第3話 幼馴染

 小学生の頃から、いや、幼稚園の頃からだっただろうか?

「腐れ縁」

 といってもいいと思うような女の子が、正孝にはいた。

「幼稚園の頃から一緒」

 という子は、そんなに珍しくもないだろう。

 とも感じるのだが、人から言われると、

「反発したくなる」

 という思いからであろうか、

「幼馴染」

 と聞いただけで、何かすぐったいような思いを抱くようになtっていたのだ。

 幼馴染というと、相手が女の子であれば、

「それが初恋だったのではないか?」

 と言われるのだろうが、正孝には、そんなイメージはなかった。

 というのも、

「異性を意識するというのは、思春期になってからでないとありえない」

 と思い込んでいたこともある。

 というのも、この話は、親から、子供の頃にきかされていたからであって、

「こんな話を、まだ小学生の、それも低学年の子供にいうことか?」

 と思ったほどだった。

 しかし、このあたりのことは、正孝の親は無頓着だった。

 というよりも、

「完全に、子供をからかって遊んでいるんだ」

 としか思えなかったからだ。

 だから、正孝も、分かったようなふりをして、

「ああ、そんなことくらい、あんたに言われなくてもわかっているさ」

 というような顔をしてやるのだ。

 確かに。一瞬親はひるむのだが、すぐに、満面の笑みを浮かべる。それはまるで。

「さすがは、俺の息子」

 と言っているようで、正孝とすれば、最後にその言葉を言われると、

「息子である以上、何も言えなくなってしまう」

 ということになるのだ。

 だから、

「親を変えることができない」

 ということを悟るのだった。

 これは、

「人間は生まれながらに平等だ」

 という言葉に、著しく不快感を示す時に似ていた。

 というのは、

「何が生まれながらに平等なんだよ。親が選べないわけだから、どこの家に生まれてくるか? ということが決まってくるわけで、育つ環境だって、そこから決まるわけで、最初から差がついてしまっているのであれば、ひどい親に生まれた時点で、すでに、気後れしてしまっている」

 といっても過言ではないだろう。

 だから、とんでもない親に生まれてきて、途中で人生を踏み外したのだとすれば、

「それは、親が悪い」

 と自他ともに認めることができるだろう。

 しかし、

「裕福で、何不自由なく育った子供が、途中でぐれたりすれば、子供が悪い」

 ということになる。

 しかし、

「裕福で何不自由もなければ、それで幸福なのか?」

 と聞かれれば、本当にそうなのか分からない。

 何と言っても、親が先に生まれていて、その遺伝を受け継いでいるのが子供なのだ。それを思えば、

「生まれながらにして、平等」

 という言葉は、

「ちゃんちゃらおかしい」

 といえるだろう。

 そういう意味では、正孝は、

「可もなく不可もなく」

 というところだっただろう。

 父親が出世頭とかいうわけではなかったが、かといって、

「食いっぱぐれる」

 などということもなかった。

 普通に庶民的な家庭だったといってもいいだろう。

 ただ、子供の頃から孤独が好きだったこともあって、いつもまわりには誰もいなかったのだが、そんな中で、いつも、正孝を、

「兄貴分とでも慕うか」

 というような感じの人が、

「ゆりか」

 という幼馴染だったのだ。

 そもそも、女の子として見ていなかったので、ある意味、

「子分」

 のようにしていた。

 たまに、

「鬱陶しい」

 と思うこともあったが、基本的にそばにいてくれるのは嬉しかった。

 というのも、

「俺は孤独が好きだが、子分がいるんだぞ」

 とまわりに宣伝したい気分だったというのは、どういった心境なのだろうか?

 子分という言葉が悪ければ、

「しもべ」

 と言えばいいのか、

 確かに、正孝が危ないところに出てきて、助けられたこともあったりした。その時は、

「正孝君が危険に晒されそうになるのが、私にはわかるのよ」

 とばかりに、その時だけは、胸を張っていたが、さすが、その時だけは、

「いてくれて嬉しい」

 と真剣に感じていた。

 正孝は、そんな時に、

「ゆりかは、神が与えてくれたんだろうか?」

 と感じた。

 だとすると、

「自分のものだ」

 ということでいいのではないか?

