第7話 梓の危機
「――くれぐれもこの輪廻の輪の近くから離れないように。人をたぶらかすような亡者や、妖が出ることがあるからね」
「わかってるって!」
三途の川の側で、宗一郎からの強い念押しに、梓は頷いていた。
「現世に帰るために稼がないといけないんだから。遊んでる暇なんかないんだからね!」
どん、と梓は自分の胸を叩いてから、持っていた金槌を高々と振り上げる。その姿を見てから、宗一郎は止めていた水牛へと乗った。
「では、また夕方に迎えに来る。無理をするなよ。寿命が縮むぞ」
「はいはーい。お仕事頑張って!」
手を振る梓に、宗一郎も手を振り返しながら水牛を空中へと走らせた。あっという間にその背中が小さくなっていく。
(さぁて、お仕事お仕事)
梓は大工道具を取ると、すぐに輪廻の輪の修理に取り掛かった。
最初のうちは慣れなくて、切った材木が合わずにやり直したりしていたが、今日で五日目ともなれば、だいぶ手慣れてきた。
数刻ほど作業に没頭してから、ふぅ、と梓は額の汗を拭った。上がった息を整えて、胸元から木札を取り出す。
(まだ半分以上もある……)
木札に書かれた数字を見て、梓はため息を吐く。
宗一郎は、毎朝三途の川へと梓を水牛に乗せて送ってくれる。そこでしばらく梓の仕事ぶりを眺めてから、町のほうへ戻る。どうやら昼間は閻魔様としての仕事をしているようだ。
(あ、また落ちた)
休憩がてら輪廻の輪を眺めていると、天へ昇って行く人魂とは別に、途中で放物線を描いて、べしゃっと河原に落ちる人魂もあった。梓が見ている前で、人魂は人間の姿へと形を変える。起き上がった者は決まって、どうしてここにいるのだろう、といったような不思議な表情をする。死んでしまったことが信じられないのかもしれない。
そういった人間は、そのまま河原に放置されることはない。何処からともなく鬼がやって来て、幽世町へと案内する。死が受け入れられず暴れるような者もいたが、さすがは鬼。腕っぷしに物を言わせて、強引に連行していく姿も見ていた。
「お、見つけたぜ。おーい!」
今日もまた、途方に暮れる死者に対し、男の鬼が姿を現した。頭の角を見て「ひっ」と死者は怯えるが、鬼は手慣れた様子で柔和な笑みを浮かべる。
「幽世へようこそ。お前さんは死者になっちまったんだ。これからちょいと手続きがあるが、大人しく付いて来てくれねえかな?」
「は、はぁ……?」
まだ頭がぼんやりとしているのだろう。人間のほうは不思議な表情を浮かべながら首を捻るばかり。その者の肩へ手を置いて幽世町へと連れて行く前に、鬼が梓へと手を振った。
「よう。嬢ちゃん。今日も精が出るねえ」
「ありがとう!
彼は最初に町で出会ったあの鬼だ。宗一郎に頼まれているのか、こうしてたまに進捗具合を確認しに来てくれていた。もちろん、こうして迷える魂があるときは、幽世町へと案内する。彼に話を聞いたところ、送り火という資格を持っているらしい。
嵐の背中を見送ってから、梓は輪廻の輪の修理に戻った。
(あたし一人に構ってばかりはいられないだろうしね)
現世で一日に死ぬ人間の数を考えると、三途の川を流れる魂は膨大だろう。宗一郎曰く「幽世も分業制が進んでいる」とのことだが、輪廻の輪で来世に転生しない者は、強い未練を持った訳有りの者ばかり。それを考えると、宗一郎が裁いていくのもさぞかし大変に違いない。
「慣れたらもう少し早くなると思ったんだけどなぁ」
鋸で切った材料を手に取りながら梓はぼやいた。
霊力を籠めて金槌を振るう、というのがなかなか上手くいかない。少しでも集中が緩むと、嫌というほど手を叩いてしまうのだ。
「さあ、あとひと踏ん張り!」
太陽の位置を確認すると、水平線に近い場所になっていた。もう一、二時間もすれば宗一郎が迎えに来るはずだ。
梓としては、もっと夜遅くまで働きたい。だが、幽世側での疲れは、そのまま現世の身体にも響くと言われては無理をするわけにもいかない。ここでの目的は現世の身体に戻ることだが、戻った瞬間に御臨終では意味がない。身体に戻った後のことも考えながらの作業は、全力を出せない分、もどかしいものがあった。
「――もうし、お姉さん」
