第37話 勝てないかもしれない

「塵塚怪王!」


 烏京の軍刀から妖気が広がった。

 破壊された発電所の外壁やへし折れたパイプ、警備隊が落としていった銃器のたぐいが妖魔化し、従順なる下僕として烏京の意思の下に浮遊する。


『シャアアアアアア!!』


 操られた器物たちが殺到した対象はミズチだ。

 金属板が体当たりして、アサルトライフルが鉛弾を吐き散らす。考えなしの攻撃指令がもたらすのは数ばかりで有効打など期待できないが、我を忘れた竜蛇の気を惹くくらいならば十分だろう。

 周囲を飛び回るハエを叩き潰すのに夢中になっている間に、とイサナメへ向かう烏京の前に、科人が立ち塞がる。


「……義兄、さま……今なら、勝てる」


 構えた刀から噴出する妖気は、持ち主の姿を覆い隠すほどに濃密だった。

 明らかに科人が扱える許容範囲を超えているが、イサナメの洗脳下にあるからだろうか、莫大な妖気は驚くほど素直に科人の手足となって物理法則を歪曲する。


 斬!


 烏京は斜め前方に跳んだ。

 延伸した斬撃が肩を掠めるのを感じつつも前進を継続。通常なら十歩かかる距離を、妖気をまとった脚によって五歩で埋めると、科人に肉薄する。


 再び、刃が交わった。


 力負けすることはわかっているので、烏京は変幻自在の太刀廻しで猛攻する。

 刀をバトンのように操る手中回転。

 直線的でありながら回転運動を乗せた螺旋の法則。

 急ブレーキ、急加速、直角カーブを不規則に織り交ぜた、極めて読みづらい太刀筋。


 妖力量では勝っている科人が、防御する角度や力加減を見誤って受け損ねた。反撃しても真芯を外され、受け流された。妖魔に洗脳された無表情に焦燥の色が見えてきて…………影がかかる。


『ギジャアアアアア!!』


 ミズチの巨体が降ってきた。

 即席の配下はもういなくなってしまったようだ。

 大蛇は敵味方の区別もなく、飛び退いた科人を尻尾で薙ぎ払い、烏京の方には牙の並んだ赤い口がせまる。


 あれを迎え撃つには妖気の練りが足らない。


 たまらず退避すると、その死角から科人が回り込んできた。

 ナメクジのように軟体化して瓦礫の隙間をすり抜け、背後を取って斬りかかる。


 辛うじて受けたが、芯を捉えられた。

 この剣には耐えられない、と烏京は即断し――軍刀を握る手を緩めた。


 旋!


 スナップを利かせてながら放した軍刀は、科人の剣圧をもらって高速回転。プロペラのように滞空する刃に、科人は巻き込まれては敵わないと慌てて後退する。


 力比べはまぬがれた。

 が、そのために得物を手放した罪は大きい。


 ピタッ、と回転する軍刀が空中で停止して、切っ先を烏京へと向けた。

 明後日の方角から放たれた妖気が干渉し、非実在の手でもって軍刀を掴んだのである。


『ダメじゃァないか。ちゃァんと握ってないと』


 イサナメが、はるか頭上で小狡そうに目を細めるのが見えた。


 持ち主の心臓目掛けて射出される軍刀に、烏京が選択したのは真剣白刃取り。

 刀身を手の平で挟むと同時、霊波干渉でもってイサナメの妖気を霧散させて、軍刀の所有権を奪い返す。


『シャアアア……ギャ!?』


 またミズチが噛みつきに来たので、刃を手で挟んだまま柄の側でぶん殴った。普通なら手の平がパックリいくところだが、妖気操作で強引に固定しているので無傷だ。戦闘継続に支障はない。


「……しかし、やりづらいな」


 軍刀を持ち直す烏京には、疲労がにじんでいた。


 真に厄介なのは、やはりイサナメだ。

 基本は科人とミズチに任せて遠巻きにしているが、隙があれば手を出してくるし、そこらの人工物を妖魔化しても溶解液を吹きかけて消滅させてしまうので分断作戦が通用しない。

 自らは裏方に回って、戦況のコントロールに徹する。前に出てきて攻撃に参加するよりも、むしろ困難な敵である。


「いつまで持つかわからんな。……早くしてくれよ、兎木子」


 小さく呟いて、烏京は休む間もなく打ち込んできた科人に応戦した。


「勝てるのかい?」


 出立の前に恋太郎が問うと、烏京は断言しなかった。


「イサナメとは二度戦って、二度打ち漏らした。三度めがないとは、言い切れない」、と。


 だから、彼は一つ頼みごとをした。


「可能なら、『天網』を使いたい」

「『天網』ねぇ……上を説得しろって?」


 恋太郎は苦虫を口に放り込まれたみたいな顔をした。

 暗黙の実父である相海卿は大規模退魔術式の使用を決定する権限を持っているものの、許可してくれる公算は低いと言わざるを得なかった。

 烏京から頼られるのは悪い気がしないが、応えられる自信がない。


 そしたら、横で聞いていた兎木子が名乗りを上げたのだ。


「わたしにお手伝いはできないでしょうか」


 で、今は車の助手席に乗せて爆走中だ。

 軍用無線からは、東京妖力発電所でイサナメたちと烏京が交戦を始めたという報告が流れてきている。


 相海卿とは電話でアポイントを取ったものの、感触としては最悪に近い。会ってもらうだけでも、ちょっとゴネなければならなかった。


「その『天網』というのを使うは、難しいことなんですか?」

「要は大規模な結界術なんですけどね。まあ、色々とデメリットもありまして」


 運転しながら、恋太郎は兎木子の質問に答える。


「ぶっちゃけ。ボクも賛成より反対の理由の方がたくさん思いつきますよ。たとえば……」


 と、つらつら考えを述べるのを、兎木子は真剣な顔で聞いていた。

 さながら刀剣を磨く砥ぎ師のごとく、黙して考え込む。そして目的地である国会議事堂が見えてきた頃になって、引き結んでいた唇から声が漏れた。


「あの、一つ聞いてもらってもいいですか?」

「なんです? いいアイデアでも浮かびました?」


 期待半分に訊き返したら、兎木子はためらいがちに頷いて、アイデアというのを開示した。


「烏京様には、怒られるかもしれませんけど」

「あー。……まあ、フィアンセがそんなこと言い出したら、ボクだったら泣きますね」


 恋太郎は複雑な表情をした。

 なにが複雑かって、彼女の策は有効であろうからだ。『天網』の使用に反対するだろう上層部の面々も、これだったら首を縦に振る可能性がある。


「覚悟ができてないんなら、やめた方がいいですよ」

「いえ。烏京様だって、命を懸けているんです。……たとえ妻失格と言われようとも、一番確実な方法でいきます」


 左頬に傷を持つ美少女は、日本刀のように強く鋭い意志を携えている。

 もやは他人が口出しすることではないと悟って、恋太郎も腹を括った。


「わかりました。いざって時は、一緒に烏京に謝りましょう」

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