第6話 輪廻の輪を修繕する
朝餉が終わってから向かった先は、幽世町の材木屋だった。
「これと、これと……そうだね、こっちの釘ももらおうか」
宗一郎が手際よく材料を選んでいく。それを梓は抱えると、通りに止めていた水牛にせっせと積み込んでいた。どれもこれも、見るからに高級そうに見えて、少しばかり心配になる。
「あと、梓ちょっとおいで」
呼ばれて宗一郎の隣に行くと、金槌を握らされた。
「少し重いか?」
「うーん。このくらいなら大丈夫。それに、節約のためにちょっとしたものなら、自分で作ったり修理をしていたし。大工仕事は得意なんだー」
「それは心強い。じゃあ、こっちの鋸は?」
それを何度か繰り返してから、ようやく宗一郎が満足したように頷いた。
「よし、これだけあれば十分だろう。主よ、いくらになるかね?」
「ひのふの、と。ざっと百幽世両ってところかねぇ。この材料ってことは、また輪廻の輪が壊れたのでして?」
「そうなのだよ」
梓の見ている前で、宗一郎が胸元から木札を取り出す。それを振ると、じゃららん、と黄金色の小判がざっと百枚ほど出現して、梓は目を丸くする。百幽世両の価値はよくわからなかったが、その小判を見れば結構なお値段というのは一目瞭然だ。
「これで足りるかね?」
「ひの、ふの……おや、その木札は閻魔様個人のものでは? 輪廻の輪の修繕なら、経費で落とせますよ」
「いいのだよ。これは俺の個人的な仕事でもあるからな」
「へえ……そこの娘さんに関係のあることですかい? しかし、その娘さんは……」
店主の興味津々といった視線が梓へと向く。梓が口を開く前に、宗一郎の手が彼女を制するように前に出た。
「今日のところは余計な詮索はしないでくれないか。もしかすると十日後にいなくなるかもしれぬし、この幽世の住人になっているかもしれん。まだ決まっていないのだからな」
そういえば、昨日は鬼から好奇の視線を向けられた。やはり死者の住まう町で、生者がいると目立つのだろうか。宗一郎が結界をかけているような話をしていたが、距離が近いと感じ取れてしまうのかもしれない。
「ふうむ。そうかいそうかい」
店主はつるりと禿げた頭を撫でてから梓へ言った。
「どうやら訳ありのようだが、娘さんも頑張るんだよ」
「はーい。店主さん、ありがとう!」
ぺこりとお辞儀をしてから、梓は水牛の背中によじ登った。そのすぐ背後に宗一郎が座り、梓の身体の横から手を伸ばして手綱を握る。宗一郎が声を掛けると、水牛は空中を駆けた。
「――うわぁ。大きいのねぇ」
眼下に広がる風景に梓は歓声を上げた。
昨日はこれからの自分のことで精一杯で、気が付いたら町に到着していた。少しだけ余裕のできた目で見下ろすと、幽世の町がいかに大きな町であるかわかる。前方に見える三途の川の反対側に、奥へ向けてずっと広がっているのだ。その向こう側には藤さんのようにすそ野の広い大きな山。
水牛の上であちこち見回す梓を支えながら、どこか誇らしげに宗一郎が口を開く。
「この幽世町は、六道へ転生する前の町としては最大級のものだからな。住み心地がよくて転生したくないという者もいて困っているくらいなのだ。それは、解脱の境地を得た者しか手に入れられないというのに」
「へえ~。たしかに明るい雰囲気の町だけど……」
材木屋での小判がずっと引っかかっていた梓は、背後の宗一郎を仰ぎ見た。
「さっきの幽世両って何? 木札みたいなの見せていたけど、幽世で使うお金?」
「その認識で合っているぞ。この幽世で飢え死にはせぬが、現世と同じような暮らしを営みたい者が多い。そこで、幽世両というお金を使って、物のやり取りをしているのだ」
宗一郎が袂から木札を取り出すと、それを梓へと渡した。木札には『梓』と自分の名前が書いてあった。
「これがあたしの木札ってこと?」
「そうだ。幽世の住人は一人一枚、必ず持っているものだ。梓はまだ死者ではないが、ここにいる限りは、持っているのが決まりだからね。身分証のようなものにもなる。そして、転生する際に、そこに書いてある数字が意味を持つ」
梓が木札をひっくり返すと、そこには『零』という数字が書いてあった。首を捻る梓へ宗一郎が説明を続ける。
「来世へ転生する際に、この数字が大事になってくるのだよ。いいことをすれば貯まるし、逆に悪いことをすれば減っていく。たくさん溜めれば、来世で少しだけ運が良くなる」
「おお、それはすごい」
驚きに目を丸くする梓へ「本当に少しだけだがな」と付け加えてから、さらに宗一郎は続けた。
「ただし、この数字が借金の状態が続けば、問答無用で地獄行きになってしまう」
「うわぁ……厳しい」
自分の木札を眺めながら梓は呻いた。零ということは要するに、今の自分は無一文ということなのだろう。
そこで、待てよ、と思う。
「もしかして、さっきの百幽世両って、宗一郎が払ってくれたの?」
「そういうことになるな。幽世へやって来たばかりの梓は無一文だからね。俺が立て替える形にしておいた」
さらりとした宗一郎の発言に、絶句して彼を二度見してしまう。
「ええっと……いいの?」
「俺もいくつか考えたのだが」
河原が近づいてきて、宗一郎が手綱を操ると水牛が高度を落とした。昨日の壊した輪廻の輪が転がっている場所だ。
