第29話 襲撃者の正体

 途中で敵が落とした刀を拾って九階まで戻ると、刀の持ち主である透明剣士もいなくなっていた。

 これで、最初の一人を除いてすべて取り逃がしたことになる。


 忸怩たる思いであるが、軍刀を持ち去られずに済んだだけでも良しとすべきだろうか……と考えながら鉄扉を開くと、客室にいたはずの兎木子がすぐそこにいた。近くには従業員や、警備員らしい魔武器を手にした男たちが側に控えている。


「烏京様、お怪我は?」

「見ての通りだ」


 駆け寄る兎木子に、烏京は無事であることを示しつつ、借りていた懐剣を返却する。


「助かったよ。おかげで戦えた」

「はい。お役に立ててよかったです」


 妖刀化しただけで式神もついていない懐剣に、警備員が「……あれ一本だけで?」と化け物でも見るような目をしていたが、同僚に小突かれて我に返ると、敬礼しながら烏京に話しかけた。


「お客様、賊はどうなりましたか?」

「逃げられました。力及ばず申し訳ない。……これは、下手人が落として行った凶器です」

「烏京様でも、ですか」


 取り逃がした事実に兎木子が驚くが、斬り合いならばともかく追跡となると、話が違う。

 幻狐というのは、騙し化かしが得意な妖魔なのだ。

 軍刀を取り返してしまった後では目印となるものもなく、手持ちの塵塚怪王は索敵に向いているとは言いがたい。逃げに徹されては、さすがの烏京でも分が悪かった。


「そもそもは、侵入を許した我々警備の落ち度です」

「腕のいい術士が幻狐を使うと、格上の目でもごまかすことができる。止められなかったからといって、責めるのは酷でしょう」

「――いかにも」


 威厳のある低音が、会話に参入した。


「想定外の事態だ。大した被害がなかっただけでも上出来と言わねばならない」


 そう言いながら、恰幅の良い和装の男性が歩いてきた。

 年は六十がらみ。髪はロマンスグレー。藍色の羽織りは国産の高級ブランドで、贅肉をたくわえた腹回りを見苦しさなく包んでいる。同じく肉のついたうりざね顔にかけた四角い眼鏡の奥では、小さな瞳が鋭い光を発していた。

 相海与之助、その人のお出ましである。


「賊は私が取った部屋を襲ったのだ。ならば、狙われた私にも対策を怠った責がある。……が、検証は警察が到着してから任せることにしよう。君たちは一旦下がりなさい」

「ははっ」


 相海卿が軽く手を振ると、従業員たちは店の奥へと駆けていった。警備員も引き連れて、他の客をフォローしたり不審者や物が残っていないか確かめたりするのだろう。

 エレベーターホールには烏京と兎木子、相海卿とお付きの黒服が残されることになった。


「それで、君が金津由烏京くんだね。に対処してくれたこと、感謝する」

「……。いえ、閣下。一人しか捕縛できず、面目次第もありません」

「謙遜することはない。見事な働きだったと聞いているよ。また改めて礼をさせてもらうが、今日のところは私の連絡先だけ渡しておこう」


 頭を下げる烏京に、相海卿は鷹揚に笑うと右隣の黒服に目配せをした。

 やり手っぽい眼つきをした細身の黒服は、小脇の鞄から名刺入れを取り出すと、二枚を選び取って烏京に差し出す。


「ありがたく、頂戴します」

「では、今のうちに帰りなさい。警察が来てからでは事情聴取だなんだで時間がかかってしまう。せっかく若い奥さんと一緒なのに、それはあんまりだ。夕食は諦めてもらうことになるが、私が贔屓にしている店を代わりに紹介するから、もし当てがないなら行ってみるといい」


 せっかくの面談は、お流れということらしい。

 残念な気もしたが、警察の相手をするのは確かに面倒だし、相海卿が善意として言ってくれているのに逆らうのも難しい。烏京たちは従順に、下りのエレベーターに乗ることにした。


 料亭の者に布をもらってそして、二階まで下って、廊下を歩き、中央ビルから出る。


「私への刺客、と言ってたろ」


 外に出るのを見計らって、烏京が口を開いた。


「嘘だった」

「……やっぱり」


 予想していたのか。兎木子に動じた様子はない。


「客室で烏京様が倒した男の人なんですけど……たぶん、金津由の人間だと思います」

「間違いないか?」

「あの儀式のときに見かけました。一度きりのことですから、自信はあまりないですけど」


 烏京は記憶になかったが、兎木子が言うならば信じていい気がする。可能性としては、十分にあり得ることでもあったからだ。


「あの場所にいたのは、父上が抱えている私兵みたいな連中だ。俺も詳しいことは知らんが、表向きに動かしてるところを見たことがなかったから、まあ碌なことには使ってなかったんだろう」