輪廻の輪の修理に集中していると、おずおずとした声を掛けられた。おや、と顔を上げると、そこにはあどけなさの残る顔立ちの鬼が立っている。背格好は十四、五くらいで、まだ成長途中といったところだろうか。
「あたしのこと、呼んだ?」
念のため問いかけると、うんうん、と鬼が首を縦に振った。
「さっき、このあたりに幽世町行きの人が来なかった?」
「あー、一人いたよ。別の鬼さんがもう連れて行っちゃったけど」
先ほど前のことを思い返しながら梓は言った。すると、鬼が「え~」と困ったように首を捻った。袂から和紙を閉じた冊子を取り出して、ぺらぺらとめくる。
「もう一人来ることになってたんだよね」
「そうなの? あたしもこれの修理に夢中になってた時間もあるから、もしかしたら見逃したのかも」
「弱ったなぁ。見つけられないと怒られちゃうんだよ~」
その鬼の様子に、梓は金槌を手にしたまま立ち上がった。自分の弟と同じような歳に見えて、放っておけなくなったのだ。
(宗一郎から、この周囲から離れるなって言われてるけど……)
まだ遭遇したことはないが、未練ではなく怨念を持った死者だと、川に引きずり込まれてしまうこともあるそうだ。
だが、少しだけならいいだろう。助ける相手が鬼なら、いざという時は守ってもらえるという期待もある。
「探すの手伝うよ。どのあたりなのかな?」
「ありがとう、お姉さん!」
満面の笑みを浮かべて鬼が喜んだ。こっちこっち、と冊子を見ながら手招きをする。
「閻魔帳によると、こっちのほうだったんだよね」
てくてくと鬼が先導する。梓は河原を見回しながらその後ろを歩いた。
河原には砂利石だけではなく、梓の身長ぐらいある大きな石も転がっている。その背後に倒れていたり、隠れていたりしたら見逃してしまう可能性は大きい。
さらには、太陽が高く上がっても、朝靄のようなものがずっとかかっていて視界が悪い。これでは迷える魂も出てしまうといったところだ。
「うーん。いないね」
少し探してから梓は言った。それらしき姿も霊力の気配も感じない。
「もうちょっと。お願い、お姉さん!」
何度ももうちょっと、と頼まれ、ずんずんと河原を進んでいく。
(さすがに、ここまでかな……)
探し始めて四半刻ほど経過してから、梓は背後を振り返った。輪廻の輪を修理していた場所は、とっくの昔に靄に隠れて見えなくなっている。川沿いからも少し離れていた。方向感覚には自信があるが、万が一迷子にでもなったら目も当てられない。
立ち止まってから梓は問いかけた。
「ねえ、実は勘違いとか、場所違いだったりしない?」
「ううん。ここで正解だよ」
鬼がくるりと振り返る。その様子に、梓はどこか冷やりとしたものを感じた。なぜか緊張して身構えてしまう。
「だってさ~」
鬼の顔がはらりと崩れた。
「探してた人って、お姉さんのことだったから~」
「え……?」
梓が目を見張るその前で、鬼の姿が徐々に崩れていき、禍々しい瘴気を伴った得体の知れるものへと変貌していく。真っ黒な身体は梓よりも大きく、八本に伸びる脚の先には鋭い爪が付いている。
人ならぬモノ――蜘蛛の妖だ。それも、これは……。
「現世じゃ食べ損ねちゃたからね~。ここまで追いかけてきたんだぁ」
「ひっ……」
妖の面白がるような声に、梓の口から悲鳴が漏れる。
「いっただっきまぁす!」
「ひあああぁっ!」
覆いかぶさるように襲って来た妖を、梓は危ういところで避けた。そのまま背を向けて一目散に逃げだす。
(現世から追いかけて来るとか!)
忘れもしない。現世から幽世へ来てしまう原因となった妖だ。これに追われて橋から転落して意識を失った。魂が三途の川を渡ったのは、もしかするとこの妖から逃れるためだったのかもしれない。そんなこと、自分では何も意識はしていなかったのだが。
「待ってよぉ、おねえさーん」
頭上に黒い影がかかり、梓は反射的に身体を右に投げ出した。直後、ずどん、と砂利を吹き飛ばしながら妖が着地する。慌てて起き上がろうとするも、妖のほうが早かった。八本の脚の一つが梓の足を掴んだのだ。
「つぅ~かまえた」
無様に転んだ梓の身体を抑え込み妖の瞳が怪しく光った。
「いやああああっ!」
梓は滅茶苦茶に手足をバタつかせたるも、妖の力は人外で全く歯が立たない。獲物の暴れる様子を楽しむかのように、妖がニタァと口を開いた。
(くっ、これで!)