「梓に材料代まで請求すると、返済ずる暇もなく地獄行きだからね。不慮の事故でそれはさすがに可哀想だから、少しくらいは手助けをしてやろうと思ったのだよ」
「うう……謝ってすむ問題じゃないかもしれないけど、ごめんなさい。……ってなんか増えてない?」
梓が壊した輪廻の輪は一つだけだったはずだ。それなのに十個ぐらい並べられていた。
「残念ながら、一つ修理したくらいで、現世に帰れるだけの幽世両は貯まらないのだよ」
宗一郎が操る水牛が、河原の石をじゃらじゃらと踏みながら着地する。先に宗一郎が水牛の背中から下りて、梓に手を貸してくれた。
水牛に括り付けていた荷物を解きながら宗一郎は言う。
「輪廻の輪の修繕ができれば、梓の木札に幽世両が振り込まれるはずだ。それを使って三途の川を渡る舟を買えばいい。それが梓の目標だ」
「なるほど。幽世での労働の対価で現世に帰るってことね」
梓も荷物解きに参加しながら頷いた。働かざる者、食うべからずということだろう。しかし、同時に別のことも思ってしまう。
「だけど、こんなことして本当にいいの? これが通るなら、閻魔様の気分次第で現世に帰れる人が出てくるってことにならない?」
「もちろんこれは特例で、誰にでもこれが通用するわけではないよ。だがな、そもそも死者には肉体がないから、三途の川を渡って向こう側に行く意味がない」
「ああ、そうか」
生きている自分基準で考えてしまった。この幽世は現世とは違う世界なのだと、改めて実感する。
全ての荷物を解き終わってから宗一郎が訊ねてきた。
「梓は水車の作り方はわかるかな?」
「日銭稼ぎで大工さんのお手伝いはしたことあるけど、さすがにこんな大掛かりなものはやったことないかなあ」
「そうかそうか。では、教えてやろう」
なぜか嬉しそうに宗一郎は壊れた輪廻の輪の前にしゃがむと、梓を手招きした。水車の中心から外側へ伸びている腕を指差しながら説明する。
「これがクモ手と言う。ここに、柄杓がいくつも付いているだろう? これは霊を誘う特別なもので、ここに三途の川を流れる霊が入ると、水車の頂点に上ったときに来世へと転生する仕組みになっているのだ」
ふむふむ、と梓は柄杓に手を伸ばしてみる。たしかに特別な霊力が感じられる。ともすれば中に吸い込まれていきそうな気がして、慌てて手を引っ込めた。
「これ、大丈夫なの?」
顔をしかめて問いかける。修理中に来世に転生させられたりしないだろうかと思ったのだ。
「ある程度の霊力がない者はあっという間に来世へ行きになる」
「ちょ、ちょっと!?」
慌てて離れて宗一郎の背中に隠れる。それを見て宗一郎は笑いながら首を横に振った。
「梓はまだ生者だから大丈夫だ。それに、きみほど強い未練があれば、死んだとしてもこの柄杓に汲まれることはないだろうね」
「よかったぁ……」
ほっ、と一安心する梓。しかし――と、輪廻の輪の状態を見てから、これは大仕事だと腕を組む。
輪廻の輪は思ったよりも大きく、直径は二間以上はありそうだ。それが半壊といってもいいような状態になっている。
「試しに一つ柄杓を修理してごらん」
「ええっと……」
宗一郎に教えてもらいながら梓は手を動かした。
まず、壊れている場所の部品を取り除く。次に持ってきた材木を大きさに合わせて鋸で切り、宗一郎がクモ手と呼んでいた場所に差し込む。その先に柄杓を取り付けようとすると、たった今差し込んだクモ手のほうが落ちてしまった。
「むむむ?」
「そこで、この金槌の出番だよ」
宗一郎が大工道具の中から金槌と釘を取り出す。
「現世の水車はあまり釘を使ったりはしないようだがね。ここ幽世では、木が腐ることは考えないでいいから、釘で固定してしまう。その代わり、別のことを考えないといけない」
「どういうこと?」
梓の見ている前で、宗一郎の表情が真剣なものになる。
しばらくすると金槌の先端が、淡く黄金色に光っていた。気合を発して宗一郎が釘を打ち込むと、一発で根元まで埋まり、そこへ黄金の光が収束していく。
「これは……霊力?」
梓の問いかけに宗一郎は頷いた。
「三途の川の亡者には、梓ほどではないにしろ、現世へ未練を残している者もいるからね。そういう者は、輪廻の輪を壊そうとする輩もいる。それに負けない強い霊力を打ち込んで固定しないといけない。この釘は霊力を溜めて固定する特別製だ」
梓が打ち込まれた部分を調べると、たしかに強力な霊力が宿っていた。
「あたしにできるかなあ……。どうやってやるの?」
「幽世では想いの力が霊力となる。現世へ帰りたい。その強い想いを使えば、同じことができるはずだよ。それに、桔梗の調べで、梓には霊感があったのは知っている。だからこそ、この仕事ならできると踏んだのだ」
「それって陰陽師のこと? たしかに凛太郎は優秀だけど、あたしは幽霊や妖が見えるだけで、とてもそんな力は……」
まさか幽世で、陰陽師としての落ちこぼれを自覚させられるとは思わなかった。途端にやり遂げる自信がなくなる。
不安に表情を曇らせる梓だったが、宗一郎から金槌と釘を渡された、
「まあ、やってみなさい」
促されて梓は渋々と指定された場所に釘の先端を置いて精神を集中する。
(ええっと……こんな感じ?)
