休日

 ライラン王国の学園都市オルファンド。そこにあるエルゼコビナ魔法学園はほんの少し慌ただしくなっていた。


「一体何事ですか?」


 ほんの少し慌ただしくなった学園の気配に気づき、マリナはルドルフに尋ねる。


「次の休養日に王太子が町を散策するらしい」


 ライラン王国の王太子、アーノルド・ライランが近々街におりて遊びに行くとのことだった。学園都市オルファンドは治安はそれなりにいい。だからと言って王太子が護衛なしに気軽に街に出ていいわけがない。今、学園内では護衛計画が立てられているようだった。


「近衛の人たちも大変ですねえ…」


 マリナは他人事のように呟いた。


「あ、そうだ。次の休養日、私非番なんで」

「おう。聞いてるよ。街に出かけるのか?」

「ええ。断罪反撃モノの新作が出たと噂なんでそれを買ってこようかと」


 高貴な身分の婚約者同士の間に身分の低い少女が現れ、婚約破棄や婚約者に対する断罪を物語にした恋愛小説が一時期流行っていた。それに対するアンチテーゼのように現れたのが断罪反撃モノである。断罪される予定の婚約者が事前に根回しして反撃を加えるというモノだ。


 マリナはそんな断罪反撃モノが大好きな変わった少女だった。


 そんな彼女の言葉にルドルフは顔を引き攣らせる。というのもエルゼコビナ魔法学園では毎年のように婚約破棄騒動があり、婚約破棄だの断罪だの断罪反撃だのは身近すぎるのだ。そんなものを娯楽にしようとするマリナの神経が信じられなかった。


 しかしそんなルドルフの心境など知らず、マリナは次の休養日を楽しみに待つのだった。




 そして休養日。マリナはルンルンとオルファンドの街を歩き回る。彼女の服装は町娘のそれで、誰も彼女が学園の衛兵とは思わなかった。かと言ってエルゼコビナ魔法学園に通う少女たちに比べれば何も着飾っていないので、学園の少女とも思われていなかった。言ってしまえばそこら中にいる町娘の1人にすぎず、誰も彼女のことなど気にも留めていないのである。


 さて、マリナは賑わう書店に寄ってお目当ての断罪反撃モノの小説を買い、その足で喫茶店へと入っていった。王国軍1.7倍の給金をもらっている彼女は「今贅沢しないでいつするのか?」というノリで、パフェやタルトを注文しては紅茶を飲みながら買ってきたばかりの小説を読む。


 今回の作品は異世界から転生してきた少女が、断罪される未来を予見し、それを避けるために努力するというモノだった。


「くう!異世界から右も左も知らないこの世界にやってきて孤独に戦う姿!涙なしには読めないですね!」


 マリナは大袈裟にそんな感想を言って満足げに本を閉じる。気がつけばすでに昼を過ぎていた。


 マリナはお会計を済ませるとそのままお店を出てルンルンと帰路へとついた。


「や、やめてください!」


 大きな声が聞こえ、声がした方を向けば、そこには5人くらいの男たちに囲まれる赤髪の少女の姿が見えた。どうも強引なナンパのようだ。


 周りにいる大人たちは厄介ごとに巻き込まれまいと無視してその場を立ち去る。マリナもまた最初のうちは無視して立ち去ろうとした。しかし少女の必死な抵抗と悲鳴が耳から離れず、ため息混じりに少女たちのところへと向かった。


