第42話 罪と罰とバツ3つ
数日が過ぎた。
発電所では現場検証が続いていて、今週末にも結論が出されることになっている。上がってきた報告の如何で、修繕するか廃炉解体するかを判断する予定だ。
ちなみに、死骸ではないのにイサナメの本体を燃料にしていた件では、先んじて警察が動いている。
兎木子の父の他、その上司ら電力業界の大物が何名か逮捕されていたりと、なかなか大事になっており、しばらくはお茶の間を騒がせることになるだろう。
そんな話をどこか他人事として聞き流していた烏京だったが、この日、相海卿から呼び出しを受けた。
正装して国会議事堂の陸軍大臣室を訪ねると、相海卿はドアに背を向けて、大窓から帝都の街並みを眺めている。
「よく来たな、金津由くん。怪我の具合はどうかね?」
「はっ。おかげさまで、許可さえいただければ本日からでも通常任務に復帰できるかと」
敬礼して回答する。
イサナメとの決戦で負った傷はどれもすっかり治っていた。むしろ霊波を全力で放ったことによる魂魄疲労の方が、休養を余儀なくされた原因としては大きかったくらいだ。
「それはなにより」
相海卿は淡々とした口調で、こちらを振り返る。
「実は内々に、君を昇進させようという話があってね。事前に知らせておこうと思ったのだよ」
「昇進……ですか」
「意外かな?」
ピンと来ていない烏京に、相海卿は小首を傾げる。
「あれだけの事件だったのに、死者が出なかった。最大の功労者が誰かと言えば、発電所の警備隊を逃がし、たった一人でイサナメを『天網』の内側に留めていた金津由くんに他ならないだろう」
「それは……もったいないお言葉ですが……」
相海卿の言葉に嘘は見えない。
出世を目指すならば願ってもない話だが、烏京の返答は真逆であった。
「許されるなら、辞退したいと考えています」
「ほう?」
頭を下げた烏京に、相海卿はそこまで驚きを覚えなかったようだ。
「なぜかね?」
「あれは待機命令が出ているとも知らずに独断専行した結果で、称賛されるものではないと考えます。むしろ、これまでイサナメを式神にしていた退魔士として責めを負うべきかと」
「生け贄を捧げていた、という件か。それとこれとは別ではないかな? 社会的制裁なら、もう受けているようだし」
相海卿は試すように言って、執務机に置いてあった新聞を指した。紙面に載っているのは、金津由家とイサナメとの契約に関する記事だ。
烏京が認めた秘密は、公に知られるところとなっていた。
妖力発電燃料についての不正とも合わせて、世間からの風当たりは暴風雨のごとく。ついには士族としての地位を剥奪されることが決定した。
きっと今頃は、雄鷹が爵位返納の手続きを行っていることだろう。なにを犠牲にしてでも守ろうとしていた家名に自らトドメを刺すことになるとは因果なことだが、監視をつけられてごまかす余地もないらしいから、諦めてもらうしかない。
烏京の父は、当主としての責任を果たした後、やはり裁判所へと送られる。
義弟の科人は士官学校を退学して、寺に入れられるそう――これは罰としての追放というよりも傷ついた心身の療養が目的かもしれない――だ。
お家は解体され、家人も散り散りに。
処罰らしいものを受けていないのは、烏京だけだった。
「君の場合は、生け贄の儀式に反対してイサナメを討ったという功績がある。妻を奪われかけたという話は同情を集めるだろう。特別扱いしても異論は少ないはずだ」
「しかし、事実を知って黙認していた時期があることもまた事実です。どうか、しかるべき処分を」
「ふむ……」
しばし考え込むような時間があって、「決意は固いようだ」と苦笑気味な声がした。
「君の誠意は見させてもらった。追って沙汰を下すことになるが……君ほどの戦力を失うのは惜しい。悪いようにはしないつもりだ」
「感謝いたします」
烏京は重ねて低頭しながら、大臣室を辞したのだった。