 と思い、好き放題にしようと思うのだが、実際に、そんなことができるはずもなく、助けられた時には、

「ありがとう」

 と、素直にいい、彼女のことを、

「しもべだ」

 と思ったことを、恥ずかしく感じるのだったが、それも、喉元過ぎれば、すぐに忘れてしまい、

「ゆりかは、俺のしもべなんだ」

 と考えるようになってしまったのだ。

「正孝さんは、本当に優しいわ」

 と、ゆりかはいうのだが、それを、ひねくれている正孝は、

「また皮肉をいいやがって」

 と思わずにいられなかったのだ。

 だが、中学に入るくらいの頃から、少し心境が変わってきた。

 それは、

「正孝が思春期に入った」

 からだった。

 ゆりかの方は、とっくに思春期に入っていて、精神的にというよりも、肉体的にと言った方が、成長は早く思われた。

「そんなゆりかと一緒にいられるだけで、嬉しい」

 と思うくらいになっていたのだ。

 ゆりかという女の子は、おとなしい雰囲気であったが、どこかわがままなところがあった。

「自分を、女王様か何かと勘違いしているのではないか?」

 と思えるほどで、しかし、正孝は、ゆりかから、そういわれるのは、なぜか嫌ではなかった。

「あれ? 逆だったのでは?」

 と思われる読者もほとんどだろうが、そう、小学生低学年の頃と違って、高学年になると、今度は立場が逆転してきたというわけだ。

 そもそも、

「低学年の頃は、俺の方が、子分のように相手は女の子なのに、女の子という意識もなく、応対していた」

 という後ろめたさのようなものがあったのだろう。

 だから、その思いがあるのを、まさかとは思うが、小学生の女の子に、看破されてしまったのだろうか?

 と考えると、少し怖くなってくるのだった。

 とは言っても、しょせんは、小学生のことなので、立場が逆転したといっても、相手のことは、知り尽くしているといってもいい相手なので、どこか、

「無礼講」

 というところはあったのだろう。

 そんな面白い関係であったが、まわりから見ると、

「二人は好き同志なんだな」

 と思われていたり、

「ぎこちなくは見えるけど、これほどお似合いの二人はいない」

 と思っていたようだ。

 お互いに、異性の壁を越えての付き合いだということは分かっているというもので、

「俺は、別に好きでもないんだけどな」

 と軽い気持ちで思っていた。

 何しろ、

「女性というものが、どういうものなのか、思春期にもなっていないのに、分かるはずがない」

 ということであった。

 思春期になると、

「どうして、異性を意識するというのだろうか?」

 と思っていたが、実際に思春期になると、

「あれ? 何も感じないけどな」

 と思う。

 それは、自分が思春期になったという意識があるからで、余計に。

「思春期になったら、異性を意識するものだ」

 という感覚があるからではないだろうか。

 最初からそう思っているから、

「異性を意識するということがどういうことなのか?」

 ということを分かるはずだと思っているからだ。

 そもそも、

「思春期に入った」

 というのも、

「何をもって思春期に入った」

 と思うのか?

 というもので、それが、異性への意識だとすれば、思春期に入ったということが分かるということの方がおかしいのであった。

 それを考えると、

「精神的なことよりも、身体の反応の方が、思春期では、自覚に値するのだろうか?」

 と思えた。

 確かに、女性を見ると、下半身が反応してくる。特に、

「大人の女性」

 には、反応するというものだ。

 同い年であれば、男よりも女の子の方が、

「発育が早い」

 と言われているが、まさにその通りである。

 それだけ、胸も大きく鳴ったり、大人っぽくなっているのに、男が感じる女性というのは、さらに上の方なのだ。まさに、

「母親のお腹の中にある、羊水に浸かっているようだ」

 という感覚である。

 そんな幼馴染である、ゆりかが、美術部に入ってきたのは、正孝が入部してから、1カ月後のことだった。

 正孝としては、

「ゆりかのことだから、すぐに入ってくるだろうな」

 と思っていたのだが、想像に反して、すぐに入ってくることはなかった。

 そうこうしているうちに、

「ああ、ゆりかは、帰宅部を貫くんだな」

 と思っていたところ、いきなり、入部してきたのだ。

 さすがに、一度は、

「入部してこないんだ」

 と思っていたので、余計にビックリだった。彼女としては、何かのサプライズか何かのつもりだったのだろうか?

