴェラ、私はどうすればいい?」
彼女が答えてくれるわけもないのに、彼女を見殺しにしたのに、それでも私は彼女に縋ってしまう。やっぱり、こんなんじゃダメだな。
「ああ、予想通りここに居たか」
彼女に思いを馳せているとき、私はそう突然に声をかけられた。聞き覚えのある声だと思って声のした方に目を向けると、驚いたことにそこにいたのはミレッジだった。
「あれからどうしているのかと気になってね」
ミレッジは気まずそうに尋ねる。
「職を失って、今は貯金を切り崩してなんとか生活しているよ。それももう、底を尽きそうだけどね」
「ならちょうどよかった。実は、君に頼みたい仕事があってね」
「頼みたい仕事?」
ミレッジがこうしてわざわざ私を訪れてまで頼みたい仕事とは、いったいなんなのだろうか。
「うちの会社が南部にも工場を建てる予定でね。君にはそこの工場長をやってもらいたい。ほら、昔南部でも機械を広めたいて言ってたでしょ」
私はミレッジの言葉にハッとした。そうだ、私にはまだ目標がある。南部の発展のため、あの機械を広めて北部との差を埋める。そしてアメリカ全体の発展へと繋げていく。ミレッジに言われなければ、忘れたままだったかもしれない。
「君さえオーケーしてくれれば、こっちで手順は進めておくよ」
「ぜひ、頼む」
私はそう力強く言った。これが、せめてもの妻たちへの贖罪となれば。
遠くから蒸気機関車の走る音が聞こえてくる。私は妻にしばらくの別れを告げ、墓に背を向け歩み始めた。
自由と代償 梁瀬 叶夢 @yanase_kanon
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