第21話 烏京の義弟

 ……あんなに、がんばったのに。


 金津由科人しなとは初陣として、総勢十八人にも上る退魔武官を引き連れて穢霊地へと踏み込んだ。

 深い山奥で確認された、名もない沼地。

 泥色の水面を突き破って飛び出した長く巨大な蛇体が、岸辺の木々を薙ぎ倒してのたうち回る。


「水から出た!」

「縛りつけるぞ。妖力操作、用意!」

「尾の側にもう一人回せ!」


 熟練の退魔士たちが、軍刀に封じた式神を解放して駆け回る。相対する敵は水霊みずち、中級に分類される妖魔だ。

 激しく暴れる水霊を、退魔士たちは見事な連携で取り囲み、投網のように制御した妖力を放って動きを妨げていった。


「総員、配置に着きました!」

「よし、いい頃合いだ。決めるぞ、カウント開始!」


 指揮役の年配武官が宣言すると、後方の通信兵が秒読みを始める。

 ――3、2、1。

 一斉攻撃。


「「「退魔術、谺封こだまふうじ!!」」」


 十八の刃が、同時に打ち込まれた。

 澄んだ音を立てて鋼が跳ね返され、魂の波動が水霊の体内へと浸透する。様々な包囲から注ぎ込まれた霊波は複雑緻密な紋様を描き出し、妖魔を完全に硬直させた。


「今です、科人さま!」

「は、はい!」


 退魔士たちが左右に分かれ、道を開けた。

 声に弾かれるようにして、飛び込んでいく。新品の軍刀に霊波を込めて、水霊に切っ先を突き立てると同時に封魔詠唱。

 妖魔の体躯は瞬く間に非物質化して、呪文を彫金した刃へと吸い込まれていった。激しい抵抗力に、刀を撮り落としそうになるのを必死で押さえつけて、数秒とも数十分とも思える時間を奮闘した末に――


「はあ、はあ……や、やった!」

「おおっ、成功なされましたか!」

「見事ですな。我々がお手伝いしたとはいえ、初陣にして水霊を捕獲するなどなかなかできることではない」


 仕損じることなく目的を果たした少年に、一同拍手を送った。

 間違いなく、心からの祝福だった。

 達成感に満たされて、戦いの最中にぶつけた背中の痛みも気にならないくらいだったのに……


 ……どうして、誰も僕を見ないんだろう。


 帰宅して、父が開いてくれた祝賀パーティー。

 本来ならば強力な式神を手にした新米退魔士、金津由科人が主役のはず。ところが、ふたを開ければ、会場である本邸の大広間は別の噂話で持ち切りだった。


「聞いたか、金津由烏京が上級妖魔を……」

「たった一人で? つくづくあの男は化け物じみているな」

「一人どころか、士官候補生の面倒も見ながらの片手間だったというぞ」

「勘当されて将来は閉ざされたものと思っていたが、まだまだ終わっていないらしい」


 大人たちは、自分には見向きもせずに、この場にはいない義兄の話ばかりしている。

 ついに科人が耐えられなくなって、会場から姿を消しても気づいてくれる者は一人もいなかった。


「……母さま、どこだろう」


 会場には見当たらなかった母の姿を探して暗い廊下をうろついていたら、二階から人の気配がするのに気づいた。

 耳を澄ますと、父の声がする。

 怒っているのか、荒い声だ。普段ならば絶対に近づきたくないところだが、父がいるのならば母だっているかもしれない。

 忍び足で階段を上り、怒声のする方へと向かうと、執務室のドアが半開きになっていた。覗いてみると、室内には父の後ろ姿しかない。誰かと電話でもしているのだろうか。


「まったく、烏京のヤツめ。大人しくするということを知らん!」


 ……また義兄か。


 父の口から烏京の名が出たことで、科人はまた暗鬱とした気持ちになった。

 うつむく科人とは反対に、父は頭から湯気が立つほどに熱を帯びていく。


「こんなことなら、やはり軍から完全に追い出してやるべきだったか」

『前にも言ったじゃァないのさ、下手に自由にさせたら余計に危ないってねェ』


 歯噛みする父を、知らない女の声が諭した。


『適当につまんない仕事で忙殺させときゃァ、それでよかったのに。なんで狩りに出しちまったのかねェ』

「わ、ワシは悪くないぞ。任せていた増田が勝手に許可を出したのだ。止めることができないなら、せめて別の手を打とうと……」

『それが余計な手出しなんだよ。下級くらいならいてもいなくても変わらなかったのさ。なのに、上級なんかぶつけちまったもんだから、厄介さが段違いになっちまった』

「ぐっ……。まさか、式神なしで上級妖魔を捕らえるほどとは……」

『完全体じゃァなかったとはいえ、アタシをヤツだよ? 生まれたての塵塚怪王くらい、わけないさ』


 女の声がほとほと呆れたように嘆息すると、父は落胆した足取りで仕事机を回り込み、椅子に体重を預けた。

 それによって、父の体に隠されていた机の上が露わになる。

 一枚板の天板に乗ったなにかの書類やペン立て。そして――猫ほどもある大きなナメクジが。


 ……妖魔!?


 人間と区別のつかない言語を操るなんて、妖魔の中でもかなり高度な知性を持っている証だ。妖力は欠片も感じ取れないが、巧みに隠しているのだとすればなおさら、ただ者ではない。

 科人は息を呑むが、室内の一人と一体は気心知れた間柄のように会話を続ける。


「そんなことより、イサナメよ。貴様こそ、なにもしていないではないか」

『あン?』

「貴様は金津由家の式神だぞ。いなくなったのは烏京のせいにしたが、我が家の評判も確実に落ちている。なのに務めを果たしもせず、偉そうに文句を垂れるだけか?」

『式神ったってねェ。十年に一度の生け贄をまだもらってないのに、力だけ貸せってのは虫のいい話じゃァないかい?』

「協力せんなら、今ここで退治してやってもいいんだぞ」

『ハッ! やってみなよ。アタシの妖力がなくて、退魔士の名門を気取ってられると思うんならさ』


 火花が散る。

 無言の睨み合いがあって、先に矛を収めたのはナメクジの方だった。


『……まァ? 金津由はどうでもいいとしても、烏京はアタシにとっても脅威だ。確かに、なにかしら考える必要はあるかもしれないねェ』

「策があるのか?」

『アンタの誠意次第だけどねェ。まァ聞くだけ聞いてみな。……そこの坊やも、入っておいで』


 ぐりん、とナメクジの触覚が唐突に巡ってドアの方を向いた。


「っ!?」


 科人は総毛立った。

 とっさに逃げ出そうか、言われた通り部屋に入るか逡巡する。しかし、即座に逃げなかった時点で、答えは決まっていたのかもしれない。


『いいから、おいでな。アンタのお義兄ちゃんに勝たせてあげるから』

「……っ!」


 無視するには、あまりに魅力的な誘い文句。

 胸の底でゾワと昏い部分を撫でられる感触がして、科人は躊躇いながらも執務室のドアを開いた。

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