 正孝は、最初は複雑な気分だった。

「入部するなら、正孝が入部するタイミングから、間を置かずに入部してくるはずだ」

 と思っていたからだ。

 ゆりかは、どちらかというと、

「思い立ったが吉日」

 ということで、あまり物事を深く考えずに、思いつきで行動する方だった。

 それが彼女のいいところで、

「学びたいところだ」

 とも感じていた。

 確かに、

「石橋を叩いて渡る」

 というのはいいことだとは思うのだが、一度、悩んでしまうと、その先の行動を躊躇する可能性がかなり高くなる。

 正孝はそのことをよく分かっていて、そのことが、時々、自分の中で、大きな堤防のようなものを作っているような気がした。

 だから、却って、いろいろ悩んでしまい、人からは、

「優柔不断だ」

 と思われてた。

「優柔不断だなんて、却って、一つを考えると、そこに絞るまでに時間がかかっているだけなのに」

 と思うことで、

「俺が悩んでいるというのは、優柔不断だからだろうか?」

 と考えるようになった。

 それが優柔不断ということの証拠なのかも知れないと思ったが、ゆりかと話している時は、

「そんなことはない」

 と思わせる。

 ゆりかが、中学に入る前くらいから、完全に、正孝に従順になってきた。正孝が、

「鬱陶しい」

 と感じるほどに、いつも、

「付きまとってくる」

 という感覚になるのは、そのせいかも知れない。

 しかし、ゆりかと話していると、ゆりかの言っていることがいちいち当たっているかのようで、その言葉を信じないわけにはいかない。

 そう思うと、何かの決断をする時は、ゆりかにいつも相談することにしていた。

 それだけ、ゆりかの言葉には信憑性があり、自分の気持ちを知るには一番だと思えるようになってくるのであった。

 もちろん、

「美術部に入りたい」

 ということも話した。

 すると、

「美術部?」

 と、少し意外な顔をした。

 それもそうだろう。美術など、小学生の頃の正孝を見ていれば、まったく眼中にあるはずのない部活だったのだ。

「どうした風の吹き回し?」

 と感じるはずだったのだ。

 しかし、一瞬驚いたが、

「ああ、そう。美術部ね。いいかも知れないわね」

 とゆりかは言った。

「ああ、絵を描きたいと思ってね」

 と言ったが、この言葉にウソはなかった。

 この時の話で、一番的を得ていた回答だったかも知れない。

 そのことを考えると、ゆりかは、その時に、納得してくれたと理解したのだ。

 だから、次の日には即行で、美術部に入部したわけだが、ゆりかとはまったく違う雰囲気を醸し出しているゆいかと一緒にいるのが、心地よく、ただ、そう思えば思うほど、

「ゆりかの存在」

 というものを意識させるのではないかと感じるのだった。

 だから、勝手に、

「ゆりかも、追いかけるように入部してくるんだろうな」

 と思ったのだ。

 それは、自分が、

「本当に美鬱が好きなのかどうか」

 ということを自分の中で確定させる前だったということを分かっているからだ。

 本当に最初の理由は、

「ゆいか先輩がいるから」

 という不純な理由だっただけに、

「ゆりかに合せる顔がないな」

 と思っていたはずなのに、いつものように、相談してしまった。

 だが、

「相談してよかった」

 と思ったのは、

「ゆりかが、俺の本心。つまり、不純な動機というものをわかっていない」

 ということを知ったからではないか?

 と感じたからだった。

 だが、それも、思い込みだった。

「ゆりかが、入部するつもりの背中を押してくれたのだ」

 という気持ちが強かった。

 ただ、入部してから、少しの間、ゆりかが、正孝から遠ざかっていたかのように感じたのは、気のせいだっただろうか。

 それを感じたことで、

「余計なことを感じさせてしまったのかも知れない」

 とも想った。

 だから、逆に、

「下心を読まれたのかも知れない」

 と思い、びくびくしていたが、そう思うと、今度は、

「俺はゆりかと付き合っているわけではない、自由なんだ」

 ということで、必要以上に、ゆりかを意識する必要などないと思うのであった。

「美術部にいる間くらい、ゆりかが頭の中から消えてもいいだろう」

 と思ったのは、美術部では目の前にいるのが、ゆいかだったからだ。

「自分の妹のような存在が、ゆりかであり、憧れの女性といっていいのが、ゆいかなのである」

 という気持ちを確立されることができただろうか?

 1か月という期間が、どれほどのものだったのかというのは、正孝には分からない。

 ただ、

「気持ちの確立には至っていない」

 ということを感じはしたが、

「では、どれだけの時間があれば、確立できたというのか?」

 と考えたが、正直分かるわけもなかった。

 ゆりかが、入部してきたのが、どの頃のことで、それまで、どちらかというと静かだった美術部が、少しずつ活性化されているように感じたのは、正孝だけだったのだろうか?

