第28話 逃げる狐

 料亭の廊下を走りながら、兎木子の懐剣に霊波を込める。

 小さな妖刀は己を変異させた『親』との絆を辿り、現在位置を探し出した。


「……そこか」


 見つけた。

 一目散に下階へと移動している。速いが、エレベーターという感じはしない。非常階段と見るべきか。


 烏京は脚に妖力を集中させてスピードを上げた。

 戦闘音や悲鳴などがあったので、異常事態であることは店内にも伝わっているだろう。各部屋からは楽しげな雰囲気が鳴りを潜め、怯えるような沈黙が広がっている。

 おかげで誰も廊下に出てこないから、遠慮なくかっ飛ばすことができた。


「お、お客様! 何事でございますか……」

「虎威の間だ!」


 途中で従業員らしい者がいたので一方的に怒鳴り、エレベーターホールまで駆け抜ける。

 非常階段への扉は、目立たないよう隅っこで壁の塗装と同化するようにして設置されていた。


 軍刀の気配はみるみる下降していく。急がねばならない。

 烏京は重たい鉄扉を蹴り開け、下りの階段へと……――――


「――っと、


 転身し、掲げた懐剣がキィィン! と響いて、なにかを受け止めた。

 肉眼では、なにも見えない。

 しかし懐剣には確かな手応えがあって、そこに不可視の物体が存在していることを告げていた。

 さしずめ、透明人間の伏兵といったところか。


「まあ、幻狐の使い手がいた時点で想定内だな」


 呟く烏京の刃が、妖気を啜る。

 すると、小太刀使いの変化を解いた時と同じようになにもないはずの空間がブレて、虚空から大柄な剣士の姿が出現した。

 ヒゲを生やした男の顔には、驚愕よりも恐怖に近い感情が浮かんでいた。


「馬鹿な……さんだと!?」

「霊波の扱いがなっていないな。妖力制御が甘ければ、喰らう隙もある」


 烏京は冷たく言い放ち、奪った妖力を込めて敵刃を弾いた。

 炸裂弾でも当たったような衝撃が剣士の手から刀を吹っ飛ばして、がら空きになった胴を斬り払う。


 鈍い感触。


 妖力で防御したようだ。

 しかし、変化の術を維持できないくらい力を奪われた直後である。防ぐといっても刃を通さなくする程度で、剣士は砕けたあばら骨を抱えて膝を着いた。


 もはや脅威たりえない。

 そう判断した烏京は即座に身を翻して、追跡を再開した。


 下方に意識を向け直せば、キンッキンッと弾き飛ばした剣士の刀が跳ねながら落ちていく音がする。そのさらに下を、軍刀の気配が高速で移動していた。

 目算で四階か、三階か。もうだいぶ下まで来ているみたいだ。

 このままでは、追いつく前にビルの外まで出てしまうかもしれない。


「……仕方ない。荒っぽいやり方でいくか」


 階段を駆け下りながら、烏京は決断すると左手を開いて真下へと向けた。


 霊波充填。

 標的照準。

 呪文詠唱。


「解封。――暴れろ、『塵塚怪王』」


 直後。


『ゴアアアアア!!』


 大鬼の咆哮がビルを震わせた。

 解き放たれた妖気に反応してか、警報が鳴り響く。


「……後で謝らないといかんな」


 烏京は落下を続ける刀とほとんど変わらないスピードで駆け下りていく。

 同じような階段ばかりの景色。

 経由した踊り場の数が片手で収まらなくなったころ、ようやく人影が見えてきた。


 最初に目に入ったのは、鏡を寄せ集めて作った鬼の頭部だった。


 軍刀に封じていた塵塚怪王が、実体化していた。

 床に転がった抜き身の刀から、上半身までが出てきてしまっている状態だ。封印を解いたっきり制御をまったく行っていないのだから、当然のことである。


 塵塚怪王の近くには、男が二人ばかり小太刀を構えていた。

 軍刀を盗んだ犯人だろう。仲居の姿はないが、どうせ幻狐の術で変化していただけだろうから、おかしいことはない。


『グルオアアアアア!!』


 器物の上級妖魔は、退魔士の手綱から逃れたことを喜ぶように、あるいは鬱憤を晴らすように喚きながら、大木のごとき剛腕を振り回した。


 盗人たちは妖力をまとい、霊波を駆使して斬りかかっては塵塚怪王を抑えつけようと奮戦しているのだが、大鬼は効いた風もなくその都度腕力任せに殴り返している。


「やめんかァ!」


 乱入した烏京が、鬼の脳天に霊波を叩き込んだ。

 不意討ちとはいえ、懐剣という小太刀よりさらに短い武器による一撃。だのに、盗人二人をものともしなかった上級妖魔はあっけなく目を回した。

 そして動きを止めた隙に軍刀を拾い、霊波を込め直してやれば、実体化した上半身は瞬く間に粒子となって刀身の彫金へと吸い込まれていく。


「……被害なし、とはいかなかったか」


 コンクリートの壁にヒビが入っていたり、金属製の手すりが歪んでいたりするのを見て、申し訳なさそうにしつつ。

 烏京は切っ先を盗人たちへと向けた。


「で、どうする?」


 挑発するように問いかける。

 二人組は小太刀を前に構えたままジリジリと様子をうかがっていたが、やがて唐突に地面を蹴って跳躍した――後方へ、と。


「逃がすか!」


 対する烏京も早かった。

 軍刀から塵塚怪王の妖気を壁へと伸ばし、砕けたコンクリート片を支配。浮遊能力を付与して、遁走する敵へと放つ。


 意志を持って殺到する石礫を、しかし盗人は小太刀を後ろ手に振るうだけで防いだ。

 妖気を帯びた刃がコンクリート片をことごとく粉砕し、そのままドロン! と煙幕を起こす。幻狐が使う化け煙だ。


「喝っ!」


 間を置かずに烏京が霊波を放って妖術の煙を消し払うが、視界を塞がれたわずか数瞬で盗人は影も形もなくなっていた。


 注意深く感覚を研ぎ澄ませるが、気配はまったく感じない。

 逃げられた……と見せかけて奇襲してこないか、と期待を込めてわざと隙をさらしたりしてみたものの、やはり音沙汰ない。


「……身の程をわきまえた奴らだ」


 烏京はつまらなそうに吐き捨てて、軍刀を持ったまま器用に懐剣を納刀すると、九階の料亭へと戻ることにした。


 本当なら軍刀だって鞘に収めたいところだが、叶わないので肩に担いでいく。

 どうしてかというと、刀身から塵塚怪王が実体化した際の衝撃で鞘を破壊してしまっていたからで、その証拠に細長い黒塗りの木片が足元に散らばっていた。

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