コイツもアイツも

あべせい

コイツもアイツも



 金山倉蔵は、得体の知れない男だ。

 元は飲料業界の業界新聞のオーナーをしていたというのが口癖だが、真偽のほどはわからない。キンの先物相場のセールスをやっていて、顧客を自殺に追い込み、警察に取り調べられて業界から追われた、という噂もある。

 結婚歴はしていて、女房は10才の娘を連れて実家に戻ったと言うが、どこまで信じていいのか、当てにはならない。年齢は58才。

 容貌は整っているが、脂ぎった顔は、どう贔屓目に見ても、女にもてそうにない。オールバックという髪型もいただけない。中肉中背。

 いつも茶色のスーツを着ていて、茶系統が好きなのだろう。全部で10着ほど持っているらしく、それを毎日、とっかえひっ替え着ている。

 しかし、私には、金山がオシャレには見えない。茶の色合いが、どう見ても冴えないのだ。服地は新しいはずなのに、濁った色で、どうも好きになれない。私と金山の価値観が違うのだろう。仕方ないが……。

 そして、もう一つ。表向きの話をするとき以外は、関西弁を使う。これがよくない。


 池袋の大手デパートの裏通りから、さらに中に入った狭い袋小路に面した、薄汚い小さな四階建て雑居ビルの二階が、金山と私の職場だ。金山はここで、ただひとりの部長職。課長も係長もいない。

 会社は「奥州通信社」と言い、名前は立派だが、社員は社長を除くとわずか9名。社内は20畳ほどのフロアーしかない。

 仕事は、地方紙の求人欄を埋めるための広告主探し。つまり、若い働き手不足に悩む東京の中小零細企業に対して、地方の純朴な青年男女を募集しませんか、と誘うわけだ。

 金山と私を含めた8名の社員が、獅子舞の獅子頭のような顔をした社長の号令の下、朝の8時半から、首都圏各紙の求人欄と首っ引きで、テレコールと呼ぶセールス電話をかけまくる。すなわち、都内で働き手を求めている会社に、東北地方に求人広告を出すように勧めるのだ。余計なお世話だろうが、それがこちらの仕事だから、仕方ない。

「おはようございます。朝早くからごめんなさい」

 相手が黙っていようが、腹を立てようが、かまわず、大きな声で、

「社長!」

 と、呼びかける。

 電話に出た相手は、ジイさんでもバアさんでも、例えナースでも、介護ヘルパーでも、すべて社長で通す。

「××新聞に打った広告はいかがでした。反応はないでしょう。そりゃ無理ですよ。社長ンとこは、朝が早くて、体を使う工務店じゃないですか。都会の甘ったれた若僧がホイホイと来るわけがない。やっぱ、地方の時代でしょう。秋田や山形の純朴な青年に声をかけてご覧なさい。決して、すぐとは言いません。20日、いいえ、2週間いただければ、社長好みの頑健な青年の応募をお約束します」

 ざっとこんな調子で、東北の地方紙に一週間、名刺サイズの求人広告を掲載させる。

 しかし、コトは、こちらの都合よくは運ばない。他紙に掲載された会社の求人広告を我が紙にも掲載させようと、都内にひしめく、「奥州通信社」と同じ求人専門の広告代理店が、朝から一斉に電話をかけているのだ。

 電話をかけられる広告主のほうは、そんな電話を一々まともに相手していては、仕事にならない。

「ナニ、広告屋! いらん!」

 乱暴に受話器を叩きつける音とともに切られるのが、ほとんど。それが当たり前。

 獅子頭の社長は、

「わしは若い頃、わし流の口説き文句で、一日最高4件の広告を取った」

 と、はっぱをかけるが、いまどき1人1日1件、広告が取れれば万々歳だ。

 しかし、この社で金山倉蔵の成績はずば抜けている。平均7万円の掲載料の求人広告を、金山は一日最低でも2件あげる。

 彼が、長年つきあいのある広告主をたくさん抱えていることは事実だ。しかし、それだけで、こんな芸当はできやしない。そこには、金山にしかできない奥の手がある。私が、それを知ったのは、つい先日のことだった。