「たとえば、今日みたいなことに、ですか」


 兎木子は嫌そうな顔をして、それから首を横に傾げる。


「相海卿は、刺客の正体にまで気づいていたんでしょうか?」

「どうかな。そこまでは読めなかったが、少なくとも奴らの狙いは別にあると思っていたのは確かだ」

「敵の狙い……」

「初手は俺への攻撃と、刀の強奪の二面行動。ってことは、俺だろうな」

「なるほどなるほど」


 合点がいったと、兎木子は何度も頷いた。

 背後の中央ビルを仰ぎ見る。高みにいる相海卿の心境を量るように。


「つまり、烏京様を狙った襲撃だとわかっているけど、巻き込んでしまったことは不問にしてくださる、と」

「……まどろっこしいな」

「なに言ってるんです。口に出しちゃったら、本当は烏京様に責任があると思ってるみたいじゃないですか」


 辟易したら、たしなめられた。

 やがてパトカーのサイレンが近づいてくるのを聞きながら、赤鳥居を模した歩道橋を歩いていく。


「ところで、いただいたお名刺ってどんなものでした?」

「ん? ああ、片方は相海卿の……政治事務所とは別のものみたいだな。で、もう片方は……お?」


 改めて名刺を確認した烏京は、目を見開いた。

 その反応を不審がって兎木子が横から覗き込み、同じように硬直する。


 相海卿から渡された名刺の片方は、とある飲食店のものだった。店の名前は、『ふでや』。


「ふでやって、昼間のですか?」

「そんな大物が通うような店だったのか」


 ある意味で今日一番の驚きに、烏京と兎木子は顔を見合わせた。


 とっぷり日が暮れたのに部屋の明かりを点けることもしないで、金津由雄鷹――烏京の父は電話の受話器を握りしめていた。


「では、なにか? 一つの成果をあげることもなく、おめおめ逃げ帰ってきたということか」

『面目次第もございません。捕らえられた者は自害するよう訓練していますので、こちらの情報が洩れる心配は不要かと……』

「もういい!」


 ガシャン! と苛立ち紛れに受話器を叩きつける。

 それでも収まらないのか、荒く肩で息をする雄鷹の後ろで、子猫サイズのナメクジが愉快そうに体を震わせた。


『烏京ってやつは、つくづくおっかない男だねェ。刀を手放した隙を突いたってのに、傷一つつかないなんて』

「笑っている場合か!」


 なにもかもが、雄鷹の精神を逆撫でしていた。

 どうしてこうなったというのか。ほんの先週までは、烏京の人間離れした活躍っぷりはすべて金津由家の誇りであり鼻高々だったというのに、今では忌々しい目の上のたんこぶになっている。

 潰そうにも潰せず、むしろ悪化していくばかりで微塵も思い通りにいかない。


「報告が本当なら、接触していたのは相海だ。単独でも厄介なのが、あんな大きな派閥に入ったら目も当てられんぞ」

『でも、烏京はすぐ帰っちまったんだろ? お話するのは延期になったか、喧嘩別れになったか。どっちにしたって、速攻でコトを進めりゃァ間に合うさ』


 楽観的な態度でイサナメは言い捨て、触角の先端の目玉で雄鷹の顔を覗き込んでくる。


『んなことより、例の件はちゃんと準備できてるんだろうねェ? 陸軍大臣サマが出てきた以上、時間の猶予はそんなにないよ』

「言われんでも、万事抜かりはない。貴様は契約をまっとうすることだけを考えておけ」


 雄鷹は怒気を込めて睨み返し、肩を怒らせて部屋から出ていってしまう。

 煮えくり返ったはらわたを鎮めるために、秘蔵の焼酎でも開けようと考えながら。


 だから、雄鷹はその後のことを知らない。

 部屋に残されたイサナメが、のそと億劫そうに這いずったことも。次のようなことを呟いたことも。


『やだねェ、短気な男は。ここは一つ、可愛い弟クンにでも慰めてもらうとするかい』

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