第4話 閻魔様の憂鬱

 蝋燭の明かりを頼りに、宗一郎は閻魔としての業務に追われていた。

 文机の上に広げているのは冥籍というもので、幽世に住む者が未練を振り切り、来世への転生希望を出した者の名前が書いてある。本人の幽世での行いを掟に照らし合わせて、次は六道のどこへ転生させるかを決めるのも、宗一郎の仕事の一つだ。

 黙々と作業を続けていると、廊下に小さな足音が聞こえ、すぐに障子の向こうから声が掛かった。


「宗一郎さまぁ。入ってもよろしいですかぁ」

「いいぞ。入れ」


 すっ、と障子が開き、松風が和紙を閉じた冊子を持って入ってきた。


「これが新しい閻魔帳ですよぅ」


 うむ、と頷いて宗一郎はそれを受け取った。閻魔帳には現世の者達の大体の寿命が記してある。司命、司録の資格を持つ者が調べていて、随時最新に更新している。現世の医療技術の進歩や、社会情勢、不慮の事故などの影響もあるので、完璧に正確なわけではないが、おおむね数か月単位では間違いない。


 尤も、たまに十年単位でずれる者もいて、そういう者達が現世に強い未練を持っていることが多い。それらが幽世へ来ると騒動を起こしてしまうことがあるので、配下の閻魔資格を持つ者を派遣し、速やかに幽世へ案内する段取りを決めるのも宗一郎の仕事だった。


「いつも通りでよさそうだな」


 ざっと閻魔帳を眺めてから宗一郎は言った。精査はこれからしないといけないが、特筆すべき情報はなかった。これなら通常業務の範囲内で賄えるだろう。


「梓のほうはどうしている?」

「桔梗がお部屋へ案内しましたよ。さすがに眠そうなお顔をされていたので、今ごろはぐっすり夢の中のはずですよぉ」


 松風の言葉に、そうか、と宗一郎は安心する。現世に未練を持った者特有の、危うい感情の状態だったので、暴れやしないかと心配していたのだ。

「ですが、あれでよかったのですかぁ?」

「あれで、とは?」

「わかっているくせに、はぐらかしてはいけませんよぉ。本当は探していたのではないのですかぁ?」


 宗一郎は松風へ向けていた視線を、無言で閻魔帳へと戻した。しっしっ、と左手で追い払いにかかる。


「お前には関係のないことだ。俺には続きのお勤めがあるから部屋に戻るのだな」


 だが、宗一郎の目論見は見事に失敗した。松風が下がる前に、廊下の前にもう一つ足音が聞こえたからだ。


「うふふ。宗一郎さまは、案外臆病なのですね。鬼をも泣かせる幽世で最恐の閻魔様というのに」


 許可もなく障子を開いて入ってきたのは桔梗だ。人差し指を口に当て、くすくす、とさも可笑しそうに肩を揺らしている。


「言うな」


 短く言って注意するも、松風も同じように笑うばかり。二人とも宗一郎の心中はお見通しということだろう。

 はぁ……とため息をついて、宗一郎は閻魔帳を閉じた。


「あんなにも弟のことを想って、現世へ戻りたいと言っているのだぞ。これが恋人のためだったら、恋人のほうを地獄に叩き落としてやるのだが。身内とあればそうはいかぬからな」


 宗一郎の両眉は下がり、閻魔という肩書の威厳はどこにもない。地獄の亡者が今の彼の顔を見たら、これはよい機会とばかりに侮られてしまうだろう。


「あらあら。松風どう思います? これは重症では?」

「たしかに嫌われたくないのはわかりますけど、この機会を逃したら、次はいつになるかわかりませんよぉ?」

「そうですよね。そうだ、宗一郎さま。夜這いとかどうですか? 昔の現世では流行っていたんですよね。ぐっすり眠れるよう術を掛けておきましたから、今日の梓さんなら絶対に成功するはずです。今から準備をしてきましょう」

 これは名案、とばかりに踵を返そうとした桔梗を、宗一郎は慌てて引き留めた。

「待ってくれ。そんなことをしたら、きっと未来永劫、嫌われるどころか祟られてしまいそうだ」


 桔梗、松風も宗一郎の忠実な部下だ。彼のためならたとえ火の中水の中。それが暴走してしまってはよろしくない。


「とにかく、だ」

 こほん、と宗一郎は咳ばらいを一つ。

「これは俺の問題だからな。何とかいいようにするよ」

「本当ですか?」「本当にぃ?」


 疑わし気な二人の視線がとても痛かったが、敢えて気が付かない振りをして仕事に戻った宗一郎なのだった。

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