第32話 兎木子(?)の輿入れ

 一方その頃、金津由家本邸。


 今冬初めての雪は強風をともない、吹雪きつつある帝都東京は一等地。古式ゆかしき和洋折衷の屋敷の門へと、花嫁を乗せた高級車が入っていく。

 玄関の前で停車。

 ドアが開かれ、下りてきたのは兎木子だった。白無垢に角隠し、顔の傷が隠れるくらいに白粉を塗った面貌に、唇の紅が映える。


「……お待ちしていました、兎木子さま」


 玄関先で待機していた使用人が硬い表情でお辞儀して、屋内へと誘導してくれた。

 兎木子は顔を伏せたまま従い、奥の部屋まで歩いったところで使用人は退出。一言霊を告げてから、一人で入室する。


「来たな」


 雄鷹が低い声で迎えた。

 帯刀した戦装束で、立ったまま腕組み。険しい顔。とても嫁入りを歓迎する当主の姿とは思えない。


 室内には、雄鷹の他にも何人かの男がいた。

 一人の例外を除いては、金津由家当主が抱える私兵である。中には京都での襲撃に参加した者までいたが、兎木子には素顔を見られていなかったので、問題ないと判断したのだろうか。

 そして例外という一人が、科人。烏京の異腹弟だ。父と同じく戦闘用の黒狩衣。兎木子と同い年くらいの少年で互いに面識もあったが、どこか昏い目をしているのが気にかかった。


「科人……様」


 思わず、といった様子で呟いた兎木子を、雄鷹はあざけるように鼻で笑う。


「どうした、お前の夫になる相手だぞ。もう少し愛想良くしたらどうだ」

「……」


 烏京と離縁する代わりにあてがわれたのが科人だと知った時の心地を思い出して、兎木子は黙ってうつむいた。

 科人も陰鬱と黙りこくったままで、重苦しい空気がたちこめる。


「ふんっ。まあいい、さっさと始めるぞ」


 雄鷹は興覚めしたように肩を竦めて、私兵たちに目配せをした。

 すると、うちの一人が金属探知機みたいな機械を取り出して、兎木子の体へと近づけた。頭から爪先まで、くまなく調べて回った末に、私兵は手元のメーターを確認して雄鷹へと報告する。


「異常はありません。微弱な妖力を検知しましたが、退魔士と生活をともにしていたことを考えるなら誤差の範疇でしょう。危険な魔具などは所持していないと思われます」

「そうか……烏京がなにか仕込んでいるかと思ったんだがな」


 検査をクリアした兎木子は、裏口から屋敷の外へと連れ出された。

 吹きつける風雪に身を縮こませながら、黒々と広がる森へと入っていく。

 逃げられないよう前後を私兵に挟まれて、まるで囚人になった気分だ。途中で着物の袖が茂みに引っかかったりしても、誰も手助けすらしてくれずに、先を急かされ急かされ歩いていけば、厳重に施錠された祠が見えてくる。


 妖魔イサナメに捧げる生け贄の儀式が行われる祠。

 前回来たのが、もうはるか昔のことのように感じられるが、懐かしさはまったくない。

 鍵が開けられ、暗い階段を下りていく。


 そして、たどり着いた地下室は以前と少し違っていた。


 土を掘って固めただけの洞窟みたいな円筒状の壁と天井には何千何万もの鏡が新調されており、床に直置きされた蝋燭が赤々と燃えている。

 中央には結界術の呪文で描かれた真円と、結界を維持する詠唱装置。

 ここまでは、記憶にある通りだ。


 異なるのは、結界の内側。


 蓋の閉じた土器が置いてあったのが祭壇になっていて、子猫ほども大きなナメクジが鎮座していることと……もう一点。

 祭壇の前に女性が二人、ひざまずいているのだ。

 結界の中に入るのは、イサナメと生け贄の女性だけだというのに。


 兎木子は息を呑んで、雄鷹に食ってかかった。


「ちち……ち、血迷いましたか!? イサナメを復活させるなんて!」


 イサナメが兎木子に語った内容によれば、かつて大ナメクジを封印した巫女は八人。金津由はすでに五人を生け贄にしており、兎木子を含めて三人を差し出せば、巫女の犠牲と同数になって封印を打ち消せる計算になる。

