新田さん、髪切った?

岸 耕平

第1話

 おれの視線は斜め前の席に注がれている。


 なぜなら、おれは気付いてしまった。

 新田さんが髪を切ったということに……!


 背中まであった彼女の長い髪は、明らかに短くなっている。


(勘違いじゃないよな……?)


 昨日までの彼女をイメージする。

 間違いない。新田さんは髪を切った。


 女子の髪形に無頓着なおれでさえ気付くのだから、女子的には相当バッサリいったと考えていいだろう。

 なにが彼女にそうさせたんだ?


 もはや担任の話など一切、耳に入ってこない。

 遠い外国の言葉を聞いているようだ。


 ホームルームが終わり、周りがざわめきだした。

 後ろの席の高山が話しかけてくる。


「めんどくせえな。全校集会」

「えっ?」

「野球部の壮行会だよ。大会が近いから」

「そんなあるの? やだな。昼休みがつぶれるじゃん」


 おれの発言に高山が呆れてツッコむ。


「おまえ、話聞いてなかったんかい!」


 それどころじゃなかったんだよ、と言いたくなる反面、ホッとした自分もいた。

 新田さんをずっと見ていたことが、バレなかったからだ。


 こいつのことだ。

 もし気付いたら、本人に言いふらすだろう。

 おれは小さな幸運に感謝した。


 しかし、なぜ新田さんはいきなり髪を切ったのか。

 この答え――おれの思い違いかもしれないが――には心当たりがあった。


 数日前、おれと新田さんは一緒にカラオケへ行った。

 断っておくが、おれたちふたりは付き合ってなどいない。

 いや、おれは彼女のことを好きだが、向こうはどう思っているかわからない。

 ふたりきりでカラオケに行ってくれるのだから、少なくとも嫌われてはいないと信じたいが……。


 高山から、その日が期限のペア券をもらったのが発端だった。

 彼自身はバイトで行けないというので、おれは他の人間を探した。

 だが、皆その日は用事が重なり、誰も捕まえられなかった。

 途方に暮れていたおれに、一緒に行こうかと言ってくれたのが新田さんだった。


 そしておれたちはカラオケにくり出した。

 新田さんの歌声に感心したり、おれの歌声に逆の意味で感心されたり、楽しい時間を過ごした。

 お互いのレパートリーを歌い尽くして、一休みしているときだった。


「須藤くんは髪長いほうが好き?」


 たしか、そういう質問だった。

 愚かなのは、ここでおれは本音を言ってしまったのだ。

 

 新田さんは髪が長い。

 当然、本音はともかく、目の前の彼女に合わせた答えをすべきだろう。

 つまり『長いほうが好き』と。

 それが世渡りというものだ。


 だがおれは本音を、己の欲望をあけすけに語ってしまったのだ。


「いや、短いほうが好きだな。おれは」


 ◇


 おれは数日前の出来事を思い出し、真っ赤になっていた。

 無礼千万。なんてデリカシーのない人間なんだ、おれは。


 いや、言ってしまったことはしかたがない。

 問題は新田さんの髪が短くなっていることだ。

 おれの言ったとおりに。


 思わず生唾を飲み込んだ。

 手のひらには汗がにじんでいる。


 こ、これはいわゆるというやつじゃないか。

 おれの好みに合わせて髪を切った。

 彼女は間違いなく、おれに好意を抱いている――!


 待て待て、落ち着け。

 もうひとりの自分がささやく。


「彼女の髪はもともと長かった。そろそろ美容院に行ってもおかしくないだろう。カラオケの件と日にちが近いからって勘違いするなよ。これで新田さんにアタックでもしてみろ。おまえの評価はたちまち急落する!」


 ヒーッ、そんな事態は絶対に避けたい。

 冷静な自分よ。忠告ありがとう。


 おいおい。男がそんな臆病でどうするんだ?

 今度は前向きな自分がもの申す。


「なにもなければ、今までの長さをキープするだろ。どう考えてもおまえの言葉を受けて、髪を短くしたんだよ。早く『髪切ったんだね』って言いに行け」


 たしかにそうだなとおれは納得しかけた。

 すると『冷静』が『前向き』に食ってかかった。


「そもそも、あの程度では短くしたと言わないだろ。ただの散髪だと解釈したほうが無難だ」


『前向き』も反論する。


「それは男の感覚だな。ロングヘアをバッサリ切るのは、さすがに抵抗があったんだろ。男だって、いきなり坊主頭にするのは勇気がいるぞ」


『冷静』が負けずに食い下がる。


「本当に相手のことが好きなら、バッサリ短くできるはずだ!」

「その相手の好む『短い髪』のラインがどこにあるかわからないんだよ。だから少しずつ短くして、様子を見るんだ。そんなこともわからんのか。この非モテ陰キャ童貞!」

「おまえもおれなんだから、悪口になってねえよ。バーカ!」

「なんだと、コノヤロー!」


 こうなっては収拾がつかない。

 顔をピシャピシャと叩くことで、おれ同士の醜い戦いを終わらせた。


『冷静』と『前向き』の双方とも一理ある。

 おれは腕を組み、これからの行動を考えた。


 ……ここは“見”だな。

 つまり向こうの出方をうかがうということだ。


 新田さんもなにかしらシグナルを発するはず。

 それを見逃さず、柔軟に対応すればいい。


 それは結論の先送りでは……と『冷静』と『前向き』が呆れて言ったが、おれは無視した。


 ここで一限目のチャイムが鳴った。

 おれにとっては戦いの始まりを告げるゴングでもある。


 おれは再び、新田さんの背中を見た。

 短くなったその髪が、日の光を浴びて輝いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る