「嫌がってるじゃないですか。さっさと手を離したらどうです?」


 マリナの言葉に男たちが一斉に振り向く。


「おう。なんだ嬢ちゃん?俺たちの邪魔しよってか?」

「それともなんだ?おまえが代わりに遊んでくれるのか?」


 男たちの言葉に「あれ?これはちょうどいいのでは?」とマリナは一瞬思った。


「そうですね。私と一緒に遊ぶのはどうでしょう?その代わりその子をはなしてあげてください」


 マリナの言葉に男たちは歓喜した。男たちは「それならいいぜ」と赤髪の女の子から手を離した。女の子はすぐさま走り出す。それから一瞬だけ立ち止まりマリナを見た。


「あ、えっと…」

「ほら。君は行きなよ。あとのことは私がどうにかするから」


 女の子はぺこりと頭を下げてその場から立ち去った。


「さてと。どこ行きます?」


 マリナは5人の男たちと共に路地裏へと消えていった…。




「や、やめ…!お願い!許して!」


 路地裏から悲鳴が聞こえてくる。その悲鳴には必死さと焦燥感が混じっていた。


「やめてと言われてやめる人がいますか?」


 懇願する言葉にしかし耳を傾けない。


「ふむ。ちょっと強過ぎますかね?少し弱めてみますか」

「や、やめて!そんな中途半端なのは逆に辛い!」


 その人物はあまりの辛さに身悶えするが、しかし誰もその言葉に耳を傾けはしなかった。苦行は続けられ、息ができなくなり、そして鈍い悲鳴だけがあげられる。


「ああああああああああ」


 そんな悲鳴が聞こえたかと思えば、ふと悲鳴が鳴り止んだ。まるで事切れたかのように。


「大の大人が他愛もない」


 路地裏にため息混じりに少女の声が響く。


「まったく。単なるくすぐり魔法でこうも情けなく気絶するものなんでしょうか?」


 マリナは気を失いビクビクと痙攣するだけの5人の男を見下ろした。


 路地裏へと連れて行かれたマリナはさっそく5人に拘束魔法をかけて、逃げられなくし、1人1人に対して魔法をかけて実験台にしたのである。思い起こされるは先日のモンスターマウス。直接攻撃したところで勝てない相手に対して、学園に近づけないように気を逸らさせるには何をすべきかを彼女は考えていた。そこでくすぐりのように感覚に影響を与えるような魔法なら効果があるのではないかと考え、練習を始めたのである。


 その魔法の効果を知るためにせっかく見つけた5人の実験台に試してみたのだが、あまりの効果に耐えられず、5人とも気を失ってしまった。


「でも、これだけ効果があるなら、戦闘でも使えるのでは?」


 魔法の効果を知ったマリナはこの魔法の使い道を模索した。ちなみにこのくすぐり魔法は尋問用に尋問官が好んで使う魔法なのだが、彼女はそれを知らない…。


「まあいっか!今日のところはこれで引き上げましょう!」


 マリナは小説を手に取って路地裏を離れた。オルファンドのメインストリートまで出てくると「あの人です!」と大きな声が聞こえてきた。


 振り返ると先ほど助けた赤髪の少女だった。


「あれ?どうしたんです…かッ!!」


 マリナはその少女のすぐそばに立つ人物を見て固まってしまった。なんと彼女のそばには王太子のアーノルド・ライランがいたのである!アーノルドは「君、大丈夫かい?」と声をかけた。


「さっき彼女から君が路地裏に男たちに連れられたと聞いたんだ。何かされなかったか?」


 どうやら赤髪の少女がアーノルドを頼って、自分を助けにきたようだった。なぜ少女が助けを求めた相手がよりによってアーノルドなのかと混乱しながら「何もなかったですよ」と答える。


「ちょっと色々遊んだだけです」


 くすぐり魔法を使って、という言葉は寸のところで止めた。赤髪の少女は心配そうに「本当に何もされませんでしたか?」と聞いてくる。


「大丈夫ですよ。それよりあなたも変なことされなくてよかった。今度からは1人で外出しないで友達と出たほうがいいかもですね」


 マリナの言葉に少女は「気をつけます」と返した。


「アリシア。今日のところは帰るといい。私はこの子に少し話をするから」


 アーノルドの言葉にアリシアと呼ばれた少女はハッとなった。


「アーノルド様もお休みのところ私のお願いを聞いてくださりありがとうございました!わ、私はこれで失礼致します!」


 少女はアーノルドにペコリと頭を下げる。それからマリナに体を向けてペコリとと頭を下げた。


「あなたも私のことを助けてくれてありがとうございました!」


 アリシアはそう言ってスタスタとその場を離れた。そしてマリナはアーノルドと2人きりになってしまった。


 2人きりになってしまったのである!


 他の護衛の姿は見かけないのである!


 2人きりになってしまった状況に混乱するマリナは「え?護衛はどこ?」と心の中で言葉を漏らしながら周囲をキョロキョロと見た。


 しかしそんな彼女の心境を知らないアーノルドは「君」と声をかけてきた。


「歳の若い女の子が人を助けるためとはいえ、数人もの男のあとをついていくもんじゃない。今回のところは何もされなかったみたいだが、次も無事で済むとは限らないからな」


 お説教をされてしまった。マリナは怒られているという状況に困惑がながら「すみません」と頭を下げた。なぜ自分は謝ってるのだろうかと戸惑いながら。


「じゃあ気をつけるんだぞ」


 アーノルドはそう言ってマリナから離れてしまった。ポツンと取り残されたマリナはポカンと彼の後ろ姿を見送った。


「いやあ…。王子様に説教されてしまった…」


 思わぬ事件にボソリと感想を漏らすマリナ。まだ遭遇したことへの困惑が消えない中、傾いてきた太陽に門限の存在を思い出し、慌てたように学園の守衛所へと向かった。


「あれ?そういえばアリシアって名前、どっかで聞いたことがある気が…」


 さっきの少女の名前に聞き覚えがあったが、結局誰のことか分からず、記憶から消えてしまうのであった。

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