 その日、私は出勤して間もなく、金山に会社の外に連れ出された。

 獅子頭の出社が午後とわかり、朝から社員は無駄口をたたき、くつろいでいた。

 とはいっても、勤務中に外出できるのは、電話で見込み客が見つかり、広告の勧誘に行くときだけだ。しかし、営業部長の肩書きを持つ金山は、獅子頭から唯一人、行動の自由を許されており、クライアントに会ってくるといえば、行き先を告げずとも文句をいう者はいない。

 どうして、金山がこの小さな小さな職場で、部長なのか。昔、社長と危ない橋を渡った同士だという者もいる。しかし、本当のところはわからない。

 私は、その金山に初めて同行を求められたのだから、だれにも遠慮はいらない。それまで金山と親しく口をきいたこともなかったが、その瞬間、私は辛いテレコールから解放される喜びを味わった。

 外に出ると金山はタクシーをつかまえ、運転手に「築地」と告げた後、隣に乗り込んだ私に、

「オイ、腹は減ってないか?」

 朝食はいつも抜いているから、減っている。それよりも、部下に向かって、「オイ」はないだろう。私には、亡父が苦心して付けてくれた「城下華礼」という、恥ずかしくない名前がある。

 だから、金山の横顔をみて、無言でいると、「オマエに言っているンだ。腹はどうなンだ」

 こんどは、「オマエ」か。5年前に亡くなった父が、私によく言っていた。

「男が相手を『オマエ』と呼んでいいのは、同性なら身内のようによほど親しい間柄か、異性なら、肉体関係のある女だけだ」

 私は金山というこの男の教養に初めて疑問符を付けた。しかし、いまは仕事中だ。しかも、狭い車のなかだ。

「部長、お腹はすいています」

「そうか。それやったら、昼飯に、世界一うまいうなぎを食わしたる」

 そう言って、ニヤッと笑った。

 うなぎは好物だ。しかし、おごってもらった食事は、いつも緊張して、おいしいと感じたことがない。だから、食事のおごりは好きじゃない。

 そんなことより、私は、社内では入社3ヶ月でしかない、いちばんの新米だ。年も一番若い。58才の金山が、彼のこどものような年齢の私を誘い出したのはなぜか。

 築地に着くまでの間、私はその理由だけを考え続けた。


 私は広告業界で働きたくて、いまの「奥州通信社」に入ったわけではない。

 二流の私大を卒業後、就職活動もせずにフリーターを続け、喫茶バーテン、運送屋、居酒屋キッチンなどを転々としていたが、4年前、レストランのバイト勤務のとき知り合った妻と結婚、1年後に娘が生まれた。

 親代わりの兄から、定職を持てとしつこくいわれ、昨年大塚駅前にある中堅どころの興信所に就職した。ところが、その会社で係長をしていた男から、会社に内緒の金儲けに誘われ、つい乗ってしまった。

 その男は、会社の仕事とは別に、マルチ商法に手を染めており、私はそれが法律で禁じられていることを、その男が逮捕されるまで知らなかった。

 私も警察から事情聴取され、2日間留置所にとめられたが、幸い起訴猶予になった。

 しかし、妻はその事件がもとで、娘を連れて実家に帰ってしまった。当然だ。警察の厄介になるような男を、娘の父親にしたくないだろう。

 私は興信所をやめざるをえなくなり、間に合わせに、新聞の3行広告で見つけた、いまの「奥州通信社」に入った。

 最初から、ここが広告代理店と知って応募したわけではない。「通信社」というから、ニュースの配信業務と関係があるのか、その程度の知識しかなかった。通信社とは無縁の、広告屋と知ったのは、勤務してからだ。

 妻と娘と別居しているとはいえ、2人には生活費を送らなければならない。つなぎにと軽い気持ちで飛び込んだ職場だ。

 私と金山に、共通点はあるのだろうか。金山は結婚歴があるものの、いまは別居中の私と同じ独身。しかし、独身という点を除けば、共通するところはほかに思いつかない。そんな私を、なぜ金山は従えたのか。

