第2話
一限目は世界史だ。
昔から歴史は好きで、知識に自信がある。
授業を聞かなくても問題ない。
つまり新田さんに注意を払うことができる。
世界史の先生が教室に入ってきた。
定年間際のおじいちゃん先生だ。
彼の言葉は、まるで眠りの呪文だと評判だが、残念ながらおれには効かない。
礼をして、教科書を開く。
今日は後漢の末期か。三国志のところだね。
なるほど、なるほど。
……はっ!
ちゃんと授業を受けてしまったではないか。
しまった。作戦は失敗だ。
歴史好きが、逆に仇となった。
休み時間、新田さんは違うクラスの友人に呼ばれて、廊下で話をしている。
さすがに廊下まで追いかけるわけにはいかない。
くそう、ここまでなにもヒントを得られていない。
だが、一日は始まったばかりだ。
挽回のチャンスはまだまだある。
次の授業は……数学か。
これは真面目に聞かないとまずいな。
またテストで赤点は避けたい。
そして無難に授業を終えた。
まだ二限目が終わっただけだ。
焦る必要はない。
三限目。芸術。
おれが音楽で、新田さんは美術だ。
そもそも教室が違う。
ま、まあこんなこともあるさ。
教室を移動するため、休み時間に接触することはできない。
新田さんの背中が遠ざかっていく――。
音楽の授業が終わった。
ふっふっふ。おれの素晴らしい歌声で、教室中を感動の渦に巻き込んできたぜ。
でも、なぜか耳をふさぐような仕草をみんなするんだよなあ。
不思議だ。
それはともかく次の授業だ。
理科の選択科目か。
おれが生物で、新田さんは物理……。
あ、あれー? また教室が別じゃないか!
ど、どうしてこんなことに……?
いったい、どこで計算が狂ったんだ。
思わずおれは天を仰いだ。
しかし、おれは生物の先生の顔を思い出すと、移動の準備をした。
彼は遅刻をいっさい許してくれない。
「実験は一秒の誤差が命とりなんだぞ!」
それが彼の口癖だ。
おれは教科書を持って教室を出た。
新田さんとは方向が逆だ。
ああ。彼女との距離が、地平線の向こうのように遠く感じられる。
よっしゃ。四限目が終わったぞー!
とはいえ急いで昼飯を食べて、全校集会へ行かなくてはならない。
新田さんと話せる時間は少ない。
どうしたものか。
彼女の席を見ると、新田さんはひとり手持ち無沙汰に座っていた。
そうだった。彼女と仲の良い友達は、いつも購買にパンを買いに行く。
それを待っているのだ。
神のくれた好機だ。
彼女のところへ行って「あっ。新田さん、髪切った?」と聞けばいい。
そもそも深く考えすぎたのがいけなかった。
こういうのは、さらっと言えばいいんだよ。さらっと。
よし、行くぞ!
「おい、須藤。借りてた漫画返すよ。いやー、まさかあのキャラがここで死ぬとは思わなかったな」
高山、貴様コラァ!
自分がなにをしたかわかってんのか!?
千載一遇のチャンスだったんだぞ!
あぁ! 新田さんの友達が戻ってきちまったー!
くっ、ここまで来たらしょうがない。
午後に賭ける。一気に巻き返してやる。
さて退屈な全校集会である。
坊主頭のマッチョマンが、大会に向けて抱負を述べている。
今や長髪の野球部も多いが、我が校は昔ながらの丸刈りだ。
「キャプテンとマネージャー別れたんだって。絶対プレーに影響出るぜ」
うれしそうに高山がささやく。
誰とつきあって別れようと自由なのが、現代社会だろう。
アップデートせい、高山。
しかし、こいつの情報網はすごいな。
どこから仕入れてくるんだ?
全校集会が終わり、五限目が始まる。
科目は――体育。
おいおい、男女別じゃねえか!
