第20話 愛妻送迎
烏京は一人、薄暗い住宅街を歩いていた
一度陸軍本部に戻り、捕獲した式神の報告など必要な手続きを済ませた後のことだ。
恋太郎は「知り合いを通して探りを入れてみる」と本部に残り、士官候補生たちについては三内が「この後お食事でもぉ」と誘ってきたのを断って、自分でもちょっと調べ物をしてから家路についた。
そうして帰ってきたら、お鶴に使いを頼まれたのである。
背の高い板塀と小川とに挟まれた道を通り、他所に比べて立派なお屋敷が並ぶ坂道を上りきったところにある一際大きな洋館が目的地だ。
教えられた住所を打ち込んだ携帯端末と表札を見比べてから訪いを入れる。
応対に現れた執事だという老人に用件を伝えると、洋館の中に消えて程なく、兎木子を連れて戻ってきた。
「びっくりしました。まさか烏京様が迎えに来てくださるなんて」
「狩りが早く終わってな。帰るぞ」
執事に礼を言って、玄関を後にする。
背後で扉が閉まる音を聞きながら、烏京は隣を歩く兎木子をうかがった。
控えめな小紋の着物で、長い髪はコンパクトに結い上げている。今日は前々から付き合いのある、軍部のご婦人方や婚約者らの集まりだと聞いていたが、それにしてはやや地味かもしれない。
化粧も目立たない程度にしていたが、左頬の傷については周りと馴染ませるだけであえて隠してはいなかった。
「夕食会だったか。どうだった」
「だいたい予想通りでしたね」
兎木子はすました横顔を崩さずに答えて、指先で傷をなぞる。
「烏京様の噂はすっかり浸透していました。顔の傷も合わせて、すっごく心配されましたよ。他人の不幸は蜜の味、とはよく言ったものですね」
「それは……」
負い目のある身としては言葉に窮するが、兎木子は哀愁どころかいっそ清々しそうな表情をしていた。
「あんまり弄ってくるので、つい言い返しちゃいました。烏京様のご迷惑になったらごめんなさいね?」
「それはお前の都合がいいようにしろ。俺はどうなっても身から出た錆だから……」
「傷の具合を診るという口実で顔に触りたがるとか、痛む時には優しく付き添ってくれるとか、結婚して初めて見せるようになった甘い一面について、ないことないこと色々と」
「おいコラ」
思い浮かべたのとは様子が違ったようだ。
「なにを言いふらしてんだ」
「いえですね? 傷のことを当てこすられるから、適当な惚気話にして打ち返したら、なんだか琴線に触れてしまったみたいで。ふひひひ。意外と皆様、初々しいロマンスに飢えてらっしゃったんですねぇ」
意外だとか言ってるが嘘の気配が見える……とかいう以前に、目が笑っていた。
どうせ女たちの趣向を知った上での戦略だろう。心配して損した、と烏京は半眼になる。
「……二階からの妙な視線は、その関係か?」
「皆様淑女なんですから、覗きなんてはしたないことするでしょうか? お迎えの知らせが来た時は、ずいぶんと沸き立ってましたけど」
すっとぼけた物言いは、つまりそういうことだ。
来た時にはなにも感じなかったのが、帰りにはカーテンの隙間から誰かが見つめてきている気がしていた理由がわかった。
害意はないから放置するつもりだったが、これはこれでいたたまれない。いやしかし、好きにしたらいいと言ったばかりなんだから非難はできないしむしろ協力するくらいの方がいいのだろうか。
「じゃあ、なんだ。手でも繋いでおくか?」
「え……ふ、ふん」
複雑な内心を飲み下して持ちかけたら、兎木子は一瞬だけたじろいだように見えたが、すぐに取り繕って悠然とした態度で応じた。
「たしかに。実際に仲睦まじいところを見せるのは効果的かもしれませんね」
「なんの効果かは知らんがな」
どちらからともなく、手を寄せる。
指の甲が触れ合って。
どっちがどう動くかともたつきながら交差して、手の平を合わせる。
そのまま握ったはいいが、形はこれでいいのだろうか?
考えてみれば、互いに古風な家の生まれだ。
異性と手を繋ぐ、それも他人に見せつけるためなんて初めての挑戦で、不器用なことこの上ない。理由もわからず恥ずかしくなって、相手の顔が見られなかった。
密着した手の平だけが妙に熱く感じて、手汗がにじむ気がする。いやそれにしても、華奢な手だとは思っていたが握ってみるとこんなに細いのか。ちょっと力を込めれば折れそうなほど儚く、だがしっかりと柔らかく、そして絹のようにきめ細かい。
「…………。あ、あの……烏京様?」
ぎこちなく黙り込んでいたら、兎木子がたまりかねたように口を開いた。
「その触り方は、なんというか……ですね」
「っ!?」
反射的に、飛び退いてしまった。
悪さした犬の首根っこみたいに、自身の手首を捕まえる。
完全に無意識だった。指でさすったり揉んでみたり、相手にも感覚があることを忘れてなにをやっているというのか。
「すまん」
「い、いえ。別に嫌だったとかじゃ……」
ゴニョゴニョと、兎木子はなにやら言い淀んでいるが、ともかく一層気まずくなってしまった。
「悪かった。その……狩りで収穫があったから、浮ついてたのかもしれん」
「へ、へえ! それはなによりです」
少々あからさまだったかもしれないが、話題の展開に兎木子は渡りに船と乗ってきた。
「どうだったんですか?」
「上級妖魔を式神にできた。まずは下級、よくても中級から始めることになると思ってたから、これは嬉しい誤算だな」
そう言って、烏京は腰の軍刀に触れる。
塵塚怪王は完全に封じ込められており、かすかな妖力を感じさせるだけでうんともすんとも言わなかった。イサナメは封じられた状態からでも意識を浮上させて話しかけてくることがあったが、あれは例外中の例外なので比べるわけにはいかない。
「上級の式神がいれば、大きな任務にも参加しやすくなる。その分、出世も早まるだろう。……ただ、無邪気に喜べることでもなくてな」
「……上級妖魔が出てきたこと自体が、おかしいってことですか?」
「ご名答だ。どうにも、裏で人間が糸を引いてる気がする」
上りでは一人だった坂道を並んで下りていく。
とっくに坂の上の洋館は見えなくなっていたし、周囲にはコウモリ一羽もいなかった。
「もしかしたら、金津由かもしれない」
「金津由……まさか、烏京様の狩りを邪魔するために?」
「犯罪の大きさと釣り合いが取れないと思うんだがな。……だが、もしもそうなら今後とも、嫌がらせ以上のことをしてくるかもしれん。念のため、身辺の守りを強化した方がいい」
「わかりました。家に帰ったら、また詳しく聞かせてください」
照れやらなにやらは吹っ飛んでしまって、兎木子は緊張した面持ちで頷くと、寒風を避けるように烏京に身を寄せた。
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