第39話 天網恢恢
どれくらい戦い続けているだろうか。
時間感覚なんて、最初からなかったようなものなので、まったくわからないし考えているヒマもない。
烏京の体内時計が動いたのは、のたうつミズチの背に乗って科人と殺陣を演じていた時であった。
『お待たせ、烏京!』
恋太郎から渡されていた無線機が、懐の中からしゃべった。
『部隊の配置完了。今から「天網」の詠唱を開始する。最悪、キミを巻き添えにしてもいいってお達しだから気をつけて』
「上等!」
返答と同時。
戦場を取り囲むようにして尋常でない霊波の高まりを感じた。
展開された何人もの退魔武官が力を合わせて、詠唱装置を通して複雑緻密な術式を紡ぎ出していく。天地を流れる自然エネルギーが、強固で具体的な形を形成。
まずは横に繋がり、それがやがては天に伸び、地中へと潜っていって、最後には巨大な不可視の網でもって一帯を包み込むのだ。
『シャギャアアアア!!』
状況を理解しているのか否か、ミズチが吼え猛り、背中で斬り合う退魔士たちを振り払った。
烏京は強烈なGによって上空へと飛ばされながら、巨大ナメクジの表情を探る。
「さあ、どうする? 逃げるか、戦い続けるか」
答えの代わりに、イサナメは溶解液を噴射した。
超高圧で放たれる毒液は、銃弾よりも速い。人間の動体視力を凌駕するそれを、烏京は半ば勘で避ける。
妖気操作。
足場のない宙を蹴り、機関銃のごとく連射される溶解液を、ゴムボールじみた機動で躱しながら、地上へと逃げる。
『ジャアアアア!!』
そこへ、ミズチが牙を剥いた。
逆方向からは科人。イサナメの狙撃も迫る。
「けぇあ!!」
三方斬り。
同じタイミングの集中攻撃でも、わずかなラグは存在する。それを見切って、神速の太刀捌きで、大蛇の牙、溶解液の弾丸、刀撃の順番に斬り弾いたのだ。
烏京はやや体勢を崩しながらも、四つん這いで落下の衝撃を殺す。
……着地の拍子に、血の滴が数滴垂れた。
科人の剣だけ、弾き損ねたらしい。
大した傷ではないが、先ほどからこのようなダメージを受けることは何度もあって、着実に体力を削られてきている。
『アンタを殺せる絶好の機会だ。逃げるわけがないさ!』
イサナメが暴虐的な妖気を迸らせた。
安全な距離を保って盤面を整えるのはやめて、総力を挙げての短期決戦を断行するつもりらしい。
ブヨブヨとした体躯から、硬い槍のような骨角が突き出してきた。
まだ遠間にもかかわらず、予備動作がなくて極めて反応しづらい刺突を、烏京は左右のステップで回避。そこに科人が斬りかかってくるのを跳び越えて、せまってきたミズチの鼻面へと斬撃を見舞う。
渾身の飛び斬りは、間に割って入ったナメクジの頭によって受け止められた。
不快な感触とともにイサナメの顔面が真っ二つになって、しかし断面は瞬く間に修復。ミズチが礼も言わずに噛みつこうとするのを、まったく支障のない動きで首を引っこめて躱す。
尋常でない回復力である。
直接戦闘に参加してくれたら、と期待はしていたが、叶ったら叶ったで脅威なことに変わりはなかった。
三者三様の猛攻が、降り注ぐ。
手数でも多様さでも今までの比ではない攻撃群は、すべてを防ぐなんてできるはずもなく、烏京の傷を増やしていく。
「……賭けるところか……塵塚怪王、好きに暴れろ!」
判断は一瞬。
覚悟も一瞬。
烏京の取った選択肢は、式神の完全解封だった。
息継ぎの間に呪文詠唱。軍刀の刃に浮かんだ幻影のヒビ割れが跡形もなく砕け散り、封じ込められていた上級妖魔が具現化する。
『ゴオオオオオオ!!』
『シャアアアアア!!』
雄叫びを上げる塵塚怪王に、ミズチが噛みついた。
解放されたと思ったらいきなり暴走大蛇に襲われた大鬼は激怒して殴り返し、お互いに他のことには目もくれずに争いを始める。
今度は、イサナメは邪魔しなかった。
ミズチが離脱するよりも、もっと大きな好機が差し出されたからだ。
『この土壇場で、式神を捨てるたァ思い切ったじゃァないか!』
軍刀から妖気の供給が絶えたのを指して、イサナメは勢いづいたように巨躯を伸び上がらせた。
はるか高みから、骨角を八本も同時に伸長。頭から串刺しにせんとするのを、烏京は軍刀を背負うようにして迎撃。
骨を断つ音。
肉を抉る音。
烏京の剣はまとめて骨角を斬り落とした。が、斬り損ねた二本が左肩と右脚を掠めて、黒狩衣を裂いて鮮血を散らす。
さらに、頭上では触角の先端にある目玉が細められて、
旋!
斬り落とした骨の穂先四本が高速で回転した。
風圧で滞空する旋刃が烏京を包囲して――それを目くらましに、肉薄してきた科人が逆袈裟に斬り上げる。
義弟の刃が、脇腹をかっさばく寸前。
妖気操作、軟体化。
烏京の肉体がドロリと溶けるように変形し、旋刃の隙間をすり抜けて難を逃れた。
骨角を斬った際に、
『このまま死にな、烏京!』
イサナメが溶解液を滝のように降らせた。
アスファルト舗装された地面が音を立てて焼かれ、白い煙を上げる。
煙幕に紛れる低姿勢で科人が駆け込んでくるのを捌きつつ、頭上からの溶解液も躱しつつ、白煙の毒々しい臭気に目鼻の痛みも覚えつつ。
劣勢であることを、烏京は自覚していた。
塵塚怪王を解き放ったために妖力を失ったのが大きい。
もっとも、余裕がないのはイサナメも同じであった。
……『天網』発動まで、あと一分。
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