第27話 兎木子の機転
部屋に取り残された兎木子は、黒服の女に勧められるまま、座布団の上にチョコンと座った。
「お待ちいただいている間、軽食でもいかがですか?」
「えっと……では、お言葉に甘えて」
女の態度からして遠慮する場面ではなさそうなので、素直に差し出されたメニュー表を受け取る。
「今の季節は、油揚げを使ったパイ包みがおすすめだそうです」
「まあ、おいしそうですね」
新作スイーツの写真に目を奪われたりしつつ、これは烏京が戻ってくるまで時間がかかるかもしれない、と考える。
しかし、実際は待つまでもなかった。
「失礼いたします」
唐突に女性の声がして、外から襖が開かれる。
さっきとは別の仲居だ……が、彼女に対して兎木子は直感的に違和感を覚えた。
たとえば、笑顔の作り方だったり。
たとえば、了解を得る前に敷居をまたいだことだったり。
たとえば、まず視線を向けたのが客である兎木子たちではなくて机の上に置かれた軍刀だったり。
口に出して指摘するのはためらう程度の違和感。
ただなんとなく、猫っ被りの経験則に照らすと接客のプロらしからぬ所作に嫌な気がして、兎木子はそれとなく腰を浮かせて黒服の陰へと隠れるように移動する。
この初動が、運命を分けた。
「何のご用ですか?」
黒服の女が怪訝そうに応対しようとした、次の瞬間。
シャッ! と金気が流れて、血滴とともに黒の布片が散った。
「うっ!?」
黒服は痛みに苦悶しながら、兎木子を敵から遠ざけようと後ろに押しやる。
兎木子は体勢を崩しながらも、「烏京様!」と叫んで助けを呼ぶ。
それを見る仲居は、能面のような無表情のまま机の軍刀を掴むと、きびすを返して走り去っていった。
遅れること数秒とかからず。
反対側の廊下からドタバタと聞こえてきたかと思うと、襖が吹っ飛ばされて烏京が転がり込んできた。
「兎木子、無事か!」
「烏京さ……後ろ!?」
安堵する間もなく、烏京を追って小太刀を持った男が現れた。
兎木子が声を引きつらせるが、烏京は後背からの小太刀を見もしないで避ける。
宙を舞う襖を掴まえて回転を加えてやれば、ブルンッ! と、さながら竹トンボ。襖は凄まじい風圧と遠心力で滞空し、襲撃者を弾き返した。
しかし、敵もさるもの。
畳に這いつくばる低姿勢で高速回転する襖をくぐり抜けると、烏京の脛に斬りかかり、躱されたら跳び上がりざまの逆袈裟斬り上げ。続けて二連、三連と刃を閃かせて攻め立てた。
妖力をまとって強化した太刀捌きは、恐ろしく速い。
武芸の心得がない兎木子では、目で追うことすら不可能だ。烏京が怪我一つ負わずに捌いているから危なげなく見えてしまうが、常人ならばとっくに斬り捨てられていてもおかしくないのではないか。
実際、遅れてきた黒服の男は助太刀に入ることができずに傍観するばかりだ。
「……。……っ」
自身の理解が及ばない世界に放り込まれて停止しそうになる頭脳を、懸命に回転させる。
兎木子は思考を巡らせて、現状はどうなっているのか、これからどうなるのかを予測し、決断すると懐の中に手を突っ込んだ。
「烏京様っ!」
投擲したそれを、烏京と小太刀使いは同時に見て、即応した。
烏京はニヤと笑って、受け取ろうと手を伸ばす。
隙ありと見たか。小太刀使いが伸びた腕先を打ちにいくが、小手を突き刺したかに見えた切っ先は、しかし血を吸うことは叶わない。
「っ!?」
初めて、小太刀使いが動揺をあらわにした。
凶刃は皮膚を避けて袖を貫いただけ。しかもそれっきり、着物が斬り破られることもなく刀身にまとわりついているのだ。ただの布地がいかなる術理か、鋼の刃物を絡め捕っているうちに、烏京は逆の手で兎木子の投げ渡した物を取る。
それは懐剣だった。つい先刻、烏京に買ってもらった品である。
小太刀使いが苦心の末に得物を袖から引き抜くが、もう遅い。
まともな武器を烏京が手にした時点で、勝敗は確定したのだ。
「――シッ!」
短い呼気に乗せて抜刀。
妖刀化した刃金からにじみ出る微弱な妖気を、烏京は精密に全身へと巡らせて、加速しながら斬りつける。
抜き打ちの一撃に、小太刀使いは受けの構えを取るが……無音!
刃が衝突する金属音は、鳴らなかった。
ぶつかる刹那、烏京は手の内で懐剣をバトンのごとくにクルリと反転。順手から逆手へ持ち替えることで間合いを狂わせたのだ。結果、防御に置かれた小太刀の位置は見当違いとなって、すり抜けた先にある無防備な顔面へと柄頭を叩き込む。
「ぐっ!?」
どんな達人でも、予測から外れた打撃を頭にもらえば脳を揺らさずにはいられない。
小太刀使いは短くうめくと、糸が切れたようにその場に倒れ伏した。
「ふう……最近は大型妖魔ばかり相手にしてたから、小技が鈍ってるな」
無傷で制圧しておいて勝手なことを言いながら、烏京は黒服の男に小太刀使いの拘束を頼むと、兎木子の元へと歩み寄る。
「なにがあった、兎木子」
「烏京様の御刀が奪われました。仲居さんの格好をした人です。それから……」
兎木子はなるべく端的に起こったことを伝え、そして黒服の女に視線を移した。
最初に斬りつけられてから、ずっと傷を抱えてうずくまったままなのだ。烏京が容態を診ようとすると、まるで死人のような顔色に息を呑む。
「ただの刀傷じゃないな。まさか毒か?」
「……お、おそらくは。ですが、私は大丈夫です」
女は蚊の鳴くような声で応答して、封魔呪文の刻まれたナイフを取り出して見せた。
退魔道具についてはあまり詳しくない兎木子は「洋風の退魔武器とは珍しい」程度の感想しか抱かなかったのだが、本職である烏京はナイフに封じられていた妖魔に少なからず驚かされたと、後になって教えられた。
女が式神としていたのは、ユニコーン。
癒しの力を持つが、獰猛で扱いづらいのだいう。西洋世界の幻獣ということもあって、かなり珍しいのだとか。
「我が身に使うために拝領した式神ではないのですが……」
と、女は自虐的に呟いていたが、さておき。手当てが不要ということは目下の問題は一つに絞ることができる。
「申し訳ないが、妻の護衛をお願いします。俺は刀を返してもらいに行くので」
そう言って立ち上がった烏京に、黒服たちは「えっ!?」と声を漏らした。
「お一人では危険です。すぐ店の者に通報して、ビルの警備部隊を動かすべきかと」
「毒まで使ってくる相手とわかった以上、下手に人を動かすと死者を出しかねない。俺が一人で片付けた方が確実です」
忠告を頭から退けて、烏京は部屋を出ていく前に一度だけ兎木子を見つめた。
「すぐ戻る」
「は、はい。いってらっしゃいませ」
反射的にいつもの調子で返したら、兎木子の旦那様は心なし目を細めて駆け出していった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます