婚姻破談
第30話 離婚命令には逆らえない
ふでやで夕食を取った後、二人は夜行列車の切符を買った。
行きとは違い一晩たっぷりかけて東京へと戻ってきて、自宅に帰ってみるとなにやらおかしいことに気づく。
玄関先に、見覚えのない高級車が停まっているのだ。
朝っぱらから何事だろうか、と家の中に踏み込むと、留守番をしていたお鶴が狼狽した様子で飛び出してきた。
「一大事でございます、坊っちゃん!」
「婆さま、なにがあった」
いつものほほんとしているお鶴が、こんなに取り乱しているところを烏京は見たことがない。
焦燥感を覚えながら問いただすが、老婆が答えるよりも先に、居間の方から男性が現れた。
「お久しぶりですな、烏京さん」
「あなたは……!?」
その男は、烏京もよく知る人物だった。
やや額が後退した黒髪で、浅黒く日焼けした面長。スーツの胸元には、妖力燃料管理委員会のバッジ。薄い唇の隙間からは、わずかに前歯が覗いている。
男の名は玉鞠
なにを隠そう、兎木子の実父である。
「お父様……まさかいらしているだなんて、知りませんでした」
烏京の背から、兎木子が顔だけ出した。
なにかを予感するように怯えた様子を見せる娘には目もくれず、玉鞠は烏京に面と向かって言い放った。
「単刀直入ですが、娘との結婚をなかったことにしてもらいたい」
「なっ!?」
「そんな!?」
思わぬ申し出に、言葉を失った。
兎木子が悲痛な声を上げて、烏京は戸惑いを抑えてなんとか問い返す。
「……どういう、ことですか」
「どうもこうもない。娘を嫁にやったのは、士族金津由家の御曹司です。ところが、聞けばあなたは勘当されたそうじゃないですか。しかも、大事な娘を傷物にされたときた。連れ戻しに来るのは当然のことです」
事件から何日も放っておいたくせに……とは言わない。
その点については、烏京も負い目がある。
が、だからといって黙ってもいられないので、代わりにこう言った。
「傷のことは、申し訳なく思っています。これから、ずっと償っていきましょう。勘当の件は事実ですが、すでに挽回する算段ができていますので、今しばらく時間をもらえれば、と」
「あ、あの……わたしからもお願いします。烏京様なら信頼できますから」
「お前は黙っていなさい!」
および腰で懇願する兎木子を、玉鞠は厳しく叱責した。
端から聞く耳など持つ気もないようだ。
「もちろん償いはいただきますが、婿殿として信用することは不可能です。娘は連れて帰ります」
「待ってください、お父様……」
「口出しするなと言った! お前の結婚相手なら、もっと条件がいいのを見つけている。今日中にでも、そちらの家に移れ」
「っ!!」
兎木子の喉が、笛のように鳴るのが聞こえた。
呼吸の乱れる気配。
このままにしてはならないと判断して烏京が間に割って入ると、玉鞠は頑固そうに腕を組んだ。
「なんですか。応じる気はないと?」
「いや……」
慣れない分野で思考を回転させる。
なせか兎木子は反撃しないが、本来の彼女だったらどのように切り抜けるか。
「……わかった。言う通りにします」
ビクッ、と背後で兎木子が震えた。
すがりついてくる手をさりげなく回した後ろ手で握り、烏京は続ける。
「ただ、少しだけ時間をいただけませんか? 兎木子の荷物をまとめなければならないし、本人の気持ちも整理させてやりたい」
「うぅむ……いいでしょう。兎木子。車で待っているから、貴重品だけ持って出てきなさい」
玉鞠は不承不承といった態度で、一方的に話をつけて出ていってしまう。
戸が閉まる音。
「……ふう。とりあえず時間は稼げたか。おい、大丈夫か?」
烏京は胸を撫で下ろして、兎木子を振り返った。
玄関をくぐる前までは旅行の余韻に浸っていたのが、毒でも飲まされたように青ざめている。捨てられた犬みたいに目を潤ませて、「烏京様、わたしは」と見上げてきて……まさか、気づいていないのか?
「しっかりしてくれ。あの程度の方便、お前だったら見抜けるだろ」
「方便。そう、嘘なんですか……」
兎木子は呆然とオウム返しして、フラとよろめいた。
慌てて抱き留め、お鶴に白湯を淹れてくるように頼んで、ゆっくりと上がり框に座らせてやる。
「ごめんなさい。わたし、お見苦しいところを……」
「いいから。急にどうした。イサナメの生け贄にされかけた時でも、毅然としていたのに。体調でも悪かったのか?」
「そういうわけでは。……ごめんなさい」
兎木子は何度も謝って、烏京の腕に体重を預ける。
そして、胸の内を絞り出すように吐露した。
「あの時、わたしが烏京様の立場だったら同じ選択をすると言いました。……今がその時です。わたしは、父の言いつけに逆らえません!」
「兎木子……」
「ごめんなさい。だけど、父に言われたら、他のやり方が思いつかないんです。次の嫁入り先まで手配されていたら、付け入る隙なんて、どこにあるでしょう」
いまだかつて聞いたことのない弱音。
烏京は彼女の頭を抱えて、慎重に言葉を選んだ。
「お前以上の答えを、俺に出せるとは思えん。考えることに関しては、兎木子が一番だ」
「でも、今のわたしには……」
「お前が逆らえないと言い切るなら、無理なんだろう。俺だって、肝心なところで反抗できずに生きてきたんだ。気持ちは痛いほどわかる」
「…………」
「兎木子が言いなりになるしかないなら、それでもいい。……じゃあ、俺はどうしたらいい?」
「……?」
「望んで出ていくなら止めない。俺より相応しい男がいることだってあるだろう。だが、そうでないなら、もう俺は兎木子を手放すつもりはないぞ。……教えてくれ、どう動いたらお前を取り戻せる?」
「……!」
曇っていた兎木子の瞳に、光が宿った。
美しい瞳孔の奥底で、知性の歯車が回り出すのを、烏京は初めてごく至近距離から目撃した。
そして――
「……ぁ」
と、声が漏れた。
「思いついたか?」
「は、い。……でも、あまりにも不確かです」
「ほう、生け贄の儀式に臨むより無茶なことなのか?」
「それは……ふふっ。さすがに、そこまでじゃないですね」
冗談めかして問うと、ようやく兎木子は笑顔を取り戻した。
立ち向かう勇気が湧いてきたところで、二人は本格的な相談へと入る……と思った矢先のことである。
「一大事でございます、坊ちゃん!」
電話の受話器を握りしめて、お鶴が転がるように駆けてきた。
頼んだ白湯も忘れているなんて、らしくない取り乱しっぷりである。
「坊ちゃんとお見合いの約束をなさっている方からお電話が!」
「え?」
「は?」
言葉の意味を理解するのに、たっぷり五秒はかかった。
「烏京様、お見合いなさるんですか?」
「するわけないだろう。俺は知らんぞ」
まん丸になった兎木子の目を、烏京は同じような目で見つめ返す。
「間違い電話じゃないのか?」
「いいえ。何度も確認しましたが、間違いではございませんでした。本日の午後からとのことです」
「この忙しい時に……。そんなわけのわからん話に付き合ってる暇はないぞ」
「ですが坊ちゃん。どうもお断りすると、それはそれで面倒になりそうでございますよ」
前触れもなく放り込まれた不審な見合い話に、烏京たちの困惑は果てしなかったが、立ち止まっている余裕はない。
兎木子は自身の策について最低限の相談だけすると、玉鞠の車に乗って実家へと帰っていった。
その後は烏京と別々に、できる限りの行動を尽くすこと数時間。
昼下がりに初雪が降り始めたころ、激動の幕が開けることになる。
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