 獅子頭の愛人といわれている社内の紅一点、経理の若子嬢から、何かの折にこんな話を聞いたことがある。

「金山さんは、以前大手損保会社の営業課長だったそうよ。それが、保険金詐取が見抜けずに保険金をおろしたため、解雇された。でも、本当は、お客と結託して保険金を詐取しようとしたらしいわ」

 若子嬢は、そのときたまたま20畳ほどの狭い社内に、ほかにだれもいないからなのか、新米の私に、退屈しのぎのように、ペラペラとよくしゃべってくれた。

 

 タクシーが築地に到着すると、金山はタクシー運転手に、

「お兄さん、手書きの領収書、出せるか?」

 運転手は、60才近いから、「お兄さん」はないだろう。それに、いまどき、手書きの領収書はタクシーでも使わない。コンビニと同様、ボタン1つで自動で出てくる感熱紙に印字されたレシートだ。

 しかし、運転手は、金山の企みに気がつかず、

「エエ、いまご用意します」

 と言い、ダッシュボードから、「領収書」と表紙がついたノートを取りだし、ボールペンを構えた。

「宛て名は、どうされますか?」

 すると、金山は、

「何も書かンで、ええンや」

 と言うや、運転手の手から、その領収書の最初の1枚を引きちぎった。

「お客さん、ナニするンですか!」

 さすがに運転手は気色ばんだ。

「オイ、城下、はよ、せいや」

 金山は運転手を無視して、奪った領収書を胸のポケットにねじこみ、ドア側にいる私に早く降りろとばかり、体を押しつけてきた。

「運ちゃん、またな。おおきに」

 金山は、ドアの外に出ると、車の窓ガラス越しに中の運転手にそう言った。

 金山は、領収書に金額を水増しして記入し、若子嬢に清算してもらうのだろう。しかし、少し、セコくないか。

 私は、金山という人物を、それまで「豪放磊落」「大胆不敵」というイメージで見ていただけに、ガッカリした。

「城下、そこのうなぎ屋や。わしがしゃべるから、おまえは何を聞かれても黙っとくンや。ええな」

 金山に連れられていったのは、晴海通りに面した間口1間半の、屋台のような店だった。

 看板には、「うなぎ専門」とあり、意外に奥は広く、4、5人はいそうな気配だ。

「こっちや」

 金山は歩道に面した店先には目もくれず、店を迂回するように横の路地に入ると、小さなベニア板のドアを開けた。

「やァ、社長。連れてきましたよ。岩手の純朴な青年を……」

 金山は、調理台に向かって立っている、白髪頭の、長身の男の背中に、そう声をかけた。

「これは、これは……」

 社長と呼ばれて振り向いた白髪頭の男は、苦笑いを浮かべ、奥にある丸椅子に腰かけるように促した。

 店には、社長と呼ばれた男しかいない。昼時だから、従業員は休憩をとっているのだろう。金山はこの時間を狙ってきたに違いない。

 私はすでに、岩手の純朴な青年を演じなければいけないのだと感じ取り、頭の中で、南部せんべいなど、岩手県の名産を考えていた。しかし、私の出身地は関西の三重県伊賀上野だ。

 そして、金山が私を連れまわす理由が、私が伊賀上野の出身だからなのではないかと感じた。同じ関西人として、私程度の男なら、手懐け安いと踏んだのではないのか。

「社長、この青年は、私が扱っている求人広告を見て、横浜の町工場に応募してきたンですが、2日働いたところで、どうも仕事が肌に合わない、って贅沢なことを言うもので。たまたまその町工場は、私が懇意にしていたせいもあるンでしょうが、出来ることならやめたいと、昨日私に電話してきよった。だったら、どんな仕事がいいのか、と聞いてみたら、この青年、魚を扱うところがいい、とりわけうなぎなンか、大好きだから、一生懸命働けるというンで、仕事場を見たらええやろと思うて、社長の店に連れてきたわけです」