宗一郎の見よう見まねで、金槌に霊力を注ぎ込んでいき、ここだと思った瞬間に勢いよく金槌を振り下ろす。
「えいっ……て、やっぱりダメだ」
梓が懸念した通り、手元の釘は少しも木の中に入っていなかった。同じようにしてもう一度打ち込むも駄目。何度やっても結果は変わらず、力任せに金槌を振り下ろすと、狙いを誤って自分の手を思いっきり叩いてしまった。
「いったぁ……っ! ムリだよこれぇ……」
涙目で宗一郎に訴えかけると、彼は笑いながら梓の背中に回った。
「霊力が足りないとそうなるのだが、霊力の使い方にもコツも必要でね」
金槌を持っている梓の手が、一回り大きい宗一郎の手で覆われた。釘を持つ左手も同じようにされる。あまりに近い距離間に今朝のことが思い出され、梓の心臓がドキドキと鳴った。
「丹田に力を入れて、自分の一番願いを想うのだ」
「あたしの一番の願い……」
なるべく背後の宗一郎のことは考えないようにして、目を閉じて精神を集中する。自分の一番の願いなんて決まっている。もちろん、現世に帰ることだ。
「まだまだそれだと弱い」
一心に願うも宗一郎から注意をされ、助け舟を出された。
「一番大切な人のことも一緒に考えるといいかもしれない」
「大切な人……」
現世に帰りたいと思うのは、凛太郎を一人残して逝くわけにはいかないからだ。
「よい感じだ。その調子だ」
先ほどよりもずっと強い霊力が金槌に集まっているのを実感する。ますます梓は一心不乱に祈った。
「いいぞ。今だ! そのまま力の限り打ち下ろせ!」
「んっ!」
右手にぐっと力を籠めると、宗一郎の手の力も加わり、一気に金槌が右手に添えていた釘へと打ち下ろされる。
その瞬間――思い浮かべていた凛太郎の顔が、宗一郎のものに入れ替わった。
(え……?)
はっ、と両目を見開くと、目の前には根元まで打ち込まれた釘。宗一郎は梓の手元に回ると、その釘の様子を確かめて満足そうに頷いた。
「これなら十分だ。しっかりと霊力が乗っている」
「う、うん……」
よしよしと頭を撫でられながら、呆然と梓は考える。どうして宗一郎の顔が浮かんだのだろうか。彼が大切な人だなんて意味がわからない。
「どうした? 一気に霊力を使って疲れたか?」
あまりに反応の薄い梓を心配したように、宗一郎が顔を覗き込んできた。
「ご、ごめん。なんでもない!」
宗一郎の顔面が鼻先三寸の距離にあり、慌てて一歩下がって距離を取る。バクバクする心臓を宥めながら、梓は意識して宗一郎から視線を外すと、輪廻の輪を見下ろした。腕を組んでしみじみと言う。
「これは、大仕事ねぇ……」
疲れたというのも嘘ではない。知らないうちに息も上がっていた。休み休みでないととてもできない仕事だ。釘一本打つのに、これだけ疲弊していたら、先が思いやられる。
必要な釘は一本二本……と釘の数を十本まで数えたところで、梓は数えるのを止めた。眩暈がしてしまいそうだ。
「さっきも言った通り、霊力の弱い者は柄杓に吸い込まれてしまうから、この仕事ができる者は限られるのだよ。だからこそ、収入もよいというわけだ。どんどん働いて、どんどん稼ぐがよいぞ」
「な、なるほど……」
幽世側の都合でこき使われる羽目になった気がしないでもない。だとしても、これで現世へ帰れるのなら、やらない手はない。
「よ~し、頑張るぞー!」
梓は腕まくりをして次の部位へ取り掛かったのだった。
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