 というのも、美術部が、静かだというのは当たり前のことであり、賑やかな人がいないというのも、ある意味、入部の動機であった。

 それだけ、

「ゆいかの存在が、そんな静かな雰囲気にさせているのだろう」

 と思うと、気が楽になってきた。

 しかし、そんな静かな雰囲気の波に、乗っかっているという気持ちはあったのだが、乗っかれば乗っかるほど、どこか、不気味な気がしていたのも事実だった。

「皆、何を考えているんだろう?」

 という気持ちになっていた。

 確かに何を考えているのか分からないというのは、正直なところで、

「時々その視線を感じて、ゾッとする」

 ということもあった。

 ただ、その視線が自分に向けられているものではなく、ゆいかに向かってのものだった。

 だから、余計にゾッとしたものであって、なぜかというと、

「俺も、ゆいかに対して、同じ視線なのではないか?

 と感じたからだった。

 ゆりかが入部してくると、そのゆいかに向けられていた視線が、急にゆりかに向いたのだった。

 ただ、その視線の種類は違うもので、

「何がどう違うのか?」

 ということを説明することはできないが、

「明らかに違う」

 ということだけはいえたのだ。

 そして、その違いから、

「ホッとした」

 という気持ちと、

「これは困った」

 という気持ちが交互に襲ってくるように感じたのだった。

 最初の、ホッとしたという気持ちだが、こちらは、ゆいかに対しての視線がなくなったことで、ホッとしたといってもいい。

 しかし、次の困ったという思いには二つだったのだ。

 一つは、

「皆の視線が、ゆいかから抜けたことで、自分だけの視線をゆいかが浴びることになり、俺が意識していることを知られるのではないか?」

 という危惧であった。

 もう一つは、言わずと知れた、ゆりかが、今度はまわりの視線を浴びることで、

「さらし者になっている」

 ということを感じさせられるような気がして、それが嫌だったのだ。

 最悪、自分もゆいかも、さらにはゆりかも、皆嫌な思いをすることになると思うと、

「ホッとする」

 という気持ちよりも、

「これは困った」

 と思う気持ちの方が強いのであって、下手をすると。

「美術部に入部したのは、早まったかな?」

 とも感じたのだ。

 ただ、もう一つ気になったのが、

「なぜ、ゆりかは美術部への入部に、1カ月もかかったのか?」

 ということであった。

 相談してから、自分が入部するまでは、

「ほぼ、電光石火だった」

 といってもいいくらいなのい、それから考えれば、1か月という期間は、長すぎるといえるだろう。

 その間、ゆりかの気持ちの中で、何か紆余曲折があったということは想像ができる。

 そもそも、ゆりかという女性は、

「思い立ったが吉日」

 とばかりに、

「それこそ、本能で、決断をする」

 というタイプだったのだ。

 その決断というものが、どれほど適格なものだったのかということを、正孝が、一番知っているのだろう。

 それだけに、1カ月というブランクが何を意味しているのか、次第に気になってくるのだった。

 だが、美術部に入ってしまうと、ゆりかという女性が、

「いかに、順応性が高いか?」

 ということが分かる気がした。

 熱い視線を浴びながらでも、まるで気づいていないかのような素振りに、今度は最初の視線とは違ったものが、ゆりかに注がれているのだった。

 それがどんなものか分かる気がした。

 それこそ、正孝が、ゆいかに退位て書似ているものだったのだ。

 だから、

「困った」

 と思ったのだが、ゆりかは、そういう視線をはぐらかすのがうまいのか、

「そんな視線など感じていない」

 と思っていることが、よくわかっていたのだ。

 ゆいかは、分かっていて、素知らぬ態度をとっているが、ゆりかの場合は、分かっていると相手に思わせて、その上で、煙に巻こうとしている。

 まったく正反対のやり方であるが、

「どちらも正攻法だ」

 ということを感じる。

 それだけ、ゆりかとゆいかは、対照的な性格なのだろうが、そう思えば思うほど、正孝には、二人が次第にダブって感じられ、

「どちらも大切なんだけど、それ以上に、大切さというものがどういうことなのかというのが分からない」

 と感じられてきた。

 それが、

「まだ中学生という年ごろだからなのか?」

 ということなのか、それとも、

「思春期にいるからなのだろうか?」

 と感じたが、

「要するに言い方が違っているだけで、同じ年齢なのだから、考えることは同じであって、ただ見ている角度が違うから、言い回しが違っている」

 というだけのことだということは、自覚しているつもりだった。

