人魚と内緒話

吉岡梅

にんぎょのまめさん

 百瀬ももせがにんぎょに初めて会ったのは、下宿のそばの海の家の屋台だった。にんぎょは真っ白なTシャツを着て、頭にタオルを巻いて、鉄板でざんざか焼きそばを焼いていた。日に焼けた肌を光らせ、快活にを振り回している。


 海の家に来たら、わざとらしいくらいのナルトの乗ったラーメンとクリームソーダを食べよう。そう楽しみにしていたが、焼きそばとコーヒー牛乳に変えた。にんぎょから受け取ったやきそばの味は、すごく普通だった。


 次に会ったのは、博物館概論の講義だった。あまり混んでいる授業ではない。2つ隣に誰か座ったな、と思うと、ふわりと甘ったるい磯の香りがした。どういうこと、と思って見てみると、にんぎょがサマーニットのワンピースを着て座っていた。タオルを巻いていないアッシュグレーの巻き髪は、ノースリーブの肩を超えて背中にかかるほど伸びている。びっくりして思わず声が出た。


「あ」

「ん?」

「やきそば……」

「え? あー、ひょっとして海の家の話?」

『はいそこ、静かにね』


 百瀬とにんぎょはマイクの声に2人してぺこりと頭を下げた。


##


 講義のあと、百瀬はにんぎょを学食へと誘った。ご飯とみそ汁、そして思い思いのお惣菜を取って席に着くと、あらためて自己紹介をする。


「俺、人社2年の百瀬。君は?」

「え、私。私かあ、……えーとね」


 にんぎょは困ったように髪を耳にかけていたが、いい事を思いついたというように悪戯っぽく微笑んだ。


「ここだけの話なんだけどね、実は私、にんぎょなの」

「にんぎょ。」

「そう、ナイショだよ。いつもは海にいるんだけどね、最近、この季節になるとくらげが大はしゃぎして、にんげんに迷惑をかけるって問題になっててね。その監視も兼ねてあの海の家で見張ってるってわけ」

「くらげのお目付け役って事かい?」

「そういう事です。で、空き時間はここに忍び込んでにんげんの勉強をしてるの」

「そうなんだ。にんぎょって博物館に興味あるんだ」

「え、面白いじゃん」

「まあ、そう言われるとそうなのかなあ」


 百瀬は曖昧に頷いた。たぶんこの子は、名前を言いたくないのだろう。ウチの生徒でもなく、で大学に入り込んでるのかもしれない。それか、友達が大学にいて、時間を潰すために適当な教室に入ってきたとか。


「じゃあ君の事は『にんぎょさん』って呼べばいいのかな」

「にんぎょさん、か。それでいいよ」

「でもなあ、いきなりにんぎょさんって呼んだら、周りの人はびっくるするんじゃないの? そんなに大っぴらにしていい事でもないんでしょ。にんぎょって」


 にんぎょは、そう言う事になるのか、と人差し指を顎に当てて考えていたが、すぐにその指をくるんと振って快活に笑った。


「じゃあさ、『まめ』でいいよ」

「まめ。」

「そうそう、マーメイドの『まめ』。ちょっと犬っぽさ出るけど、これならにんげん的にもオールオーケーでしょ?」

「……まあ、『にんぎょさん』よりは。じゃあ『まめさん』で」

「わかった。ふふ……、まめです! よろしくね百瀬」


 まめさんは立ち上がって握手を求めてくる。立ち上がったまめさんは、思ったよりも背が小さい。顔が小さいからスラっとして背が高く見えるのかな。それとも、マーメイドラインのワンピがちょっと百瀬的には大人っぽく見えて、大きく見えていたのだろうか。そんな事を考えながら、自分も立ち上がって握手をした。


「よろしく。にんげんの百瀬です」

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