●
「――といった感じだが、よかったのか?」
相海卿とのやり取りを報告した烏京は、兎木子に訊ねた。
「俺は望むところだが、せっかくの出世をふいにした結果になったぞ」
「もちろん。遠い目で考えれば、お断りして正解だったと思います」
兎木子は晴れやかに言って、教鞭のように人差し指を振るった。
「出世するにあたって、生贄の件は大きな弱点になりかねませんからね。傷口が新しいうちにしっかり報いを受けておきましょう。それはもう、世間が『許す』と言わざるを得ないくらいに!」
禊ってやつです、だそうだ。
動機としては不純だが、兎木子らしいと思えば安心感があるかもしれない。
「まあ、それはさておくとして……」
話題を切って、烏京は帰りの道すがらに取得してきたものを兎木子へと差し出した。
「これを、お前に渡しておかないとな」
「?」
受け取った兎木子は、ペンと一緒に渡した紙きれの正体に気づいて硬直する。
「……烏京様」
「なんだ?」
「これって?」
「離婚届だな」
「…………」
「…………」
「信っじられない! ここまできてお払い箱ですか!? この間なんて、わ、わたしと……せ、せせせせ、セップンまでしておいて!?」
「違う違う、落ち着け。名前のところを見てみろ」
猛然と抗議する兎木子をなだめて、夫の氏名欄を確かめさせる。
今度はちゃんと理解したのか、すぐ静かになった。
「……科人様?」
「役所で確認したら、俺から科人に変えられてたんだ。俺たちの時と同じで、勝手にやられたんだな」
「……。だったら最初からそう言ってくれればいいのに。心臓に悪いです」
兎木子は口をへの字に曲げて、文句を垂れながらサインをする。
「あーあ。齢十七を待たずにバツ2ってことですか。わたしの経歴はメチャクチャですよ」
「そういや、俺もバツ1になるのか」
適当に相槌を打ちながら、烏京は渡し損ねた白紙の書類を示した。
兎木子が取り乱したせいでタイミングを逸していたが、考えたらこっちから先に見せればよかったのか。結果的に弄んだような形で、いささか決まり悪い。
「もしもお前にその気があるなら、籍を入れ直さないかと思ってるんだが……どうだ?」
なにも書かれていない書面はさっきとよく似ているが、正反対の代物――婚姻届だ。
兎木子はパチクリと瞬きをして、涙と笑いを同時にこらえるように顔を歪めた。
「それはつまり、烏京様がわたしをお嫁にもらってくださる、と」
「……他に誰がいるんだ」
「二度も早とちりするわけにはいきませんからね。できれば、誤解しようのない言葉でおっしゃっていただきたいです」
「嘘がにじんでるぞ」
「ふひひ。なんのことでしょう」
複雑で読みづらい感情は引っ込めて、いつも通りに笑う。
いいように転がされているようで業腹だが、ここまで煽られて腰が引けるようでは男がすたる気がしないでもない。
髪をガシガシ掻きむしって、だから正面きって言ってやった。
「兎木子。今回のことで、俺はお前に責任を負わないといけないことになった。もう引き返せないし、むしろこのままの方がいいと思っている。もしお前にも通じる気持ちがあるなら、夫婦って形で今の関係を明らかにしたい。……俺と、結婚してくれるか」
「……。……はい」
差し出した婚姻届を、兎木子はそっと受け取って胸に抱いた。
チロ、と八重歯が覗く。
「三度目の正直ということで。今度こそ末永く、わたしの為に出世してくださいませね」
「前途多難だがな。……まあ、お前と一緒ならどうとでもなるだろうさ」
妖魔との間で交わされた邪悪な契約を断ち切って、今ここに新たな誓いが結ばれる。この先どんな困難が待ち受けていようとも、二人の刀と言葉で切り開けない未来などあろうはずもない。
【了】
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