 ゆりかが、美術部内で、次第に、その存在感を深めていくのを見ていると、今度は自分が小学生の頃のように、孤立してくるのを感じた。

 それは、今に始まったことではないと思っているだけに、嫌な気持ちであるはずがない。

 それを思うと、

「小学生の頃、孤立が好きだったと感じたのは、ゆりかの存在があったからではないだろうか?」

 と感じた。

 これは決して。嫌なことだと感じているわけではない。

 むしろ、

「ゆりかがいてくれることで、孤立しても、もし、寂しくなった場合には、ゆりかがいるではないか」

 と感じることで、安心感があったからではないだろうか。

 ここでもそうだ。

「もし、憧れのゆいか先輩から嫌われたら、どんなにつらいことだろう」

 という思いがある中で、

「俺には、ゆりかがいる」

 という、まるで、言い方は非常に失礼だが、

「敗戦処理」

 としての、事態の収拾を行ってくれる気がして、直接的にではないだろうが、

「俺のことをなぐさめてくれるに違いない」

 と感じるのだった。

 しかし、

「なぐさめるというのは、どういうことなんだ?」

 と思った。

 あのゆりかが、

「よしよし」

 という感じでなぐさめてくれるなどということはありえないだろう。

 というのも、

「ゆりかという女性は、どちらかというと、ストレートにしか表現できないので、慰めの言葉というものを知っているとは思えない。もし、知っていたとしてその言葉をいかに的確に使えるかというのも分からない」

 つまり、

「ゆりかは、俺を慰めるとすれば、無言でしかない」

 ということになる。

 だが、今までのゆりかを知っている正孝は、

「無言のゆりか」

 というものを想像することはできない。

 なぜなら。

「無言のゆりか」

 というものが、どこから来るのか、想像を絶するからだ。

「ゆりかが、いつも賑やかなのは、相手を慕いたい」

 という思いを整理しているからだと、正孝は感じていた。

 その思いは、

「間違いない」

 と思っている。

「賑やかな人が急に静かになったり、静かな人が急に賑やかになった場合は、悩みを抱えているか。それとも、何か心機一転するだけの理由があるかの二択だろう」

 と正孝は思っていた。

 ゆりかのように、賑やかな女性が急に静かになると、それこそ、ストレートに悩みがあるということを示しているようなもので、その静かな雰囲気は、

「尋常ではない」

 ということを感じさせながら、その思いを、自分の中で、

「いかに租借すればいいのか?」

 ということを考えていることだろう。

「ゆりかの心が分かるのは、俺だけだ」

 として、正直、

「自惚れている感」

 というものがある正孝にとって、美術部の中で、

「ゆいか先輩とゆりか」

 という、二人の女性のジレンマに、これから襲われていくのではないか?

 と思うと、何か、不安で仕方がないといってもいいだろう。

 そのくせ、

「二人の女性をよく知っているのは、この俺だ」

 という意識はあった。

 ただ、ゆいか先輩に対しては。ゆりかに対しての自信に比べれば、かなり落ちるというものだ。

 何と言っても、まだ数カ月しか、ゆいか先輩を見ているわけではない。

 だが、そんな中で、一縷の望みのような自信もあった。

 というのは、

「ゆりかが入ってきてからの。部員の視線が、漏れなく、ゆりかに向いたからだ」

 といえる。

「もし、あの時、ゆいか先輩にだけ視線が向いている人が残っていれば、その人が少なくとも自分のライバルになるのではないか?」

 ということを感じることになり、それはそれで、

「また、悩みが増えるのではないか?」

 と考えられることを危惧するのであった。

 そういう意味での、美術部での、

「これから起こるであろうジレンマ」

 というものが、

「次第に膨れ上が阿っていくのではないか?」

 と感じられ、そこから先が、自分にとって、いいことなのか悪いことなのか?

 正孝は、次第に、これから、時間がゆっくり進んでいくというような。

「根拠のない妄想」

 のようなものに、悩まされるのではないか?

 と感じるのであった。

 ただ、ゆりかが入ってきた時に、感じた思いは、ある程度、ホッとしたところが強かったので、

「却って、プラスマイナスゼロになったのではないか?」

 と感じられたのであった。

 それを思うと、

「ゆりかの存在というのは、俺には欠かせないものなんだな」

 と、いまさらながらに、ゆりかの存在の大きさを感じさせられる正孝だったのだ。


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