 関西弁と東京弁がごっちゃになっているところを見ると、金山もかなり無理していると感じられた。

「そうですか。この青年ね」

 と言いながら、ごま塩頭の社長は私の全身を、足先から頭の天辺まで、舐めるように見た。

「体は丈夫です。高校時代は、柔道とラグビーをやっていたそうですから。そうやな?」

 そんなことを、突然言われても答えようがない。しかし、私は、どうにでもなれ、と開き直った。

「体には自信があります。高校時代、柔道とラグビーではなくて、サッカーと水泳に熱中していました」

 私は、金山のウソに対抗して、私なりのデタラメを言った。私はスポーツが苦手で、こどものときから、走ること以外は、やったことがない。生来チームプレーが苦手なのだ。

「そうやったか。わしに言ったことと違うな。まァええが……」

 金山は、そう言うと、目をギョロリとむいて、後ろにいる私を振り返った。

 その顔は、「あとで、覚えとけヨッ」と告げていた。

「スポーツなンかやっていなくても、体が動けばいいンです。私なンか、若い頃から、遊んでばっかりで。いや、そんなことより、いつからでもいいですから、ここが気に入ったら、来てください」

 社長は優しい目で私を見つめて、そう言った。

「社長、このあとこの青年と話して、出来るだけ、はよ決めさせます。それで、前にも言いましたが、一応形だけでも、求人広告出してもらうと助かるンですわ」

 社長はそこで初めて、渋い表情をした。

「それはわかっていますが、先々月も1ヵ月広告出させていただきました。しかし、それでも、反応はゼロ。履歴書どころか、電話一本、掛かって来なかった……」

「社長!」

 金山はいきなり、私の目の前で体を折り曲げ、土下座した。

 そこは、うなぎの仲買い店だ。うなぎをさばいて蒲焼きにする。コンクリートの床は始終水を流して洗っているから、いつもたっぷりの水で濡れている。

 当然、その場に土下座した金山の両手とズボンは、ベットリと水に濡れる。

「金山さんッ、起ってください。わかりました」

 社長は、こういう事態を予想していなかったのだろう。

「ご返事をいただくまでは、やめません、社長!」

 床を舐めるように見つめてそう言った金山は、その直後、コンクリートの床に額を押し当てた。

「わかりました。1ヵ月だけ、おつきあいします」

 語尾はさすがに力がなかったが、社長は金山に、迫力負けした。

 金山は土下座したまま、顔だけ振り仰いで、ニッと笑った。

「社長、間違いないですね」

 社長は、ウンウンと頷く。

 そのとき、裏の事務所で昼飯を食っていたのだろう、3名の従業員が戻ってきた。

 従業員は床に這いつくばっている金山に対して、胡散臭そうな一瞥をくれると、それぞれの持ち場に立って仕事を始めた。

 金山はようやく立ちあがると、スーツの内ポケットから1枚の紙切れを取り出し、ボールペンと一緒に社長の目の前に差し出す。

「社長、一応、形だけですが、いつも通りサインをお願いします」

 社長は諦めたように、すらすらとサインしていつも忍ばせているのだろう、ズボンのポケットから印鑑をとりだして、押印した。

「社長、それでは、2、3日中に、この青年に返事をさせます。例え、この青年がダメでも、今回の求人広告で、数名の反響はありますから、大船に乗ったつもりで待っていてください」

