第34話 逃げるナメクジ
――妖気操作、混成。
軍刀からは塵塚怪王、小太刀からは幻狐。
器物と獣、まったく異なるルーツから成る妖力を、烏京はわずかな無駄もなく掌握し、一つの力にまとめ上げると結界に叩きつけた。
破砕。
堅牢な結界が、携帯端末の保護ガラス並に容易く砕け散った。
生け贄の女性たちが悲鳴を漏らし、結界内に充満していた腐臭のごときイサナメの妖気が拡散する。
それだけでは、烏京は止まらなかった。
大小二刀流が、蝋燭を反射して花火のように閃く。
軍刀での振り下ろしが小太刀を振りかぶる動作と連なり、小太刀による刺突が軍刀の薙ぎ払いへと連動する。一人で行う連撃というよりは、むしろ一心同体の二人組が連携しているかのような、綿密とした怒涛の斬撃を見舞った。
ナメクジは反応する暇すら与えられることなく、バラバラに斬り刻まれる。
『……やるじゃァないのさ』
百にも千にも分割されながら、イサナメは余裕のある声。
直後、サイコロ大になった破片のすべてがナメクジの形へと再生した。
無数の群体と化したイサナメに烏京は警戒を高めるが、相手が狙ったのは別の獲物であった。
『
「ひぃぃぃぃぃ!!?」
「いや! いやぁぁぁ!?」
生け贄の女性たちが、これまでになく絶叫した。
みじんに斬られて小型化したとはいえ、ナメクジの基準からすれば十分に大きいのが、体中に張りついてきたのだ。嫌悪感と恐怖、にじみ出る溶解液の痛みで、狂乱状態に陥っている。
「儀式の手順を無視するか!?」
生け贄を殺すにはやり方や順番が決まっていたりするので、この状況下で手出しすることはないと踏んでいた烏京は虚を突かれたが、一瞬で判断すると塵塚怪王の妖気を放った。
妖気は床の蝋燭へと染み込んで、仮初めの生命を与えられた赤い灯火はひとりでに浮遊すると、女性たちにたかるナメクジ群れへ次々と襲いかかる。
ジュ! ジュ! ジュ!
不快な音と悪臭がするたびに、ナメクジ一匹が焼き潰される。
そうして女性の救助に意識を割いている間に、群れの大多数は出口へと向かって猛スピードで行進していた。
「待て!」
妖気操作で延伸した斬撃を放つが、床もろともぶった斬られたナメクジはまたも再生して数を増やすばかりだ。見れば、蝋燭で焼いた個体も徐々に復活してきている。
「……どうなってる?」
まるで不死身とでもいうような再生力だ。
イサナメの妖力が強いから、というだけでは説明できない違和感を覚えるが、しかし考えている余裕もない。
とにかく急いで女性たちからナメクジを払ったところに防護の妖気をまとわせてこれ以上たかることがないようにしてやるが、そうしているうちにもイサナメの群れは地上に通じる階段へと到達してしまいそうだ。
果たして間に合うだろうかか……と、焦り始めたその時。
「止まれ、イザナメ!」
立ちはだかったのは誰であろう、雄鷹であった。
『この裏切者が! 邪魔すんじゃァないよ!』
「なんとでも言え! もうこうなったら貴様など、始末した方がマシだ!」
雄鷹はイサナメの妖力を宿した刀を振り上げて、周りの私兵たちに命令する。
「者ども! このナメクジを殲滅し……。…………っ!?」
しかし、最後まで言い切ることはできなかった。なぜなら、右胸を突き破って血濡れの刀身が生えてきたからだ。
思いがけない事態に地下室全体が凍りつく中、雄鷹は「ゴフッ」と血を吐きながら己の背後をかえりみて目を見開いた。
「し……しな、と」
今の今まで不言不動を貫き影を薄めていた次男坊は、昏い目をした無表情のまま刀を引き抜くと、倒れ伏した父親には一瞥をくれることもなくイサナメへと歩み寄る。
『……ったくよォ、雄鷹。アンタもとことん情けない男になっちまったねェ』
ナメクジの群れは小馬鹿にしたように嗤いながら、科人の脚をよじ登っていく。
見るだにおぞましい光景だが、当の本人は意に介した様子もない。その能面みたいな顔に、遅ればせながら烏京は思い当たった。
「イサナメ……お前、科人になにをした?」
『クックク。雄鷹が手の平を返すことくらい、アタシはお見通しなのさ。だから保険として、弟クンに頼んどいたんだよ。いざって時は、アタシの側についてくれるようにってねェ』
簡単だったよ、とイサナメは嘲弄する。
科人の心は、周りから見向きもされない孤独感や、優秀すぎる烏京に対する劣等感で弱っており、さして得意でもないイサナメの催眠術でも絡め捕ることができた、と。
『さァて、弟クン。ここは手を取り合って逃避行といこうじゃァないか。アンタのお兄ちゃんに勝つには、もうちょっとばかし備えが欲しいからねェ』
「……ん」
肩まで上ってきたイサナメが囁くと、科人は曖昧に頷いて――袴からナメクジを数匹ばかり掴み取った。
烏京に向けて投擲。
飛来するナメクジを二刀で弾き、ビシャ! と汚く散らすのを合図に、止まっていた時間が動き出す。
飛びかかる私兵たち。地を蹴る烏京。
科人はすばやく踵を返し、血まみれの雄鷹から刀を奪い取ると、階段を駆け上がっていった。
速い!
粘液で滑っていくかのような疾走は、烏京ですら距離を縮めることが困難で、地上へと出たころには科人の背中は森の奥へと消えてしまっていた。
『あばよ、金津由。代々アタシに生贄を捧げてたのも、これで無駄になったねェ!』
とうに雪のやんだ曇り空に、どこからともなくイサナメの大声が響いた。
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