閉幕

第41話 興奮冷めやらず

 戦いが終わり。

 簡単に治療を受けた烏京は、ひとまず自宅へと向かった。

 後始末に付き合うだけの体力なんて残っていなかったし、一応は待機命令を受けている身ということもある。


 そして、送ってくれた軍用車と手を振り別れて、玄関を開けたらすぐそこで兎木子がへたり込んでいた。

 茫洋と宙を見つめていた瞳が、烏京に焦点を合わせる。


「あ、烏京様。お怪我を……?」

「俺は問題ない。お前こそ、そんなところでどうかしたのか?」

「いえ、その……帰ってきたら、気と一緒に腰が抜けてしまいまして」


 怪我かなにかあったのか、と血相を変えて駆け寄るが、兎木子はへなっと笑って否定した。

 大事ないとわかって烏京も表情を緩め、それから軽く額を小突いてやる。


「聞いたぞ。俺がイサナメに寝返るって?」

「ごめんなさい。あれを超えるものが思いつかなかったので」


 兎木子はくすぐったそうに謝罪して、上目遣いで烏京をうかがった。


「怒ってます?」

「……『天網』がなかったら、イサナメを倒せなかっただろう。助けられたのは事実なのに、怒るわけにもいかんさ」


 不服ではあるがな、と嘆息して。

 そのまま離れようとしたら、兎木子の方から袖を掴んできた。

 無事だというのに嘘はなかったはずだが、すがりつく肩が震えている。


「兎木子……?」」

「初めて、本物の国会議員と対峙しました」

「……ああ」

「あんなに、怖いとは思いませんでした」

「それは、そうだろう」

「終わってからも不安になってきて……ひょっとしたら、烏京様がイサナメと一緒に討たれてしまうんじゃないかって」

「嘘から真が出なくてよかったな」

「まだ、胸がドキドキしてるんです!」


 顔を上げた兎木子は、瞳があふれんばかりに揺らいでいた。


「どうしましょう。苦しくてたまらないのに、止め方がわかりません」


 ……まずい。


 理由なく、烏京はそう感じた。

 ゾクリとするものが背中を駆け抜ける。

 兎木子の濡れたまつ毛から、目を離すことができない。


「俺、も……さっきまで戦ってて、血がたぎったままだ」


 自分の口が、意識を無視したみたいに勝手な言葉を紡ぐ。


「どうしたら、収まるでしょう」

「わからない……が」


 右手が動いて、可愛らしい少女の頬に刻まれた傷跡を包んだ。

 親指がおとがいを撫で、それの先が下唇にも触れる。


「……発散すれば、収まるんじゃないか」

「それは……いい考え、かも……」


 どちらからともなく、まぶたを閉じる。

 呼気の交わる感触の直後に、触れ合った。


 甘い。


 唇に味覚などないはずだが、言い知れぬ甘美な柔らかさが疲弊した魂に染み渡る。脳髄がとろけるように痺れて、つむった目の奥で星が瞬いた。


 やがて息が続かなくなり、接触を解いて顔を離すと、まぶたを開けて見つめ合う。兎木子も、兎木子の瞳の中にいる自分も、燃えるように赤く火照っていた。


「……収まりませんね」

「ああ」

「…………」

「…………」

「一回だと、足りないんじゃ」

「……かもな」


 背中に腕を回して抱き寄せると、兎木子も黒狩衣を掴む指から力を抜いた。


 収まった後。

 烏京も兎木子も、しばらくの間まともに相手の顔を見られなかった。

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