第40話 最後の六十秒

『「天網」発動まで、あと一分!』


 懐中の無線機から、恋太郎が知らせた。

 聞こえていなくても、イサナメだって理解しているはずだ。あともう少しで、万物を滅ぼす結界が完成してしまうことを。


『……チッ。そろそろ潮時だね』


 イサナメは口惜しそうに溶解液を止めて、グルリと周辺に展開された部隊を見渡すと、適当な一点に向けて骨角を放った。ただの一本、しかし妖力を凝縮した極太の一本槍である。


「防御用意!」


 狙われた地点を担当する小隊が、決死の表情で立ちはだかった。

 四人の退魔武官が軍刀を重ねる。

 後方から六人が妖気を供給して補助。

 別の六人が妖力障壁を展開し、合わせて十六人もで受け止める。


 轟音。

 余波で地面が揺れるほどの衝撃だ。十六人の武官が力を振り絞っても、瞬きする時間を稼ぐのが精一杯で、


「させるかぁぁ!!」


 横から飛びかかった烏京が、ぶった斬った。

 今にも押し切ろうとしていた骨角が、唐突に力を失って落下。小隊は安堵とともに膝を着く。

 彼らの後方では、スクロールを回転させる詠唱装置に、術士が懸命に霊波を注ぎ続けていた。


 ……『天網』起動まで、あと四十秒。


『うざったいねェ』


 イサナメが苛立たしく吐き捨てると、その巨躯がおもむろにバラけた。烏京が斬ったのではない。自ら我が身を細切れに刻んだのだ。

 みじん切りになったイサナメの体は、一つ一つが独立してナメクジの形へと即時再生。数えれば千になるか万になるかもわからない。あんな大群が、それぞれ別々に逃げ出したら、止めようがなくなるだろう。


 ただし、烏京はつい先刻に同じものを見たばかりである。


「塵塚怪王!」


 ミズチの頭を掴んで地面に叩きつけていた大鬼に、霊波を飛ばした。

 封印は解いたものの、かの上級妖魔と軍刀との間に残った絆を辿り、命令を下す。


「分かれろ!」


 鬼の体が、イサナメをならうように細切れにされた。

 烏京が捕らえた塵塚怪王の元になっているのは、大量の鏡である。廃棄された鏡の山が合わさって一体の鬼と化したのであって、それが分解されて生まれるのは幾千万の鏡の妖魔だ。


 鏡の大群は烏京の霊波に操られて、分裂したイサナメが散会するより早く包囲してのけた。

 ドーム状に形成された鏡の結界は、「反射する」という器物の特性に基づいて、逃げようとするナメクジを弾き返し、ドームの内部に押し留める。


 ……あと二十秒。


『この程度で、アタシを閉じ込めたつもりかい!』


 立て続けに、ガラスの割れる音が響いた。

 イサナメと塵塚怪王では、あまりにも妖力の差がありすぎるのだ。当然ながらすべてを反射しきれるはずもなく、みるみるうちに破壊されていく。

 少しでも持たせようと、烏京は結界制御に霊波を集中させて、


「――義兄さま。また僕を無視するの」


 殺気。


 背後からの科人に、烏京は反応がわずかに遅れた。

 受けの精度が、ほんの少し鈍る。

 結果、大容量の妖力を乗せた斬撃がもろに入った。


 ――バキッ!


 短時間に何度も強い衝撃を受けてきた軍刀が、ついに限界を迎えた。

 中ほどでへし折れた刀身が、やけにゆっくりと飛んでいくのが視界に映る。

 科人が目を見開いて、喜びか興奮かで頬を赤く染める。


「やっ……」

「――取った!」


 感情の揺らいだ一瞬で、烏京は懐に潜り込んだ。

 拳を鳩尾に突っ込み、横隔膜を跳ねさせ肺から空気を吐かせることで、酸欠状態になった脳を強制シャットダウンさせる。


 科人を気絶させることに成功。

 と同時に、鏡の結界が内側から砕け散った。


 ……まだ、残り十秒。


『惜しかったけど、ここまでだねェ!』


 勝ち誇ったように、イサナメは群れをなして逃げていく。包囲している武官たちに、対処できるだろうか。一匹たりとも逃すことなく? あの数を? さすがに無理だ!

 

 もう、あと少しなのに。

 本当に手はないのか?

 いや。まだ残っている。


 烏京は地を踏みしめ、魂を奮い立たせて叫んだ。


!!!」


 霊波、最大出力。


 魂を振り切れんばかりに揺るがせた霊的波動は、もはや震災にも等しかった。

 当てられたミズチは心臓すら停止させられたように泡を吹いて倒れ伏し、無数のイサナメたちも烏京に近い側から放射状に広がる形で硬直していく。


『がっ!?』『う、烏京……』『アンタ……』『よくも』


 ナメクジの群れが口々に怨嗟を吐き散らすのを聞きながら、烏京は片膝を着いた。

 限界を超えた霊波放出に、魂魄が悲鳴を上げている。文字通り全霊を出し尽くしてしまって、あとは指一本を動かす気力くらいしか残っていない。


『烏京、急げ! あと五秒だ!』


 無線の向こうで、恋太郎が叱咤するのが聞こえる。

 重い体に鞭打って、早く『天網』の範囲外へと出なくては。


『待ちなァ!!』


 ナメクジの触角が伸長し、烏京の足首に巻きついた。

 霊波の余韻が抜けきっていないはずなのに、万力のように絞めつけて離さない。


『せめて、アンタだけは道連れにしてやる!』


 イサナメたちは地面にへばりついたまま、憎悪に満ちた眼差しで烏京を引き寄せようと――――ドロン!


『コーン!』


 煙が一筋。

 掴んだはずの足首が小太刀に変化して、刀身に宿った式神が苦しげに鳴いた。


『なっ!?』『幻狐……!』


 驚愕しながら、イサナメは気づくことだろう。

 本物の烏京が科人ともども、外の武官の助けを借りて発電所の塀を乗り越えていることを。


「二度も化かされるとは、お前にしては間抜けな最期だな」


 振り返って、冷笑してやった。


『烏ゥ京ォォォォォオオオオオオ!!!』


 ……2、1、0。広域殲滅型退魔結界『天網』、発動。


 不可視だった結界が、まばゆく輝いた。

 滅魔の光で編まれた囲い網は、急速に収縮していく。

 猛烈な勢いで狭まっていく内部。触れた端から、溶解液で穢された大地は浄化され、ミズチの蛇体は灰となり、ナメクジの群れは蒸発する。

 少しでも中心部に寄ってせまる網壁から逃れようとしたところで、ほんの少しだけ滅びを先延ばしにするだけだ。

『天網』は情けも容赦もなく、イサナメをあまさず握り潰して、後に残ったのは極限まで収縮しきった単なる光の一点だけであった。。


 ……『天網』、収束率十割。各種、計器に反応は見られず。当該域における全妖魔の完全消滅を確認。

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