 災いを振りまくとわかりきっていて、大妖魔の復活に寄与するなど正気の沙汰ではなかった。


「うるさい、女が意見することではないわ!」


 しかし雄鷹は冷たくはねのけると、荒っぽく兎木子の背中を押した。


「ワシがなにも考えていないわけがなかろう。貴様は今度こそお役目を果たせばいいのだ!」

「う……っ!」

『あれあれ、女の子に乱暴だねェ』


 たたらを踏んで兎木子が前に出ると、ナメクジが愉快そうに体を震わせた。

 結界越しであるが、一度烏京に壊されたせいか、声が通じるようになっている。


「……生きていたんですね、イサナメ」

『悪いねェ、お嬢ちゃん。「白羽の矢」が選んだ六番目の贄に代わりは利かないからね。無理を言って来てもらったよ』


 イサナメは触角を伸ばし、目玉を細めて兎木子を睨め回した。

 視線そのものがナメクジとなって絡みついてくるような、不快な目つきである。兎木子は顔をそむけ、耐えるように我が身を抱きしめた。


『ところで、烏京のやつは抑えてるんだろうねェ?』


 程なく、イサナメは満足したのか視線を外して、雄鷹に訊ねた。解放された兎木子はホゥと息を吐いて、袖に絡んだままだった細木の枝を取る。


「大人しく、新しい女との見合いに行ったと報告が上がっている。問題はない」

『へェ? ずいぶんと素直じゃァないさ。他にも何通りか、足止めを考えてたのが無駄になっちまったねェ』


 都合の良い情報にはいくらか訝しんだようだったが、それ以上は言及もせず。イサナメは触角で手招きをした。


『善は急げだ。ほら早く、生け贄を寄越しな』

「いや、まだだ」


 ところが雄鷹は、兎木子を結界の手前までは連れてきても、あと一歩を押し出そうとしない。


「忘れるなよ、イサナメ。こちらは残りの生け贄をまとめて用意する。代わりに貴様は、相応の妖力を支払うという契約だ」

『憶えてるよ、そんなこと。生け贄をくれたら、すぐにでも払ってやるさ』

「支払いが先だ。証文も書いてある。言い逃れはできんぞ」

『チッ、細かい男だねェ。……わかったよ。刀を寄越しな』


 イサナメが面倒くさそうに応じると、雄鷹は腰の刀を抜いた。

 刀身だけを結界内へと差し込むと、ナメクジは祭壇から這い下りていき、触角で封魔呪文の彫金に触れる。


 桁を外れた妖気が流し込まれた。


 烏京が兎木子の懐剣を妖刀化させた時と似ているが、エネルギー量には天と地ほどの差がある。あまりの圧に、そばにいた生け贄の女性が当てられて苦しそうに呻いた。


『……終わったよ』


 妖気の奔流は、始まった時と同じく唐突に止んだ。

 イサナメが疲れた声で押し戻した刀を、雄鷹は持ち上げて満足げに眺めて……――――


「確かに、受け取ったぞ」


 おもむろに、兎木子へと振り下ろした。


『おい!』


 イサナメが怒鳴るが、白刃は構うことなく少女の首根へと吸い込まれていき、


「――なるほど、なるほど」


 兎木子の喉から、男性の低音がこぼれた。


 ガキィ! と、細木の枝が刀を受け止め、を立てる。


「なんだとっ!?」

「白羽の矢で選ばれた生け贄を、儀式の外で殺すか。それなら封印破壊は不成立。復活を防ぐことができるな」


 白無垢を着た少女の姿がブレて、黒狩衣の青年が現れる。

 ただの枝きれに見えていたのが抜き身の軍刀へと変化して、上級妖魔・塵塚怪王の妖気が噴出する。


「き、貴様……!?」

『……おかしいとは思ってたんだよねェ』


 雄鷹や私兵たちがどよめく中、イサナメだけはどこか納得したような声色だ。


「ずいぶんと、下衆な発想をするじゃないか。父上」


 化けの皮を脱ぎ捨てた烏京は、静かな怒りを燃やす瞳で雄鷹を睨んだ

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