右手に持っていた金槌を思い出し、梓は思いっきり右手を振った。妖に食べられて終わるのはごめんだとばかりに、強い怒りを籠める。
ぐわん!
それは梓の胸を抑え込んでいた妖の脚に命中した。確実な手応えとともに、妖が仰向けにひっくり返った。
「ぎぃやあああああ!」
痛みに暴れる妖の脚の一本が、あらぬほうこうに曲がっている。
「い、今のうちに……!」
震える膝を叱咤しながら梓は走る。太陽はもう水平線に近い。輪廻の輪の場所まで戻れば、宗一郎が迎えに来てくれているかもしれない。
だが、いくらも行かないうちに、梓はもう一度転ぶ羽目になっていた。慌てて立ち上がろうとしても上手くいかず、足元を見てから声を上げる。
「な……っ!?」
「最初からこうしていればよかったな~。遊びすぎたよ~」
蜘蛛の妖の口から吐き出された糸が、梓の脚に絡みついていたのだ。ぐぱぁ、と妖の口が開き、白糸が再び吐き出される。
「わわわっ!」
逃げようにも糸は粘ついていて足を自由に動かせず、さらに糸に絡まってしまう。地面に磔にされたようになった梓へ、ゆったりと蜘蛛の妖が近づいて来た。
「やぁっと捕まえた~」
「くっ……」
今度は金槌を持った手まで封じられてしまい、絶体絶命。
だらだらと涎を垂らしながら、蜘蛛の妖が大口を開けた。
「頭からむしゃむしゃ食べちゃう~。いただきまぁ~す」
「い、いやぁぁああっ!」
迫り来る牙を前にして、梓はぎゅっ、と目を閉じた。
幽世で死んだらどうなってしまうのだろうか。少なくとも現世に帰れることはないだろう。来世へ転生するのか、それとも何もない無となってしまうのだろうか。
生臭い息が梓の顔に罹った瞬間、その上で潰れたような悲鳴が響いた。
「ぶぎゃっ!」
不意に身体が軽くなり目を開くと、宙を舞っていた蜘蛛の妖が、ちょうど河原に叩きつけられたところだった。
「迎えに来てみればおらぬどころか、妖に襲われているとはな」
怒りの気配に顔を上げると、右手に霊力を溜めた宗一郎が立っていた。その背後には棍棒を構えた嵐の姿もある。
「ひ、ひぎぃ……」
恐怖からか、ガチガチガチと歯を鳴らすのは蜘蛛の妖だ。
宗一郎が右手を一閃すると、軽やかな風が吹き、梓を縛っていた糸を吹き散らす。腰が抜けた状態でずるずると後ずさると、宗一郎が庇うように前に出た。
「現世で何人もの魂を喰らい、あまつさえ梓の魂も喰らおうとした。この罪は無間地獄に落としても許せん」
ひ……と、逃げ出そうとした蜘蛛の妖へ、宗一郎がもう一度右手を振ると、光の玉となった霊力の塊が蜘蛛の妖を吹き飛ばす。そのままひっくり返ったところを、嵐が走って行き棍棒で打ち据えた。
ぎゃぁ、と妖の悲鳴が響き、やがて河原は静かになった。
「ふぅ~……。まさかこんなのが徘徊していたとは、危ねえ危ねえ。閻魔の旦那、こいつはどうするんで?」
ぺしゃんこになって目を回している蜘蛛の妖を嵐がつまみ上げる。宗一郎は剃刀のように目を細めて、ふん、と鼻を鳴らした。
「明日の便で、地獄の釜に放り込んでおいてくれ。千年くらい煮れば喰われた魂も浮かばれるだろう」
「へ~い」
ずるずると引きずりながら、嵐が梓へ視線を向ける。
「間に合ってよかったな、嬢ちゃん」
「あ、ありが……」
「おおっと、後の礼はだな、そこの鬼よりも怖い顔をしてる旦那に言うんだな」
くわばらくわばら、と嵐は逃げるようにそそくさとその場を立ち去ったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます