第3話 現世に帰る方法

「江戸の町に似てる……」


 水牛は鈍重な見た目とは裏腹に、空を駆けるとあっという間に三途の川は見えなくなり、多くの人がいる町中へと入っていた。

 ご飯時なのか、左右に立ち並ぶ長屋から、煮炊きの煙が立ち上っている。他にも八百屋や魚屋、さらには茶屋といったお店も雑多に開かれている。また、通りのところどころには露店があり、立ち食いの客で大いに賑わっていた。


「だけど、人じゃない人もいる」

 梓の呟きに、彼女の背後から水牛の手綱を握っていた宗一郎がこたえた。

「それはそうだ。ここにいる者達は、みんな死者だからな」

「そういう意味じゃなくて!」


 梓はちょうど通り過ぎた人を指差した。頭に角が付いている。頭上を見上げれば、布のようなものが一枚、縦横無尽に空を飛んでいた。


「あれは、鬼? 一反木綿みたいなのもいるよ」

 ああ、と梓の言わんとしたことに気が付いた宗一郎が頷く。

「ここ、幽世町は、未練を残した者達が、その心の傷を癒すための町でな。たまに病んで暴れてしまう者もいる。それらを取り締まる役目を追っているのがあの鬼だ。妖の類は、元々が幽世側の住人だな」

「ふぅん……」


 棍棒を持って歩く鬼は幽世町の者から恐れられているようには見えない。むしろ、露店の売り子に呼び止められたりしてもいる。頼りになる岡っ引、といった雰囲気だ。

 じろじろと眺めているとその視線を感じたのか、鬼の一匹がこちらへ視線を向ける。慌てて梓は視線を逸らしたのだが、そのまま水牛に乗っている二人へ近づいてきた。


「おう、閻魔の旦那」

「見回りご苦労。何も異変はないかな?」

「いつも通り問題ないさ。その可愛い嬢ちゃんは、新しい町の住人かい? いや、そいつは少し不思議な……」


 ずずい、と角の付いた顔を近づけられ、梓は反射的に宗一郎にしがみついてしまった。敵意はないとわかっていても、強い霊力が伝わってきたからだ。


「あまり怖がらせないでおくれ」

 宗一郎は安心させるように梓の背中を抱きながら、声を潜めて言った。

「この子はね、まだ生者なのだよ。幽世町の住人になるかは、これから次第なのだがね。わたしの結界で気配は消しているが、処遇が決まるまでは大っぴらにしないでくれないか」

「しかし、それは……」

 なおも考える風情だったが、鬼はすぐに思い直したように首を横に振った。

「閻魔の旦那にも考えがあるのだろうよ。嬢ちゃんも頑張れよ。ま、ここの暮らしも悪くはないぜ?」


 いかつい顔で笑って手を振ると、鬼は通りの向こう側へと歩いていく。その後ろ姿を見送りながらも、鬼の発した最後の一言が強く梓に響いていた。

(あたし、輪廻の輪を治せなかったら、ここの住人になるかもしれないんだ……)

 そう思うと、この町の風景も別のものに見えてくる。

 未練を残した者達が住む町というのであれば、自分もそうなってしまうのかもしれない。あちこちから笑い声が聞こえる町だが、その裏にはどんな未練があるのだろうか。


 ぼうっと町を眺めていると、賑やかな大通りからは少し外れ、壁に囲まれた大きな屋敷が立ち並ぶ静かな通りに出る。そのままさらに進むと、一際大きな屋敷が見えてきた。


「ここがわたしの屋敷であり、仕事をする場所でもある」


 先に水牛から降りた宗一郎は梓が降りるのを手伝い、そのまま屋敷の門をくぐった。


「うわ……大名屋敷みたい」


 幾つもの池が赤塗りの橋で繋がっている。その周囲には様々な樹木が植えられており、まるで小さな森のようだ。宗一郎に連れられて飛石を辿って行くと、その先に開放的な母屋の縁側が見えた。数えきれないほど多くの部屋があるようで、梓は五つほど数えたところで数えるのをやめた。これが現世ならば、大金持ちだと思ったに違いない。


桔梗ききょう松風まつかぜはいるか?」


 宗一郎が叫ぶと、屋敷の中から「は~い」という返事が二つ聞こえた。すぐてに、とてとてという足音とともに、十二、三歳くらいの童の姿をした鬼が姿を現した。それぞれ、赤い着物と青い着物を着ている。

 まるでタイミングを合わせたかのように二人が同時に頭を下げた。


「おかえりなさい!」「おかえりなぁい!」

「ああ、今帰ったよ」


 そのやり取りの横に居ながら、梓は二人の童をまじまじと見詰めていた。

(まるで双子みたい)

