第12話 三途の川を渡る
「うわぁ、綺麗な舟ね~」
いつもの三途の川の河原に到着し、そこあった小舟を見て梓は大きな息を吐いていた。
真っ白な白木の舟。大きさ的には二人ほどは乗れる大きさだろうか。檜の清涼な香りが少し離れていても漂ってくる。どう見ても新品のようにしか見えない。
一体どこで買ってきたのだろうか。不思議に思い梓は問いかけた。
「こんなのが幽世には売ってるの?」
「これは売り物ではないよ。梓のために作らせたのだ」
え、と梓は目を見張る前で宗一郎が続ける。
「三途の川の渡し舟くらいしか幽世には舟がないからね。梓が現世へ帰りたいと聞いたときから、この舟を作らせていたのだ。輪廻の輪の修繕が終わってから作らせたのでは、手遅れになってしまうと思ったから」
自分の知らないところで宗一郎は動いてくれていたのだ。再度それを実感して、梓は自然と宗一郎へ抱き付いていた。
「あ、あずさ……?」
「本当に、ありがとう」
戸惑ったような気配に、梓は心からのお礼を言う。こうして宗一郎が手を尽くしてくれなければ、弟を残して死んでしまった未練で、間違いなく幽世町の住人になっていただろう。
「いやはや」
嘆息とともに梓の背中に手が回ったかと思うと、そのまま同じ力で抱き締められる。
「梓は本当に俺の理性を試すのが好きだね。これでは手放せなくなってしまいそうだ。このまま攫って幽世町の住人にしてやろうか」
「そんなことしないくせに」
梓は身体を離して小さく笑った。宗一郎はそのようなことをする男ではない。たった十日間だったけれど、水牛に乗せられて屋敷と河原を往復するのは楽しかった。
「お礼を言うことしかできないのが、本当に……本当に心苦しいんだけど」
「そこまで思うなら、そうだな……」
少し考えてから、冗談めかして宗一郎が言う。
「梓が寿命を全うして、また三途の川を渡ることになったときは、俺の元で働いてくれるというのはどうだ?」
「ああ、それいいね! 考えておく!」
悪くないなと思ってしまったのは、やはり宗一郎との別れを惜しんでいるからだろうか。
このままでは幽世側に未練を残してしまいそうだ。滲みそうになった目尻を拭いて、梓は小舟の中に置いてある艪へと視線を向けた。
「この艪を使って漕ぐんだよね? こういうのってやったことないんだけど、あたしにできるかな……」
三途の川の流れに負けないように進まなければいけない。操作を誤って舟を輪廻の輪にぶつけてしまったら大変だ。舟がひっくり返ってしまうかもしれないし、また輪廻の輪を壊してしまうかもしれない。
「安心するがいい。そう思って簡単に扱えるような艪にした」
宗一郎が艪を持つとその手が淡く光った。霊力を籠めているのだと気が付いた次の瞬間には、艪の先端が風車のように変形し、くるくると勢いよく回りだす。
「おお! すごーい!」
瞳を輝かせて叫んだ梓の前で、宗一郎が「ふふん」と胸を張った。
「梓には霊力があるからね。金槌を扱うよりずっと簡単なはずだ」
梓は艪を受け取ると、同じように霊力を籠めてみた。すると、簡単に艪の先端が風車に変形してくるくると回る。難しい操作は何もない。輪廻の輪の修繕のほうが百倍難しい。
「さあ、舟に乗りなさい」
宗一郎に促されて、いよいよとばかりに梓は小舟へと乗った。腰を下ろして艪を手に持つと、宗一郎が川の中へと小舟を押し出してくれる。
「無理に方向は考えなくていい。梓はその艪に霊力を籠めて、現世に帰りたいと強く念じるのだ。梓が着ていたその小袖が道標になってくれるだろう」
「わかった」
うん、と頷くと、宗一郎が力を籠めて小舟を押した。ゆっくりと小舟川べりを離れて行く。梓は艪を川の中に入れると霊力を籠めた。
(ええっと、現世、現世……)
きっと十日間も目を覚まさなかった梓に、弟はひどく心を痛めているだろう。現世の身体にこの魂が帰ったら、真っ先にそれを謝らないといけない。もしかしたら、医者を呼んでいるかもしれない。払うお金もないのに……ああ、早く健康を取り戻さないと。
そんなことを考えていると、下流へ押し流されていた小舟が、水の流れに対して直角に進むようになっていた。これなら輪廻の輪に舟をぶつけてしまうこともない。ほっと安心して顔を上げると、宗一郎が向こう岸から、それでよい、と頷いていた。
「あーりがとーっ!」
右手を力いっぱい振りながら梓は叫んだ。それを見て、宗一郎も手を振り返してくる。梓がさらに艪へ霊力を籠めると、小舟の速度が上がり、宗一郎の姿がどんどん小さくなっていく。三途の川の真ん中あたりまでくると、靄に隠れて宗一郎の姿は影しか見えなくなった。
「よし、帰るよ」
もう後戻りはできない。梓は自分に言い聞かせるようにして、艪を握り直した。
順調に小舟は前進し、この調子ならいくらもしないうちに対岸に……と思ったところで、いきなりの強い揺れに梓はバランスを崩した。
「わわっ!」
一体、何が起きたのか。両足を踏ん張っていると、再び小舟が大きく揺れた。舟の底から突き上げるような衝撃に、梓は三途の川に投げ出されそうになった。
「こ、これは……」
誰かが舟底をゴツゴツと突いている。そう思った次の瞬間には、ガコンと大きく舟が傾いていた。
「えっ、えっ、ちょっ!」
立っていられなくなった梓は、小舟の底に這いつくばるようにして耐えた。
「待って! やめてっ!」
梓が悲鳴を上げるも、容赦なく何度も何度も小舟の底を突いてくる者がいる。その度に大きく小舟は揺れ、バシャバシャと小舟のへりから大量の水が中へと入ってくる。このままでは沈没してしまう。梓が必死に水を掻き出していると、とどめとばかりに、小舟の端が大きく浮き上がった。
「きゃぁぁっ!」
梓の身体が小舟の外へと放り出され、ばしゃん、と大きな水飛沫が上がった。
――がぽっ……。
その拍子に川の水を飲んでしまうも、梓は夢中になって両手両足を動かし、何とか水面から顔を出した。
「くっ……やめてっ!」
以前と同じように、川を流れる亡者が梓を引きずり込もうと足を引っ張る。梓は手に持っていた艪で、力任せに叩いて何度も迎撃した。それでも相手は数が多く、何度も川の中に沈められそうになる。
「あ、やばっ……」
ふと気が付けば、輪廻の輪の気配がすぐ背後となっていた。亡者の迎撃に集中し過ぎていた。今からでは避ける暇もない。
「いやっ……ああああぁぁっ!」
梓は成す術もなく輪廻の輪の回転に巻き込まれた。魂そのものが柄杓に収められるような感覚に恐怖を覚える。
(いやだ、死にたくないっ!)
輪廻の輪から、空高く打ち上げられた梓は強く想った。それが功を奏したのか、それとも梓がまだ生者であるからか。梓は昇天することはなく、そのまま頭から三途の川へと落下していく。
(お、溺れる……)
落ちた衝撃で意識が遠のく。
半ば気を失いかけたそのとき、梓の身体を何者かが攫った。
(宗一郎……?)
それにしては、何だか少し小さい気がする。力尽きた梓はいつしか意識を失い、水面を漂ったのだった。
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