第26話 面会の目前で

 相海与之助が面会に指定したのは、伏見山ヒルズといって京都洛中でも特に高級志向な複合商業施設であった。

 赤鳥居を連ねたようなデザインの歩道橋を渡る人々が途中で右のホテルや左のショッピングエリアへと向かう中、烏京と兎木子は終着点である中央ビルまで入っていく。


「伏見山ヒルズの中央ビルだなんて……ふひひ、悪役華族にでもなった気分ですね」


 とは兎木子の言。

 以前そういうドラマの撮影に使われたとかで、金持ちや特権階級なんかが悪巧みする舞台というイメージが定着しているらしい。


 悪人かどうかは知らないが身なりのいい客ばかりが行き来する廊下から、エレベーターホールへ。

 上りのボタンを押す。

 扉の上部にある階数表示が7、6、5と移り変わっていき、2の表示が点灯すると同時にチャイムが鳴って、扉が開いた。


 他の客に先を譲り、烏京と兎木子の二人は後から下りてきた無人のエレベーターに乗る。

 扉が閉まり、階数表示が逆方向へと移動して、9の数字が光ったところで停止した。


「……九階、か」


 誰もいなくなったはずのエレベーターホールで、誰かが呟いた。


 伏見山ヒルズ中央ビルの九階は、階全体が老舗の京料理屋になっているらしかった。


 二人がエレベーターを下りると、『九尾花』と書かれた看板がまず目に入る。

 木目の立派な柱、梁、床板。水墨画の描かれた襖や、紙に透かしを入れた障子など。外界を向いた窓がないこともあり、高層ビルの内部にいることを忘れてしまいそうだ。


「いらっしゃいませ。ご予約はいただいておりますでしょうか」


 まだ呼びかけてもいないのに、横の狭い廊下から仲居らしい女性が現れてお辞儀をした。その所作だけを取って見ても、店の格がわかる洗練されたお辞儀だ。ススキ柄の着物も華美すぎず上品で、料亭のデザインによく馴染んでいる。


「相海卿の招待を受けた、金津由烏京という」

「金津由さま、でございますね。確かに、承っております。どうぞこちらへ。『虎威とらいの間』へご案内いたします」


 話は通っているらしい。仲居の流れるような先導に従って、烏京たちは靴を脱いだ。


 障子窓から太陽光のような照明が差し込んでおり、廊下は自然な明るさで満たされていた。曲がり角が多くて視界が利かず似たような景色が続く迷宮のようだが、あちこちで食事を楽しみながら談笑するのが聞こえてくるので、悪巧みしているようなイメージを受けることはない。

 途中にはいくつもの座敷があって、部屋ごとに異なる絵柄が襖に描かれている。一人だけ他の客とすれ違うことがあったが、この絵を目印として自分の部屋を探していた。


 曲折すること三度。

 仲居は曲がってすぐの辺りで立ち止まると、虎の威風堂々とした絵が描かれた襖に向かって声をかけた。


「失礼いたします。お連れさまがいらっしゃいました」


 襖を開くと、畳敷きにドンと机を置いただけの殺風景な和室だ。

 中には黒服の男女が一組座しており、烏京たちが入ると無言で会釈する。そして仲居が襖を閉めて、足音が遠ざかるのを待ってから、交互に話し出した。


「この度は、招待に応じていただき感謝いたします」

「相海卿は奥でお待ちです」

「申し訳ありませんが、ここから先は金津由烏京様お一人だけをお通しするように、と仰せつかっております」

「また、お腰の物をお預かりさせていただきますので、ご了承ください」

「む……」


 烏京はわずかに逡巡したが、兎木子をうかがうと、自分は大丈夫だとばかりに頷き返してくるので、それで腹を括る。

 軍刀を鞘ごと抜くと、黒服のうち女の方がうやうやしく受け取って、机上に設えた即席の刀掛けに置いた。


「では、烏京様。いってらっしゃいませ」

「大丈夫だとは思うが、なにかあったら呼べ。すぐ駆けつける」


 男の方が、入ってきたのと反対側の襖を開けると、そちらにも廊下が伸びていた。


 黒服の女と兎木子を残して、烏京は男に案内される形で廊下に出る。

 こちらの廊下は、さっきよりも薄暗い。足元に不自由しない程度に照明を減らしているのだ。少し歩くと、他の客室の気配が遠ざかって不気味な静寂がせまってくる。

 訝しむように、烏京は訊ねた。


「客が入っていい場所、なのでしょうか」

「『離れの間』といいまして、静かな環境でお話した時などに使わせていただいております」


 なにからなにまで、ずいぶんと念の入ったことだ。

 周りに悟られないよう待ち合わせ、会う時には武装解除。おまけに密会のための部屋まで用意しているとは。権力者というのはここまで用心深くなるものなのか。それとも、相手が烏京だから警戒しているだけか?


 驚き呆れながら、暗がりに溶け入りそうな黒服の背中を追いかける。

 その後は交わす言葉もなく、二人の足が床板を軋ませる音だけが響いた。


 キィキィ、と。

 ギッギッ、と。


 キィキィ。ギッギッ。

 キィキィキィ。ギッギッギッ。

 キィキィ。ギッギッ。ギシギシ。


「……ん?」


 三人目の足音。

 気づいた烏京が振り返ると、後ろから仲居らしいススキ柄の着物を着た女性が歩いてくるのが見えた。さっき先導してくれたのとは別の仲居である。


「もし……。お客さま」


 仲居はか細い声で、烏京たちを呼び止める。

 黒服の男は足を止めたものの、怪訝そうな表情を向けた。


「人払いをお願いしていたはずですが?」

「ええ。ですが、どうしてもお伝えしなければならないことが」


 仲居は伏し目がちに近寄ってくる。

 彼女の言葉に、足取りに嘘は見受けられない。だから烏京は、なにも言わずに接近を許して――


「……っ!?」


 回避行動を取ったのは無意識だった。

 反射か第六感か、自分でも理由を説明できない。しかし上体を逸らした直後、なにか鋭利な物体が風を裂いたのを、烏京は確かに感じ取った。


「金津由さま!? いったい……」

「お前、何者だ!」


 仲居の姿をした女性は、傍目にはただ話しかけようとしただけだ。

 そばの黒服は、まだ攻撃されたことすら理解できておらず、いきなり飛びのいた烏京に戸惑っている。

 わけがわからないのは烏京自身も同じこと。だから一刻も早く、解明しなければならない。


 魂を振るわせる。

 波動を込めて。

 両手の指を組み、手印を結ぶ。


「解!!」


 力を宿した言葉で喝破すると、霊波の直撃を受けた女性の姿がブレた。

 まるで電波の乱れた動画のようにボロボロと容姿が崩れていって、その下から現れたのは中肉中背の男性だった。


 どこにでもいそうな、特徴のない顔つき。地味なズボンにダウンジャケット。右手には抜き身の小太刀を提げている。

 小太刀の刃には封魔呪文が彫金されており、そこに宿る獣くさい妖力に烏京は憶えがあった。


「幻狐か」


 面倒な敵だ、と舌打ちする。

 式神の正体を言い当てられた男性は、しかし動じた様子もなく無言で切っ先を向けてきた。重心低く俊敏そうな構えで、対峙していると彼我の空間が引き伸ばされていくような錯覚に陥った。

 冷静沈着で、剣の腕も達者らしい。

 ますます戦りづらい、と二度目の舌打ち。


 武器を持っていない状況で、この襲撃者をどうやって対処したものかと思案を巡らせた、その時だった。


「烏京様!」


 絹を裂くような、兎木子の悲鳴が耳に届いた。

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