 着物の違いがなければ絶対にわからない。たぶん、赤い着物の鬼が女の子で、青い着物の鬼が男の子だろう……と思う。全く自信はなかったが。

 赤い着物の鬼が梓へと視線を向けた。


「おや、こちらの方は、閻魔裁きを受けに来た方ですか? それにしては、まだ死んでいないようですが。今すぐ裁きを受けられるよう、ちょっと息の根を止めましょうか?」


 可愛い顔をして恐ろしいことを言ってくる。

 ひいぃ、と後退っていると、宗一郎の手が梓の頭に置かれた。


「これこれ。冗談でもそういったことを言うのではないよ、桔梗。この娘は梓という。三途の川で行き倒れていたのを拾ってきたのだ」

「三途の川……? これは失礼しました。わたしは司命の資格を持つ桔梗と申します」


 桔梗が挨拶をするとその隣で、青い着物の童――こちらが松風だろう――が、すぐに得心がいったようにポンと手を叩いた。


「ぼくは司録の資格を持つ松風です。では、宗一郎さま……もしやこのお方がぁ?」

「それはまだ気が早いな。梓は現世に帰りたいそうだ」

「現世に……? いいのですかぁ?」

「まあ、無理強いはできぬからな。機会はやらんといけんだろう」


 何やら梓の知らない話題をしている。嫌な予感を覚えた梓は、二人の間に割り込んだ。


「ねえ、何の話をしてるの? 内緒話とか心配になるんだけど。また知らない間に地獄行きになるようなことはしたくないし」


 それを聞いて赤い着物の童――桔梗が、ケラケラと笑った。


「あら、梓さん。もう失敗しちゃったんですか。きっと生きたまま輪廻の輪に巻き込まれたりしたんでしょう?」


 図星である。うっ、と呻いていると、やはりとばかりに桔梗が頷いた。


「輪廻の輪の修繕はとても難易度の高いものです。ですが、ご安心ください。宗一郎さまに手取り足取り教えていただいた暁には、きっと幽世から離れられぬほど、相思相愛の仲となっていることでしょう」

「いや、何言ってるか意味わかんないんだけど?」


 訊ねてみても桔梗も松風も、くすくす笑うばかり。仕方なく梓は、隣に立っている宗一郎を見上げた。


「地獄行き以外で、あたしに何か隠してる?」

「…………」


 宗一郎があからさまに視線を逸らした。そこへ回り込んで梓は半眼で睨む。


「そういえば、閻魔様に嘘をついたら舌を抜かれるんだっけ? そんな閻魔様が嘘をついていいのかな~?」

「嘘はついていないのだがな」

 諦めたように宗一郎がため息を吐いた。

「現世の身体が生きている間に、輪廻の輪を修繕できた者は未だかつていないのだよ」

「ええ……っ!?」

 梓の両目が驚きで見開かれる。すぐに怒りを孕んだ口調で宗一郎に詰め寄った。

「もしかして、絶対に無理なことを条件に出したってこと? 最低っ! そんなにあたしを生き返らせたくなくて、地獄に落としたいの!?」


 胸倉を掴んでガクガクと揺さぶっていると、松風が慌てて梓の手を引っ張った。


「そ、そのくらいにしてあげてください。今の言葉で、宗一郎さまの口から魂が抜けて転生してしまいそうになっていますぅ」


 ふと見上げれば、「そうか。俺は最低な人間なのか……」と、死ぬ寸前のような顔でぶつぶつと呟いている。


「だけど、そんな不可能なことを言われても……あたしは絶対に……!」

「その魂の力は、輪廻の輪の修繕のために残しておきましょう」

 反対側から梓を宗一郎から引き剥がしたのは桔梗だ。

「今日のところは、梓さんをお迎えする準備をいたしませんとね」


 そのまま、ぐいぐいと手を引っ張られて、屋敷の奥へと連れて行かれると、湯気の立つ小屋へ案内された。


「さあ、まずは三途の川のお水を洗い流しましょう。あの川のお水は、生者には身体に悪いのですから」

「ふぅん……いぃっ!?」


 小屋の入り口から中を覗いて、梓はそのまま回れ右をしそうになった。

 小屋の真ん中にはいわゆる五右衛門風呂。それに張られたお湯は真っ赤。血の池地獄という単語を思い浮かべる。さらには、ぐつぐつと煮立っていて、明らかに人の入るような温度ではない。


「じ、地獄に落とす前にあたしを茹でないで!」

「大丈夫ですから!」


 やはり鬼だからだろうか。梓の胸程の身長しかないのに、とても強い力で問答無用で小屋の中に入れられ、扉を閉められる。


「わたしは奪衣婆の資格も持ってますからね。このようなこともできるのです」


 パチンと指を弾くと、あら不思議。嫌がって暴れる梓の身体から、現世で来ていた継ぎはぎだらけの小袖がパラパラと勝手に脱げていく。あっという間に一糸纏わぬ姿にされてしまった。