ここまで運が悪いとあっぱれだな、おれ。
六限目は現代文。
よし、この科目は授業を聞かなくてもなんとかなる。
最後にして最大のチャンス。
この機を逃さないぞ。
――眠い。
まずい。非常にまずい。
昼飯を早食いしたのと、体育の疲労のダブルパンチ。
凶悪な睡魔が襲ってきやがった。
教室が揺れている。
いや、おれの頭が前後に動いてるんだ。
視界が小さくなる。
両方のまぶたがくっつきそうだ。
もうおれは、ノックアウト寸前だ。
いつレフェリーが試合を止めてもおかしくない。
視界の隅に新田さんの姿が見えた。
やっぱり髪が短くなったと改めて思う。
新田さん、似合ってるよ――。
「須藤! あと少しなんだから起きなさい」
大きな声が頭の中に響きわたり、おれは現実へと引き戻された。
慌てて周囲を見渡す。
目の前には国語の先生が仁王立ちしていた。
おれは恐縮して、すっかり小さくなった。
クラスメイトが笑い声をあげる。
斜め前を見ると、新田さんもクスクス笑っていた。
目が合うとおれになにかを言った。
『ドンマイ』
口の動きからは、そう読める。
おれは、やっちまったーと大げさに頭を抱えるジェスチャーをした。
それを見た新田さんは思わず吹き出し、笑い声をあげまいと必死におなかを押さえている。
新田さんを笑わせた満足感で、眠気はどこかへ吹っ飛んだ。
あっ。そういえば今日、初めて新田さんと接したな。
授業がすべて終わり、クラスメイトたちはそれぞれの場所へ散っていく。
部活、塾、バイト、ただの遊び等々。
おれは……決まっているだろう。
一日の最後になってしまったが、新田さんに伝えるぞ。
おれの気持ちを――じゃない! 髪形のことだよ!
いかん。気合いが空回りしている。
まずは深呼吸――。
「須藤くん。だめじゃん。爆睡してたよ」
に、新田さん!?
しまった。のんびりしているあいだに向こうから来ちまった。
どうしよう。
「普通にしゃべればいいんだよ」
この声は『冷静』と『前向き』か!
そうだよな。いつも通り普通にしゃべろう。
アドバイスありがとうな。
「いやー、体育の後で眠くてさ。あっ。新田さん、髪切ったんだね。いいじゃん。似合ってるよ」
自分でも驚くほどスラスラと言葉が出た。
やっぱり気負いすぎだったな、おれ。
「えー、今頃気付いたの!? 信じられない。やっぱ須藤くんって鈍感だわ」
「ご、ごめん」
とはいえ、新田さんはそこまで怒っているようには感じられない。
「バツとして映画につきあってもらおうかな。見たいのがあるから」
ああ、カラオケでも話してたね。
売り出し中の若手二人が主演の恋愛映画。
……アイスクリームに蜂蜜かけた感じの甘い、あまーいやつね。
そんなわけでおれたちは映画館へ行くことになった。
と、そこへ高山がニヤニヤした顔で現われた。
「話が聞こえちゃってね。おふたりさん、映画行くんだって? よかったら、これ使ってくれよ。有効期限が今日までなんだ」
そう言って高山は、二枚の紙を差し出した。
「割引券か! ありがとう、高山!」
「いいってことよ。じゃあ、おれはバイトがあるから失礼」
軽く手を振って、高山は去っていった。
高山、やっぱりおまえは最高の友達だよ。
「よし、じゃあ早く行こう。上映時間まで結構ギリギリだよ」
新田さんがおれの手を引いた。
彼女の短くなった髪が、おれの目の前にある。
やっぱりかわいいな。
そして似合ってる。
前の髪形も好きだったけど、こっちはもっといい。
おれは胸の高鳴りを聞きながら思った。
そしてもうひとつの思いが、胸を去来した。
(実はおれも髪切ったんだけどなあ。いつになったら、新田さん気付いてくれるんだろ?)
強くなった午後の日差しが、おれたちの歩く廊下を明るく照らしていた。
(完)
新田さん、髪切った? 岸 耕平 @kishi_kohei
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