第9話 閻魔様の間違い
「こちらが正しい数字か」
屋敷の者が寝静まった深夜、宗一郎は閻魔帳に筆で数字に二本線を引いていた。その隣に別の数字を書く。
「申し訳ありません。宗一郎さま」
いつもは元気のよい喋り口が特徴の桔梗が、バツの悪そうに謝ってくる。宗一郎は少しだけ憂鬱な表情を浮かべながら首を横に振った。
「いや。間違いは訂正せねばならぬからな。隠さずによくぞ言ってくれた」
閻魔帳に書かれる数字は、司命・司録の資格を持つ者が現世を飛び回って報告してきたものだ。こうして数年に一度、現状に合わせて最新の数字で更新する。
尤も、現世には数えきれないほどの人間がいる。それらを一人一人、間違わずに判定するのは至難の業だ。書き損じてしまうこともあれば、寿命を別の者と取り違えてしまうものもある。
閻魔帳の数字は絶対ではないし、確定された未来でもない。しかし、それに現世の人間の寿命が引きずられてしまうことも事実。だからこそ、間違いが発見されたときは、早急に修正する必要があった。
「しかし、ここを間違えるとはわたしも思ってもいませんでした。何度も確認したのですけどねー」
目を皿のようにして閻魔帳を調べながら桔梗が言った。宗一郎も同様に、他に誤りがないか調べながら訊ねる。
「この話を松風は知っているのか?」
「きっと知らないのでは。こちらは司命の資格を持つわたし、桔梗の担当範囲ですから」
たしかにな、と宗一郎は頷く。
司命は女性、司録は男性の寿命を調べるように決まっている。ただでさえ忙しいのだから、桔梗の報告をわざわざ疑ったりはしないだろう。
「ところで宗一郎さま、これ、どうするのですか?」
「そうだなぁ」
一通り調べ終わってから、宗一郎は腕を組んで修正した場所を眺めた。桔梗は元の調子に戻ってきたのか、茶化すように言ってきた。
「きっと、知ったら怒るんじゃないですか? どうです。間違ったままにしておくという手も?」
「そういうわけにもいかぬだろう」
墨が乾くのを待ってから、宗一郎は閻魔帳を閉じた。それを文机の上に置いてから立ち上がる。
「あの頑張っている姿をいまさら無駄にするわけにもいかぬしな。俺のほうで何かしら手段を考えておくよ。さあ、夜ももう遅い」
桔梗を促して宗一郎は部屋を出た。
(さてさて、どう伝えたものかな)
――梓の寿命は間違っていた。
彼女が幽世でどのような行動をしようと、結果は変わらないということだ。これは幽世側のミスであるのだが、散々手伝わせておいて、いまさらこの話をするのは非常に気が重い。
(まあ、輪廻の輪を壊した代金。これだけは真実だったからな)
そのように、自分を納得させながら、宗一郎は寝所へと入ったのだった。
――さらに夜も更けた丑三つ時。
屋敷の廊下を影のようなものがふわふわと漂っていた。その影は音も立てずに移動すると、宗一郎と桔梗が話していた部屋の前でピタリと止まる。
しばらく中の気配を窺っているような様子だったが、誰も中にいないことを確信したのだろう。部屋の障子がひとりでに開いた。一陣の風がさっと吹いて部屋の中で舞うと、記帳台の上に置かれていた閻魔帳がパラパラとひとりでにめくれた。その中のある場所でピタリと止まる。
そのまま影は、部屋の外から閻魔帳を見詰めて何やら考えているようだった。
やがて、知りたい情報は得られたのか、またもや風が吹いて閻魔帳を閉じる。しずしずと障子が閉じられると、影はいつの間にか消え去っていたのだった。
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