「いやあぁっ! あたしを煮ても美味しくないからぁっ!」


 梓の懇願も虚しくひょいと抱え上げられると、そのまま五右衛門風呂へ入れられてしまう。


「あっつっ……くない?」


 見た目とは裏腹に丁度良い湯加減で、飛び出そうとしていた梓の動きが止まる。五右衛門風呂の前では、桔梗が両腕を組んで小さな胸をふんぞり返らせていた。


「宗一郎さまに嘘をついていたら、地獄体験ということで茹でたりもできる釜なのですけどね。今日はお客さまなのでおもてなしなのです!」

「いいお湯加減。それに、とっても気持ちいい」

「そうでしょう? このお水は、生者にとっては現世との繋がりを保持する効能があるので、梓さんにはいいもののはずですよ。ちなみに、このお湯は凍らせたり、沸騰させたりもできちゃいます。試しに沸騰させてみましょうか?」

 即座に梓は首を横に振った。

「それはやめて、死んじゃう」


 いつまでも入っていたいような湯加減だったが、桔梗は梓を熱湯で茹でたくてしょうがないとばかりに、うずうずとしている。その様子を見て、早々に湯船から上がると、渡された白い浴衣を着た。脱いだ小袖は胸に抱えたまま屋敷の廊下を歩き、八畳ほどに区切った部屋へと案内される。


「いい湯だったようだね。その様子なら、現世の身体も少しは持ち直しただろう」

 部屋では既に料理が乗った膳が用意され、宗一郎が座布団に座って待っていた。その横には松風が座り、七輪の上で焼き魚を炙っている。


「うわぁ。豪華ねぇ」


 色とりどりの小鉢が幾つもあり、吸い物にお刺身、天ぷら、炊き込みご飯……等々。まるで高級な料理茶屋のような装いだ。

 無邪気に歓声を上げる梓を見て宗一郎が満足そうに頷く。


「生者にとっては、こちらの食事も現世の身体に影響するものだからね。梓のためにしっかりとしたものを用意させた。これで俺が、地獄に落とそうとしているのではないのはわかっただろうか?」


 要するに宗一郎なりの誠意ということらしい。お風呂に入る前の一連のやり取りを思い出し、梓は唇を尖らせながら用意されていた膳の前に座った。


「わかったけど……内容を変えることはできないの?」

「それは幽世の掟であるからな。俺の一存でどうにかできる部分もあるが、ここは変えられないところだな。閻魔の資格を持つからといって、梓に意地悪をしようというわけではない。まずは、冷めてしまう前に食べようではないか」


 ぶぅたれながらも、いただきます、と言ってから食べ始める。とても美味しい……はずなのだが、どうも輪廻の輪の修繕が気になって食事が喉を通らない。そんな梓の前に、松風が焼きたての魚をお皿に乗せて差し出した。


「そんなにピリピリしてはせっかくのご飯が台無しですよぅ。宗一郎さまは閻魔資格特級を持つ、幽世の中でも最高の閻魔様。きっと悪いようにはなりませんからぁ」

「そういえば、さっきから資格って、それってどういうこと? 閻魔資格って……あ、もしかして閻魔様ってたくさんいるの?」


 閻魔王というくらいだから、幽世の中で一人しかおらず、立派な玉座に座ってふんぞり返っているものと思っていたのだ。


「役職のようなものですからねぇ」

 空になっていた梓の湯呑みお茶を注ぎながら、松風が教えてくれる。

「裁きを受ける人はある程度決まっていますけどぉ、一人ではとても捌ききれませんからぁ」

「へえぇ……」


 むしった焼き魚を食べながら宗一郎へ視線を向けた。閻魔というからには偉いのだと思っていたが、閻魔様の中の閻魔様となると、さらに偉いように思ってもしまう。


「でも、そんな偉い人が、あたしみたいな生者にかまってていいの?」

「俺が自ら面倒を見ると決めたから問題ないのだよ。」

 宗一郎は手酌で酒をぐいっと飲み干してから続けた。

「もちろん、通常のお勤めもするがな。何よりも、梓は幽世では珍しい存在だ。俺の目を盗んで狼藉を働く輩もいるかもしれぬ」

「やだなぁ。あたし何にも悪いことしてないはずなのに」


 穏やかではない宗一郎の発言に梓は首をすくめる。

 現世では弟想いのただの一般人だったはずだ。普通の人には見えない小鬼や妖の類も払っていたのだから、むしろお褒めを貰って極楽行きでもいいのではとすら思う。たしかに輪廻の輪は壊してしまったが、それだけで地獄行きとは、やっぱり酷い扱いではないだろうか。


 少しだけ暗い顔をした梓に、宗一郎は微笑んだ。

「食べたら今日は早く眠るのだな。現世の身体を労わるのなら、余計なことを考えるのではないぞ」

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