 社長はもう言葉を発しなかった。

 金山に背を向けて、大きな俎板の上に目打ちされた大ぶりのうなぎを見つめている。

「帰ろうか」

 金山は私の肩を押して、外に出るように促した。

 薄いベニア板の戸を開けて、私が先に出ようとしたとき、

「金山さん、その青年の名前は?」

 社長の鋭い問いに、

「そうでした。オイ、キミ、自己紹介」

 「オイ」「オマエ」の次は、「キミ」だ。まァ、いいか。

 私は、加齢臭が漂う金山の顔を避けるようにして彼の脇を擦り抜けると、社長の前に行った。

「ぼくは、城下といいます。下の名前は、中華の華に、礼儀の礼で、『華礼』です。亡くなった父親が付けてくれた名前で、とても気に入っています」

「『城下華礼』ですか。魚屋にぴったりの名前だ。それに一度聞くと、忘れない」

「初めてお会いする方は、みなさんそうおっしゃってくださいます」

「いいお父さんだったンですね」

「はい……」

 私は、5年前に病死した父への熱い思いが急にこみあげてきて、泣きそうになった。

「社長、ありがとうございます。近く、よいご返事ができると思います。失礼します」

 外に出ると、金山は、

「おまえ、なかなか芝居、うまいやないか」

 しかし、私は黙っていた。亡父に対するこみあげてきた思いの余韻を、いつまでも楽しみたかった。

「腹へったな。なんか、食うか?」

 金山は、私の心中になどまるでおかまいなし、自分の食欲だけに集中している。

「世界一うまいうなぎを食わしたる」と言ったことは、すっかり忘れている。

「部長、ぼくはここで失礼します」

 私は、先に地下鉄に入る階段が見えたので、そう言ってみた。

 金山がどう反応するのか。その関心だけから、だったが……。

 すると、金山は、

「そうか。会社に帰ったら、わしはもう1件、得意先に寄ったと言うといてくれ」

 そう言うなり、信号を無視して、小走りに行き交う車を縫うようにして片側2車線の車道を渡り、反対側の歩道に行った。

 そして、その先にある3階建てのビルに入った。

 そこに顧客がいるのだろうか。ビルの外観からは何をやっている会社か、わからなかったが、金山を迎え入れるようにサッと開いた自動ドアの奥を見て、鈍感な私にもわかった。

 パチンコ店だった。

 中の喧騒に吸い込まれて行く金山の後ろ姿は、決して小柄ではないのに、ふだんより小さく、貧相に見えた。

 背中を丸め、外股に踏み出す両脚は、「し」の字に曲がり、醜かった。

 彼の営業の成績がずば抜けているカラクリがわかると、それと同時に、彼の人間性のカラクリも透けて見えた。私は人を見る目のない愚かさに、気付かされた。

 金山と引き比べると、うなぎ屋の社長は、すっくと背筋を伸ばして立ち、刈り上げた髪を見るまでもなく、清潔そうで若々しく感じられた。

 私の心はすでに決まっていた。


 1時間ほどで帰社した私は、地方紙の求人欄を見ながら、うなぎ屋のことを考えていた。

 20畳余りの狭い社内は、獅子頭の社長が早退したためか、和やかな雰囲気に包まれている。6名の社員が、テレビを見たり、雑談したり、のんびり過ごしている。

 退社時刻まで20数分。もう少しの辛抱だ。明日からは、人生再々出発! 

 いままで気がつかなかったが、若子嬢を除くと、社内には女性は1人もいない。小さな会社とはいえ、これは異常だ。いまどき病院でも、男性の看護師は少なくない。それなのに、この会社は、男性社員ばかり。どうして、女性社員はいないのか。

 金山の話では、女性もふつうに雇っているのだが、すぐにやめてしまうという。

 その原因は……。

「遅くなってしもうた。お客が離してくれへンかった。城下クンは、もう帰っているのか。アイツは、お客さんからご馳走になって、すぐに帰るンやから、勝手なもんや。わしはあの後タイヘンやったンやからな」

