第31話 士官候補生は烏京とのお見合いを憂う

 金津由烏京と見合いせよ。

 藪から棒に父からそんな連絡が届き、高級料亭の座敷にまで連れて来られたはまっこと憂鬱な気分であった。

 だいたい話が急すぎるのである。そういうことはもっと事前に伝えてくれないと、心の準備もなにもあったものではない。


 一度穢霊地の浄化任務を同行しただけの知り合いだが、烏京のことは尊敬できると思っている。強いし、顔も性格も悪くなさそうだし、すごく強いし、縁を結んでおけばなにかと美味しいことがあるだろう。

 しかし、「では喜んで」となるほど女心は現金ではないのだ。


 花柄の振袖は可愛らしいけど、動きづらいのばかりが気にかかる。

 慣れない髪型に結ったせいで、頭皮が引っ張られるのも不快だ。

 眼鏡は駄目だと言われて、コンタクトレンズを入れた眼球がゴロゴロして仕方ない。


「あぁ、帰りたいっす」


 士官候補生の三人娘が一人、岩内照子は暗鬱とため息を吐いた。

 重ねて言うが、烏京のことは嫌いではない。

 ただ、結婚相手として見られるかと訊かれたら、断じて否だ。


 あれ以来、烏京に熱を上げているらしい三内に知られたら、どんな目に遭わされるかわからない。

 軍の出世頭とくっついて甘い汁、なんて木下内がなんと言うかわからない。

 そもそも、烏京と一対一なんて会話が続く気がしない。


 なにをどう考えても配役ミスだ。

 妖魔オタクな娘の行く末を案じてか、父がやたらと縁談を探してくるのは前々からうっとうしかったが、今回ほど恨めしく思ったのは初めてである。


「いっそ逃げ……は、無理っすかね」


 岩内が通された部屋は一人きりで、父は最初から別室で待機している。

 多少の物音くらいなら気づかれないと思うが、さすがに外に出ようとすればバレてしまうだろう。

 怒られるだけならまだしも、実家の自室には妖魔についての図鑑や画集や映像ディスク、標本、論文などの様々な蒐集品が収められている。愛するコレクションたちが人質に取られている以上、不用意な行動は控えねばならなかった。


「やだなぁ。やだなぁ。来ないでほしいなぁ」


 ブツブツと垂れ流していても、叶えてくれる神などいるはずもなく。

 やがて廊下から足音が近づいてきて、襖が開かれた。

 現れたのは、羽織袴の烏京である。


「どど、どうも、大尉殿。この度は、ご足労いただきありがとうございまひゅ」


 ちょっと噛んだ。

 緊張のあまり安物のカラクリ人形みたいにぎこちない岩内に、烏京は一礼してから敷居をまたぎ、机を挟んで反対側に腰を下ろす。


 痛々しい沈黙が、両者の間に立ち込めた。


 互いに一言も発することがないまま、時間だけが過ぎていく。


(うぅ……せめて、なんか言ってよぉ)


 顔を伏せて、岩内は内心でベソをかいた。

 機嫌が悪いのか単に無口なだけなのか、黙りこくった烏京の存在は彼女にとって恐怖の対象でしかない。

 自分から話を振るなんて気の利いたこともできずに、思考は負の方向へと落ちていく。


(いっそ、この大尉がニセモノとかないかなぁ。狐とか狸とかさぁ)


 子どもじみた現実逃避をしながら、チラと烏京の顔色をうかがうも、当然そんな都合の良いことなど……おや?


(んんんんん?)


 そうと思って見なければわからないような、極めて些細な違和感を覚えて、岩内は目を凝らした。

 眉間にシワを寄せて睨むという、見合いの席ではご法度な非礼行為に対して、烏京が腹を立てる様子はない。

 それどころか愉快そうに目を細めて――品のいい令嬢みたいに手で口元を隠す。


「ふふ。烏京様が褒めてらしたけど、本当に優秀なお方なんですね」

「うへっ!?」


 所作だけではない。

 声もまた、男性的な低音ではなく、澄みきった少女のものだ。

 肝を潰してのけぞる岩内の目の前で、烏京の姿はモザイクのように画質が乱れていき、化けの皮が剥がれた後には、岩内よりも年若そうな少女が正座していた。

 真っ直ぐに流れた黒髪の日本人形みたいな美少女で、左の頬には痛ましい傷痕が刻まれている。


「……。…………誰?」

「申し遅れました。金津由烏京の妻で、兎木子と申します」

「つっま! あの人、嫁さんいたんすか……って! それどころじゃなくて、いやそれもだけども」


 驚きすぎると返って冷静になる、という描写をよく見かけるが、あれは嘘だ。

 混乱は留まるところを知らず、上手く舌が回らない。

 立つも半端、座るも半端で落ち着く先のない岩内を見かねたか、兎木子が机に置いてあった鉄瓶からお茶を淹れてくれたのを飲んで一息つく。


 そういえば、烏京が来たらお茶でおもてなししなさい、と父から言いつけられてたなぁ、などと今さら思い返しつつ。


「えっと……つまり、ドッキリってことっすか?」

「いえ、もうちょっと複雑な事情でして」


 訊ねたら、兎木子は困ったように目尻を下げて言った。


「金津由のお家で揉め事がありまして、岩内様を巻き込んでしまったみたいなんです」


 それを聞いた岩内は、胸の内で叫んだ。


(関わりたくねぇぇぇ!!)


 旧家名家の面倒事など、対岸から眺めるから面白いのであって我が身で体験するものではない。

 許されるなら今からでも帰してくれるというなら尻尾を巻いて逃げ出したかったが、烏京の嫁だとかいう小娘は人畜無害を装って退路をふさぐ。


「岩内様はわたしにかけられた変化の術を見破ってしまわれましたので、烏京様の敵に回るというのでなければ、ここに残って秘密を守っていただければ、と」

「あんた、カワイイ顔しておっかないこと言うっすね」

「そんな困ります、可愛いだなんて」


 笑った拍子に、八重歯が覗く。この期に及んでカマトトぶれるとは、大した器だ。

 勝てる気がしない、と岩内は早々に白旗を上げた。


「はいはい、わかりましたよ。選択肢はないってことっすね」

「申し訳ありません。お詫びと言ってはなんですが、ご質問があればできる限りお答えますので」


 訊きたいこと、というならいくらでもある。


 自分が巻き込まれたのは、どういった騒動なのか?

 急に見合いをセッティングされたのはなぜか?

 本物の烏京はどこにいるのか?

 兎木子と入れ替わった目的と手法は?


 半ばやけっぱちで、片っ端から質問を投げつけると、兎木子は少し考える仕草をしてから、こう答えた。


「わたしもすべてを把握できているわけではありませんが、烏京様が今まさに向かっているところについて一通りお話すれば、事足りるかと思います」

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