 「オイ」「オマエ」「キミ」の次は、「アイツ」だ。

 金山は作り笑いをして、帰って来ると、週刊誌を読んでいた私の肩をポンと叩いて、窓際の若子嬢の席に行く。

 他の社員は、金山の帰社時の大げさな物言いには慣れっこなので、振り向きもしない。

「コレ、お土産。お客が『もっていけ』ってしつこいンや。こんなもの、若子さん、いらンよね?」

 金山は、大きなレジ袋を若子嬢の机の上にのせ、返事を待たずに、中の物を取り出している。

 ハワイ土産として知られるマカダミアナッツチョコの箱入り、ケント1カートン、コーヒー豆の中挽き400gひと袋だ。

 若子嬢は、真後ろにいる金山を振り向き、

「金山さーん、ありがとう」

 と言ったあと、小声で、

「いつものね……」

 付け加えて、ニッと笑った。

 若子嬢はヘビースモーカーで、しかもケントは大のお気に入り。

「そォ、いつもの」

 金山はそう小さく言って、若子嬢の豊かなヒップをサラッと撫でた。

「いやね」

 若子嬢は怒っている風はない。おさわりはお礼のつもりなのだろう。

 私は、2人の会話に注意していたので聞き取れたが、他の社員は2人にはまるで関心がなく、見ていない。

 金山の「お土産」は、パチンコの景品だ。そして、若子嬢はそれを知っている。「いつものね」は、その意味なのだ。

 それに……、そうか。

 私は気がついた。女性がこの職場に居つかないのは、30半ばの若子嬢が、自分より若い女性が入社すると、その都度、意地悪をして追い出すのだ、と。

 

 翌日、あさ9時半過ぎ、獅子頭の社長の姿が見えると、私はセールスの受話器を戻して、社長のデスクに行った。

 社長のデスクと言っても、別室にあるわけではなく、隅の一画をパーティションで仕切った2畳ほどの空間だ。

 そのパーティションを挟んで、社長の右側に若子嬢のデスクがある。

「社長!」

 私の声は大きかった。

「ウッ?」

 新聞を読んでいた社長は、怪訝そうに私を見た。同時に、背後にいる社員たちが、私のほうを一斉に振り向くのを感じた。

「私、城下華礼は、本日をもって退職させていただきます」

「なに、やめる? やめて、どうするンだ」

 貴様のような、二流大学出の、女房に捨てられた男が、ほかで何が出来るというンだ。獅子頭の顔はそう言っていた。

「築地のうなぎ屋で働きます。金山部長の紹介です」

 すると、それまで煙草を吸っていた金山が、慌てて煙草をもみ消して飛んで来た。

「城下ッ。なに言うてンや。あのうなぎ屋はな……」

 なんだというンだ。金山! あの就職話はウソだというつもりか。

「部長。どういうことだ。わけありか?」

「私が懇意にしている築地のうなぎ屋ですが、昨日ご機嫌うかがいに、コイツと一緒に行って……」

 こんどは、「コイツ」か。

 私は、カチンと来た。この程度の男から、コイツ呼ばわりは許せない。

「うなぎ屋の仕事ぶりを見せたンです。そうしたら、その仕事が気に入ったみたいで、帰りに働きたいな、と洩らしたので、『オイ、そんな甘いモンやない』と、叱りつけたンですが……」

 金山、ウソも言い加減にしろ。おれをダシにしたクセに。私は、昨日のことをあらいざらい、ぶちまけてやろうか、と思った。

「金山、もう少し、わかるように説明しろ。いつものおまえらしくないゾ」

 獅子頭の顔に不快感がにじみ出ている。

「アレを使ったンだろう。そうだろうが……」

 と、獅子頭。

 獅子頭は知っていた。曲がりなりにも、9名の社員の上に立つ男だ。金山の芸当くらい、先刻承知なのだ。

「まァ、それは……」

「この程度の男はすぐに見つかる。退職したいのなら……若子、聞いたか?」

 社長はパーティション越しに言った。

「どうします。給与は?」

「昨日までの分を日払いで、すぐ現金支給してやれ。そのほうが、コイツは喜びそうだ」

 また、「コイツ」! この獅子頭にまで、コイツ呼ばわりか。

「社長、過分のご配慮ありがとうございます。それでは、アイツとはコレっきり……」

 私はそう言い、自分のデスクに戻りかけた金山の背中を指差し、さらにその指をパーティション越しに若子嬢に向けてささやいた。

「コイツとも、最後だな」

 日払いの給与といっても、2日分しかない。若子嬢がヘソを曲げ、「あんたにコイツと呼ばれる筋合はないわよ」とどなられても、まァいいか。

 しかし、獅子頭は、わけがわからンといった顔つきで、呆然と私を見つめている。

              (了)

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コイツもアイツも あべせい @abesei

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